紅瞳の秘預言50 約束

 身体に比して大きな瞳で主を見上げていたミュウは、真っ直ぐに自分の思いを言葉にして主に伝えた。それが彼に出来る精一杯だったから。

「ご主人様だけじゃダメですの。アッシュさんもティアさんもナタリアさんも、みんなみんな元気じゃないとダメですの。そうで無いときっとジェイドさん、しょんぼりするですの」
「……うん」

 ルークは僅かに表情を緩め、素直に頷いた。彼の知るジェイドがミュウの言う通りの人物であることを、少年は良く知っている。それは彼だけで無く、真紅の焔や少女たちも同じだ。

「そうね。私たちだけでもきっと駄目……キムラスカが滅んでも、マルクトが滅んでも、それがダアトでも。きっと大佐は悲しまれる」

 胸の上で手を合わせ、ことさら緩やかに言葉を紡ぐティア。

「せっかくアリエッタやディストがこちら側についてるんだ、その能力をせいぜい利用するぞ。少なくともディストは、死霊使いのためにこちら側に回ったんだからな」

 ふんと鼻を鳴らし、不敵な笑みを浮かべて見せるアッシュ。

「イオン様やマルクトのピオニー陛下もお力になってくださいますし、アルビオールもありますものね。……お父様……いえ、インゴベルト陛下もいずれは説得して見せます」

 穏やかな笑みを浮かべ、決意の光を瞳に宿したナタリア。

「みゅう、ボクも一緒に頑張るですの。チーグルもライガさんたちも、きっと一緒に頑張ってくれるですの」

 小さな手で拳を握り、大きな耳を振り回して己の意思を示すミュウ。

「うん……そうだな」

 一度目を閉じる。暗くなったルークの視界に、ジェイドの泣きそうな笑顔が浮かんだ。
 例え哀しい表情でも、見られなくなるよりはずっとマシだと自分の心に言い聞かせてルークは、瞼を開くと大きく頷いた。

「全員で生きて、ヴァン師匠やモースの野望を食い止めよう。キムラスカとマルクトの戦争もちゃんと終わらせよう。ローレライもきっと、それを望んで警告してくれてるんだから……だから、みんなで預言とは違う未来に進んで行こう」

 ジェイドも、もちろん一緒に。
 最後の言葉をルークは口にしなかったけれど、その思いは恐らくアッシュたちにも伝わっただろう。


「ねえ、ジェイド、ディスト」

 席に座っているジェイドとその側に立っているサフィールの元に、おずおずとアリエッタが歩み寄って来た。彼女を追いかけるように、アニスもその後ろに続いている。

「どうしたんですか? アリエッタ、アニス」

 サフィールが眼鏡の位置を直しながら問う。彼の質問に答えたのは、アニスの方が先だった。

「アリエッタがね、ダアトにイオン様を迎えに行きたいんだって」
「モースやヴァン総長、きっとイオン様いじめる。アリエッタ、そんなの嫌」

 半ばあきれ顔ながらも友人を案ずる表情を見せているアニスと、むうと頬を膨らませているアリエッタ。2人の顔を見比べつつ、ジェイドは「なるほど」と頷いた。

「今のままでは、イオン様が大詠師やグランツ謡将に利用される恐れは多分にありますね」
「ふむ。セフィロトのこともありますからねえ」

 細い顎に手を当てて、サフィールは少し考え込む。が、思考はほんの数瞬で終了し、銀髪の学者はにっこり微笑んでアリエッタの桜色の髪に手を置いた。

「……分かりました。アニス、アリエッタ、貴方たち2人でイオン様のお迎えに行ってくれますか? さすがにイオン様を魔物の背中に乗せて長距離移動は無理がありますから、アルビオールは使って構いませんよ」
「いいの?」

 あっさり許可を出されて、アニスが呆気に取られた顔で2人の学者を見つめる。それに答えるために、ジェイドはふわりと微笑んで口を開いた。彼自身も、さすがにイオンをグリフィンやフレスベルグの背中に乗せたまま長距離移動させるのは無理だと思っていたから、アルビオールを譲ろうと考えていたのだ。先にサフィールが勝手に許可を出してしまったけれど、それに異議を唱えるつもりはジェイドには無い。

「ベルケンドからでしたら、船でシェリダンに行けます。カンタビレの言葉が正しければシェリダンにはノエルがいますから、彼女にお願いしますよ」
「ま、そう言うことです。イオン様のことはくれぐれもお願いしますよ?」

 ジェイドの言葉の後を継ぎ、サフィールが片目を閉じながら少女たちの顔を覗き込む。その悪戯っ子のような表情に、アリエッタとアニスは同時にほっとしたように表情を緩めた。

「良かったぁ。アリエッタ、一緒にダアト行こうね」
「うんっ!」

 互いの手を握り合い、上下に振って喜び合う2人。アリエッタは満面の笑みを浮かべ、軍人と学者の顔を振り返った。その口からこぼれたのは、無邪気なお礼の言葉。

「ジェイド、ディスト、ありがとう!」
「いえいえ。あ、ライナーに会ったらよろしく言っといてくださいね」

 ダアトに置いて来てしまった付き人の名を、サフィールは懐かしげに口にする。「おっけー、任せて」とガッツポーズを取って答えたアニスは、アリエッタを伴い自分の席へと戻った。その背中を追ってサフィールが視線を動かすと、いつものようにギンジの横に席を置き操縦技術を目に焼き付けようとしているガイの姿がある。

「……気になりますか?」

 少女たちが去るのを見計らったかのように、ジェイドが口を開いた。『前の世界』では少し顔を見たことがある程度の相手だが、それでも気には掛かっていた。『あの時』のライナーはサフィールの命令を忠実に守った、付き人としては賞賛されるべき人物だったのだから。

「ライナーのことですか? ええ、もちろん」

 それは『この世界』でも同じらしく、サフィールは苦笑を浮かべながら首を縦に振る。色素がほとんど無いために銀に見える髪を軽く掻き上げて、窓の外を眺めながらぼそぼそと呟いた。

「あれは奇特にも、ずっと私の付き人を買って出てくれましたからね。何かと世話になったものです。ちょっと堅物なところが難点と言えば難点でしたけれど、指示は忠実に守ってくれましたし」

 彼の口から流れ出るライナーの人柄も、ジェイドが僅かに『知って』いるそのまま。そのことに彼が薄く笑むと、それに反応したわけでも無いのだろうがサフィールが振り向いた。彼の顔には、何かに納得したような笑みの表情が浮かんでいる。

「……そうだ、今気がつきました。ライナーの生真面目で変に堅物なところって、昔のジェイドそっくりなんですよ。そうかそうか、だから私、彼を取り立てたんですね!」
「え?」

 突然そんなことを言われ、ジェイドは目を瞬かせる。その彼の目の前で、サフィールはほんの少し頬を赤らめて照れたように自分の頭をこりこりと掻いた。

「はは、私、どこまでジェイドを好きなんでしょう。参ったな、ほんと私は馬鹿ですねぇ」

 幼い頃、何度も転びながら自分を追いかけて来た銀の髪の少年。彼はくすんだ金髪の少年が気まぐれに褒めてやると、今サフィールが浮かべている同じ表情を浮かべた。子どもの頃と同じまま成長した彼を、ジェイドは泣きそうな瞳をして見つめている。形の良い唇は、吐息と共に寂しげな言葉を吐き出した。

「でも、私は貴方に、何も返してあげられない」
「……だーかーらー」

 途端、サフィールの両手が子どもを甘えさせる親のようにジェイドの頭を抱え込む。こつんと小さな音がして、サフィールは自分の額をジェイドのそこに擦りつけた。

「私は、見返り目当てで貴方の補佐をやっているわけじゃありませんよ? ……まあ、貴方に幸せになって貰うことがある意味見返りですけれど」

 当たり前のように、この幼馴染みはそんな言葉を口にする。そうして真紅の瞳を覗き込み、自分の言葉をジェイドにゆっくりと言い聞かせた。

「良いですね? 貴方も私も、もちろんルークもアッシュもみんな元気に、未来に向かって進むんですよ。約束してください」
「……」

 サフィール……済みません。
 その約束は、守れないんです。

 ジェイドの返事が、声に紡がれることはついに無かった。


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