紅瞳の秘預言51 啓示

 ベルケンドの街から少し離れた平地にルークたちを降ろした後、飛晃艇はすぐさまアニスとアリエッタを乗せて再び飛び立った。機械の翼と、それを追う魔物たちが空の彼方に消えるのを見送って、アッシュが銀髪の同僚の顔を振り仰ぐ。

「……にしてもてめえ、何禁書なんぞ持ち出してんだ」
「だって、ジェイドに必要だと思ったんです」

 ぷい、と口を尖らせながら視線をあさっての方向に向けるサフィールの仕草は、年下であるはずのアッシュよりもずっと子どもっぽく見える。小さく溜息をつき、アッシュは肩をすくめた。

「お前はそれしか無いのか」
「好きでやってるんだから、良いじゃないですか」

 ちらり、と視線が真紅の髪に向けられた。丸いレンズの奥でにぃと眼を細め、サフィールは子どもがじゃれつくようにジェイドの腕に自分のそれを絡める。アッシュの視界に入ったその仕草に、真紅の焔は呆れたようにぽんと自分の額を掌で叩いた。

「私は今まで、それこそ好き放題にやってきましたからね。これからは、それでも私を受け入れてくれたジェイドのために頑張ることにしたんですよ」
「……私も大概、自分のしたいようにやってきたつもりなんですがねぇ」

 楽しそうに言うサフィールの言葉を聞き、薄手のマントで青の軍服を覆い隠しているジェイドはほんの僅か赤い瞳を細めた。幼馴染みの腕を振り払うでも無く、しょうがないなと言わんばかりの苦笑を浮かべる。30代後半の男性同士が腕を組んでいる訳だが、この2人はかなり若く見えるためかさほどむさ苦しくは思えない。特に、無邪気に笑うサフィールの表情はどこまでも子どものようで、だからどちらかと言えば、友人が仲良くふざけている光景と言った方が正しいだろう。

「そうなんですの? 軍属なのですから、かなり不自由だったのでは無かったのですか?」
「フォミクリーの研究を続けたくて、軍に入ったようなものですからね。それなりに融通は利いたんです」

 頬に指を沿わせ首を傾げるナタリアに、ジェイドは少しだけ顔を伏せながら答えた。単純に複製を造るだけだと思っていたその技術が、今や世界の裏側から全てを破壊しようとしている。

「でも、そのおかげでルークが生まれたんですよね」

 ティアの落ち着いた言葉が、真紅の瞳を彼女に向けさせる。ふわりと微笑んでいる少女の視線は、ジェイドの意識が自分に向けられたことを認めると小さく頷くように振れた。そうして、朱赤の髪を風になびかせている少年へとその視線は動く。

「あー確かに。俺もだけどイオンもさ、ジェイドやディストがいてくれなきゃいなかった」
「こいつの存在も、悪くは無いな」

 頭の後ろで手を組んで、ルークは楽しそうに笑う。『前回の世界』では旅の終わりになってやっと聞くことが出来た言葉だったが、未だ全てのセフィロトを訪れていないこの時に少年はその言葉を口にした。その隣で、彼を生み出す元となった青年も穏やかに笑みを浮かべている。

「はっはっは。私やジェイドに感謝しなさいよ、ルーク」
「当たり前だろ。感謝してるって」

 茶化すような口調のサフィールの言葉を受けたルークの答えに、ジェイドは目を見張った。『父親』のほんの僅かな表情の変化を、『息子』は敏感に捉えたのか不思議そうに首を傾ける。

「そんな驚くことかな」
「まあ、少しは」

 眼鏡の位置を指先で動かして、碧の視線から逃れようとする。そうしてしまってからどうやら自分は照れくさいのだ、とジェイドは客観的に判断した。この辺り、グランコクマでサフィールに指摘された『感情の認識の薄さ』を未だ克服出来ていないのだろうと思う。

 私は、死ぬまでこのままかも知れませんね。
 まあ、良いでしょう。
 下手に感情を把握出来てしまっては、きっと最期に困ることになる。

 レンズの奥で薄く笑んだその意味を、恐らくはジェイド自身以外誰も正確に理解することは出来なかった。


 時間はほんの少しだけ遡る。
 飛晃艇が着陸した直後のこと。再離陸の準備をしていたギンジが、慌てて機内から飛び出して来た。

「あー、すいません。カンタビレさん経由でイオン様からサフィールさんに伝言があったの、忘れてました」
「私に、ですか?」

 己の足を使って長距離を移動することに久しく縁の無かったサフィールは、ちゃっかり子どもたちに自分の荷物の一部を預かって貰うことに成功していた。軽くなった荷物袋を背負いかけたところでギンジに名を呼ばれ、不思議そうに振り返る。
 そうして、彼が続けて口にした言葉に思わずぶっと吹き出した。

「図書室から持ち出した禁書は、ジェイドさんの考えてることに存分に利用してください、だそうですよ」
「禁書?」

 腕を組み、アッシュが端正な顔を歪める。真紅の髪をまとめて押し込んだ帽子の下で、同じ色の眉が露骨にしかめられた。
 ベルケンドを再び訪れるに当たり、前回はルークが隠していた髪を今度はアッシュが隠す形になっている。これはジェイドの指示だったが、その時彼が浮かべたどこか悪戯っぽい笑みが2人の焔には気に掛かっていた。
 元々2人が入れ替わっていたのはモースの鼻をへし折るため、そして孤立した状況に置かれるであろうナタリアをアッシュが側で支えてやるためだった。それもまたジェイドが考案したものであり……つまり、今回も何らかの意図があってのことであると焔たちのみならず、同行者全員が暗黙の内に了解している。
 その中で、彼だけは実際の意図を理解しているであろう銀の髪の六神将は口元をごしごしと擦り、むんと一度胸を張って気合いを入れ直した。

「あー。実は、ダアトを出るときに何かに使えるかなーって1冊借用して来たんですよ。導師の許しも出たことですし、ジェイドには後でお渡ししますね」

 罪悪感の欠片も無い笑顔で説明の言葉を紡ぎながら、サフィールはジェイドにウィンクをして見せる。その仕草でジェイドには、当の『禁書』が何であるか把握出来てしまった。
 『前の世界』ではアッシュがイオンから託された、外殻大地降下のヒントとなる記述が含まれた創世暦時代の書物。前もってジェイドから『記憶』について聞かされていたサフィールが、ダアトを出奔するときに持ち出したのだろう。

 ……って、だいぶ前の話になりますよね。サフィールめ、ずっと読み込んでいましたか。

 肩をすくめたジェイドの呆れ顔を、銀髪の幼馴染みは状況を理解した証として受け取った。
 何しろジェイドは『前の世界』で禁書を読み込んでおり、恐らくはその内容を記憶している。彼の補佐をするためには、サフィール自身が書物の内容を暗記するほどに読み込まなければならない。

 大丈夫ですよ、ジェイド。ちゃんとお手伝いしますからね。

 サフィールが「重いから」と言って子どもたちに分けた荷物には、書物の類は認められなかった。さすがにその重要性を知る彼のこと、自身の背に負うた袋の中にその禁書はしまわれているのだろう。特にルークの荷物袋にはしょっちゅうミュウが潜り込んでいるため、書物の類はルークが習慣でつけている日記帳を除いて厳禁となっている。

「まあ、それはともかくとして」

 ジェイドはわざと少し大きく発声することで、自身の意識を切り替えた。歩調を合わせて着いてくるサフィールの銀の髪にちらりと視線を向け、その顔を見ないまま言葉を続ける。

「これからどうするんです? ベルケンドを選んだのは貴方でしょう」
「んー……ヴァン総長がいなけりゃ、速攻でスピノザに話を聞きに行くんですけどねえ」

 サフィールの方もジェイドに倣ってか、視線は近づいてくるベルケンドの街に向けられている。
 スピノザがいるのは、第一音機関研究所。その奥まった部屋をヴァンは私室として利用しており、スピノザやベルケンドのい組との接触において障害になることは明らかだ。
 こちらの動きを知られると言うこともあるが、それよりも技術者たちの立場が悪くなる可能性の方が危険度は高い。ジェイドの知る『記憶』の中では、地核震動停止作戦の序盤においてスピノザの情報を得たヴァンとその部下たちがい組、そしてシェリダンのめ組たちを強襲した。生き延びたのはギンジとノエルの兄妹、アストン、そしてスピノザ。中でも、己のせいで同僚たちを死に追いやってしまったスピノザの落胆ぶりは、端から見ていてもそれは悲痛なものだった。
 少しでもこちらが優位に事を運ぶために、そしてルークが悲しまないために彼らに危険が及ぶことをジェイドは避けたかった。

「とりあえず様子伺いですよ。敵の動きを知らなけりゃ、こちらとしても動きようがありませんし。ヴァン総長も、まだ技術者たちには利用価値があるでしょうからそうそう排除はしないはずです。私がいないんですから、フォミクリー装置を扱うには彼らの協力が必須ですしねえ」

 一方サフィールとしては、技術者たちの危険が高まることを承知でヴァン側の情報を得るつもりでいた。
 ジェイドの『記憶』と現実の間には既にある程度のズレが生じており、故にヴァンがジェイドの『覚えて』いるのとは異なる行動に出る可能性がある。そのズレを修正するためにも彼は、この時期ベルケンドを訪れることでヴァンと接触しその動きを探る必要性を感じていた。
 サフィール自身は正直、い組やめ組が時の流れの中で排除されるのであればそれも致し方の無いことだと考えている。だが、それではジェイドが悲しむことが分かっているため、彼なりに気を使っているつもりだ。


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