紅瞳の秘預言50 約束

「地核ですの? それでは、アッシュが持つことは……いえ、不可能ではありませんわね」

 ナタリアが、自身が紡ぎ掛けた言葉を少し考えた後で首を振って否定する。自身たちはタルタロスと共に魔界から外殻大地へ帰還した際、それが不可能では無いと言う実例を見ている。
 一時的に再構築されたセフィロトツリーに巻き込まれ、陸艦の甲板に落下したもの……ユリア・ジュエが世界に残した、最後の預言を刻み込んだ譜石。

「第七譜石かあ。あれと同じように、セフィロトが打ち上げてくれたのかな」
「さあな」

 今もマルクトのどこかにあるであろう、譜石を思い出しながらルークは首を傾げる。その彼の質問には、今この場にいる誰も答えを出すことは出来なかった。
 ジェイドの持つ『記憶』の世界では、両極のゲートにいたアッシュとルークの元に『鍵』と『宝珠』をそれぞれローレライが自ら送り届けた。だが、彼らはその『記憶』の世界で起こった出来事を知る由も無い。

「つまり、カーティス大佐はローレライとの契約に臨み結果として消えてしまわれた。ですが、何故大佐がそのような行動に出られるのでしょうか」

 金の髪を持つ少女の言葉が、一同の思考を元の路線に引き戻した。その存在すら定かでは無い『ローレライの鍵』に関する話題もまた、今の本題では無いはずだ。

「それなんだが……恐らく、原因はこいつだ」
「俺?」

 アッシュに視線を投げかけられ、ルークは思わず自分の顔を指差した。小さく頷いてアッシュは、再確認の意味での問いをルークにぶつける。

「前の時……つまりは奴の最期になるが、その時てめえは誰の視点で見た?」
「多分ローレライ。ジェイドも俺のこと、ローレライって呼んでたし」
「今回は俺、だったな」
「うん。ティアが俺を見てアッシュって呼んでたし、俺自身も自分はアッシュなのかなって感じだった」

 ルークが素直に答えたのを受けて、次にアッシュはティアに向き直る。そして、彼女にも問いを投げかけた。

「ティア。塔の前で見た死霊使いは何と言っていた」
「……大佐は、誰かを助けたいっておっしゃっていたわ。アッシュに、『貴方だけでも帰って来てくれて良かった』とも」

 ティアが紡いだ、『夢』の中のジェイドの言葉。

 貴方だけでも。

「──そっか。アッシュだけってことは、俺がいないんだ」

 その言葉の意味を理解して、ルークの口からぽとりと言葉がこぼれ落ちた。全員の視線が集まる中、項垂れた朱赤の焔の表情は量の多い前髪で半ば隠れている。

「ご主人様、いないですの?」
「多分な。夢で見た世界には、俺、いないんだ。だから、俺の目で見た光景じゃ無くてローレライやアッシュが見た感じになってたんだ」

 ミュウの疑問に簡易な言葉で答え、ルークは不安げな表情のまま顔を上げた。

「良く分からないけど、アッシュになってた時の俺の中に、『アッシュじゃない部分』があった。もしかしたらそれが俺なんじゃ無いかな」

 僅かに唇を震わせながらも少年は、自分が見た『夢』の中での違和感を言葉にして吐き出す。それが答えなのかも知れない、と言う単純な思いではあったが、それがアッシュにはヒントになった。

 レプリカは自身が持っていた記憶だけを残して、全てをオリジナルに奪われて消えます。

 暗い室内で、サフィールが彼に告げた言葉がアッシュの脳裏に蘇る。それが恐らくは夢の中でアッシュを演じたルークが得た感覚の正体なのだろう、と真紅の焔には理解出来た。

 大爆発。
 つまり、こいつがやっていた俺は……こいつを食い潰して生き延びた俺、なんだな。

 そこまで理解出来れば、ルークが『夢の世界にいない』理由は明白となる。彼はその世界においては既にアッシュと一体化し、7年の生涯の記憶だけを残して消滅してしまっているのだから。

「それでは大佐は、『いなくなった』ルークをどうにかして助けようとなさっていたのでしょうか」
「恐らくはな。それも、奴の頭脳ではどうしようも無い状況からなんだろう。『ルーク・フォン・ファブレ』のレプリカを再び造ったところで、それは俺でもこいつでも無い全くの別人だしな」

 だが、ナタリアの疑問にアッシュは曖昧な言葉で答えた。
 恐らくルークは、未だ『大爆発』と言う現象の存在を知らない。もし知っているのであれば、自らが演じたアッシュの状態からその現象に思い至るだろう。元々持っていた知識は生まれてから7年間の環境が災いしてさほど豊かでは無いが、その分外に出てからの吸収は早い。頭もかなり回る方だから、彼なら確実に至るはずだとアッシュは考えている。つまり、至らないのであればルークはその答えを知らないのだ。
 レプリカの権威であるジェイドが側にいながらそれを知らないと言うことはつまり、ジェイドがルークに教えていないと言うことである。そこには何らかの意味があるのだと踏んで、敢えてアッシュは彼の意図に乗ることにした。
 それに今は、解決策があるかどうかも分からない現象の説明よりも『夢』の話を進めるべきだ。大爆発の解決策を発見するのは自分たちでは無く、『ケテルブルクの双璧』たるジェイドとサフィールであろうから。

「だから、奴はローレライと何らかの契約を交わしてこいつを救おうとしたんだ。自分の生命と引き替えに」

 そうして、大爆発を起こして生き延びたアッシュを出迎えた後の『夢』の結末。やっと追いついたと思えた瞬間目の前で彼の身体は光に解け、笑顔だけを残して消え去った。
 自身の頭脳を駆使してついに果たせなかった思いを果たすために、ジェイドは自身を賭けて最後の手段に訴えたのだ。

「大佐なら、あり得るわ。アクゼリュスの時だってそうだったでしょう」

 ティアが形の良い眉をひそめ、胸元で拳を握りながら呟く。
 ルークとアッシュを守るためにジェイドは、アクゼリュスの破壊を自らが行うと言い放った。第七音素を取り込み、自身を滅ぼす覚悟で。
 彼らは『死霊使い』と言う名を冠された頃のジェイドを知らない。故に、現在彼らの前にいるジェイドの言動を本来のものだと思っている。
 ──『記憶』を持ち、ルークを守ろうとする今の彼ならば、それは確かにあり得る行動だ。

「次に私たちのうち誰かが見るとすれば、その更に前の時間である可能性が高いですわね。もしかしたら、そんな状況に陥った原因が分かるかも知れません」

 ナタリアが、友人たちの顔を見渡しそう告げた。未だ『夢』を見たことの無い彼女だからか、その判断は彼らの中では至極冷静なものだと言えよう。
 夢を見ながらも冷静さを保っているアッシュが、恋人の言葉に頷く。彼の落ち着きぶりは、ジェイドと同行している時間が他の仲間たちより短いせいかも知れない。

「そうだな。タイミングとしては、セフィロトを操作した時。セフィロトツリーから流れ出す記憶粒子が、俺たちにあの光景を見せているのだろうな」
「みゅ……そしたら、ジェイドさんの夢はやっぱり預言ですの?」
「例え預言であっても、覆すことは出来るわ。そうでしょう?」

 不安げに耳を揺らすミュウの頭を、ティアはゆっくりと撫でてやった。そうすることで、自身を落ち着かせるかのように。
 何故なら、続けて自分が口にする言葉が彼らの不安感を助長するものだと思えたから。

「でも、実際に起きるかどうかはともかくとして、このままではそう言った未来もあり得るわね。可能性自体を否定することは出来ないわ」

 ティアの予想通り、その言葉で場の空気は重く沈む。ルークと同じ、だが彼よりもどこか大人びた表情を湛えたアッシュが眉間にしわを寄せた。

「確かにな。どうすれば、夢の通りにならずに済むか」
「それは簡単ですわ。ルークが生き延びれば良いのです」

 だが、その疑問に対する答えをあまりにもきっぱりと、ナタリアは言ってのけた。一瞬、室内が水を打ったように静まりかえる。

「へ?」
「……そうか」

 ぽかんと目を見開いたルークと一瞬だけ同じ表情を浮かべたアッシュだったが、すぐにナタリアの言葉の意味に行き当たる。少しだけ目を細めた彼の手が、朱赤の頭にぽんと置かれた。

「夢の中の死霊使いは、てめえを救うために身を滅ぼした。実際、現実でも何度かてめえを庇ってる」

 振り返ったところにぶつけられたアッシュの言葉に、ルークははっと気づいた。現実の世界で、ジェイドがルークを庇ったことは確かに何度もあった。『夢』の中で彼が起こした行動も、その延長線上にある行為として見れば極端ではあるものの不思議では無い。
 ティアも納得したように、可憐な顔を綻ばせた。ふわりと浮かべた笑みは花のようで、思わずルークは見とれてしまう。

「なるほどね。ルークが生き延びれば、大佐も亡くなられずに済むわ。そこまでに大佐がご無理をされるようなら、私たちでフォローすれば良いんだから」
「あ、いや、確かにそうだけど」

 ほっとした表情のティアが告げた言葉に、ルークは僅かに狼狽えつつ仲間たちの顔に視線をうろつかせる。そんなルークの目が、腕の中にいるチーグルの上でぴたりと止まった。


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