紅瞳の秘預言50 約束

 ふと、目が覚めた。妙に身体が重くて、再び眠りに引きずり込まれそうになる。
 昨夜、『戻って』来たばかりの身体が、まだ世界に馴染んでいないのだろうか。そう思いながらも彼は、無理矢理に身体を引き起こした。復活したばかりで落ち着かないだろう、と個室を与えてくれた金髪の青年に、ほんの少しだけ感謝して。
 そうして、ふと巡らせた視線の中の世界に違和感を覚える。その正体は、すぐに判明した。
 『戻って』来たときには携えていたはずの『鍵』。その存在が、この部屋のどこにも見えない。その代わり、眠りに落ちたときには無かったはずのメモがテーブルの上に置いてある。
 ベッドから降り、つまみ上げたそのメモに目を通す。走り書きの乱れた筆跡は、それでもあの男が書いたものだと一目で理解出来た。

「──! いる!?」

 彼が眉間に手を当てたとき、扉が激しく叩かれた。外から名を呼ばわる声は、聖女の血を引く少女。胸の奥に『残った記憶』が、ずきりと痛んだ。

 ティア。

 胸の中で一言だけ呟かれた彼女の名を、胸元で手を握りしめることで己の内に封じ込める。
 昨夜はよほど疲れていたのか、『戻って』来た時のままの服装でベッドに倒れ込んでいたのが幸いした。身支度を調えることもしないまま前髪を掻き上げながら、メモを手にしたまま扉を開く。
 そこには思った通り、ティアが立っている。一瞬肩を震わせたのは、同じ顔をした少年の姿を青年にダブらせたからだろう。それでも焦りの表情を隠そうともしない彼女に眉をひそめ、彼は短く問うた。

「どうした?」
「大佐が、部屋におられないの。ギンジさんのアルビオールで、朝早くに出られたそうよ」
「……ちっ」

 彼女の言葉に、舌を打つ。
 『再会』した彼の、心許ない笑顔が青年の気に掛かっていた。彼はきっと、少年の帰還を願っていたから。
 戻って来なかった少年に、もし彼がそこまで会いたかったのだとすれば。

 あの男は、何をする?

「俺の『鍵』が無い。奴が持ち出した」

 きりと奥歯を噛みしめて、彼はそう口にした。途端、少女の顔に訝しげな表情が浮かび上がるのが分かる。

「どうして分かるの?」
「借用書を置いて行きやがった。妙なところで律儀だな、奴は」

 差し出したメモに、彼女が目を通した。みるみる青ざめていく顔を、青年の内に残る『彼』が悲痛な顔をして見つめている。

「……これは……」

 彼に会いに行くために、鍵をお借りします。
 返却は出来ないと思います。済みません。
 お帰りなさい。どうぞ、お幸せに。

 あの軍人らしい、用件を簡潔に記したメモ。だが、乱れきった筆跡とところどころ間違えられたスペルがそれを書き付けた当人の精神状態を如実に示している。
 恐らく、もう彼の人は正気を失ってしまっているのだろう。その状態でなお、明晰な頭脳は彼が望む目的のために最適な手段を打ち出した。

「奴の行き先は、多分レムの塔だ。あそこが一番、音譜帯に近いからな……奴は『鍵』を使って、ローレライに呼びかけるつもりだ」

 手早く荷物をまとめながら、青年はティアにそう言う。血が引いて本来よりも白くなった顔が、青年を追うように上げられた。

「ローレライに? 大佐に出来るの?」
「……モースと同じだろう。第七音素を無理矢理体内に取り込んで、その力を使う。そもそも音素の扱い自体は得意だからな、あいつは」

 自分のものでは無い記憶に残る、大詠師の最期の姿を思い出しながら青年は答えた。
 あの軍人は、幼い頃自らの目に譜陣を刻んだことがある。その気になれば、己の全身に強力な譜陣を刻みつけることも可能なはずだ。──無論、彼はその末路を見知っているはずだけれど。

「そんな……そんなことをしても、最後はモース様のように」

 実際に大詠師の最期を目にした少女の手から、メモが滑り落ちた。口元を押さえている両手が、小刻みに震えている。分かっている、と口の中で呟きながら青年は、それでも彼の軍人がそうするであろうと言う確信を持っていた。
 早く行け、と青年の中の『彼』が叫んでいる。拳を握り、壁を殴りつけることで青年は自身と、そしてティアの意識を強制的に現実へと引き戻した。睨み付けるように彼女を見つめ、指示の言葉をぶつける。

「全員を叩き起こせ。アルビオールはもう1機あるんだろう?」
「分かったわ。急ぎましょう、アッシュ」

 彼女も彼の言いたいことを理解したらしく、すぐに頷いた。くるりと身を翻し、駆け出して行く。青年はその後ろ姿を見送ること無く、金の髪の青年を起こすために彼がいるはずの部屋へと足を踏み出した。


 話を終えて、ルークは長い溜息をひとつついた。ミュウの頭をふわふわと撫でながら、俯き加減でぼそぼそと言葉をこぼす。

「今回は、俺がアッシュの視点で見てた。意識自体もアッシュだったんじゃ無いかな……俺アッシュじゃないから、考え方とか良く分からないけどさ」
「私は、ルークが見たものと大体同じ状況を私自身の視点から見ていたわ」

 ティアが言葉を添え、アッシュと目を合わせる。小さく頷いてアッシュは、思考を走らせつつ顎を手でさすった。これまでに自分とルークが見た『夢』、そしてティアが単独で見た『夢』の状況を紡ぎ合わせる。

「アクゼリュスで俺たちが見た夢から、状況が遡っているな」
「カーティス大佐が消えられた、と言う夢ですわね」

 結論の言葉を吐き出したアッシュに、ナタリアが視線を向ける。「ああ」と頷いてアッシュは落ちてきた長い前髪を掻き上げた。普段は撫でつけているから、視界に入るとうっとうしくてならない。

「ティアがザオ遺跡で見た夢は、カーティス大佐がその塔の前に到着されたところでしたわね。そこからでも、もう少し前の話になりますわ」

 少女の口から語られたもうひとつの『夢』の話を思い出しながら腕を組み、ナタリアは考え込むような顔になった。自身は彼らの言う『夢』を未だ見ていないため、あまり実感が湧いている訳では無い。それでも、その『夢』の謎をどうにかして解きたいとは思っているようだ。
 例え夢でも、知っている人物の死は気分の良いものでは無いのだから。

「……ええと」

 指先で空中に円を描きながらルークが、それぞれの夢で分かった軍人の行動を時間軸通りに組み立て直す。そうして出来上がった結論を、言葉にした。

「ジェイドがアッシュの持っていた『鍵』とか言うのを盗んで、そのレムの塔に向かった。そんで、自分の身体に第七音素を取り込むための譜陣を描いた。もしかしたら、その前の晩に描いてたのかも知れないけど」
「俺たちは、それに気づいて追いかけた。奴もそのことは想定していたから、途中までは俺たちが上に登って来られないように細工をした。……途中からは恐らく、その意識が薄れたらしいがな」

 ルークの言葉にアッシュが続いた。露骨に顔が歪められたのは、『夢』の結末を思い出したからだろう。
 そして、その結末を口にしたのはそれを見たアッシュ自身やルークではなく、ティアだった。

「でも、その細工のせいで時間が掛かって、私たちが辿り着いてすぐ大佐は消えられた」
「大佐が消えられた理由は、お分かりになりませんの? いえ、第七音素を利用したからとか、そう言うことでは無くて」

 ナタリアが『夢』を見た3人の顔を見渡し、問う。みゅ、とも声を上げないチーグルの仔を、ルークは肩から降ろすと両手の中に抱えた。答えを出すことの出来ない主に、不安げにすりついてくる毛並みが暖かい。
 そして、彼らの中でナタリアの望む答えを出したのはやはり、と言うか真紅の焔だった。

「……死霊使いが盗み出した『鍵』とやらだが、恐らくローレライの鍵だろう。何で俺が持っていたのかは知らんが、実在している可能性はあるな」
「何だ? それ」
「みゅっ?」
「始祖ユリアがローレライと契約を交わしたときに、その証として与えられた触媒とも言われているわね。ユリアはその力を使ってプラネットストームを発生させた後、地核に沈めたって伝えられているわ」

 ルークが腕の中のミュウと同じ、目を丸くして不思議そうな表情を浮かべる。そんな彼らにティアが説明してやると、「へえ」と感心したように顔を綻ばせた。知らなかったことを知るのは、この子どもたちにとっては楽しいことなのだから。


PREV BACK NEXT