紅瞳の秘預言51 啓示

「済みません。兄のせいで、大変なことになってしまって」

 ただし、サフィールの気遣いはジェイド以外の人間にはほとんど及ばない。故に、既に敵対していることが分かっているとは言え実兄であるヴァンについて指摘されたティアの心境にも、彼女が言葉を紡ぐまで全く考えは至らなかった。
 それでも、彼女が少ししょげながら頭を下げたことでサフィールにも彼女の思いは届いたようだ。一瞬怯んだ表情を浮かべ、それから癖の無い銀髪をがりがりと掻きむしる。

「ああ、ティア。こちらこそ済みません。どうも私は、ジェイド以外の人間に使うような気はさほど持ち合わせていないようです」
「……いえ。大丈夫です」

 サフィールは、ジェイドよりは自分自身について正確に把握している。時折感情が暴走することはあるが、気がつけばすぐに切り替えることも出来る。伊達に年を重ねているわけでは無いようだ。
 彼なりにティアを気遣う言葉を口にしたサフィールに、彼女は苦笑を浮かべて頭を振った。さらさらと揺れる髪は、ヴァンと良く似た癖の無い栗色。

「兄がよからぬことを企んでいると分かった時から、兄は私の敵です。……そう思わないと」
「いえいえ。私もジェイドに諭されなきゃ、ずーっとその片棒担いでましたよ」

 溜息混じりのサフィールの言葉が、ある種の実感を含んでいることに気づいたのはジェイドだけだろう。『記憶』の世界でずっとヴァン側についていた己の所業を知らされている彼だからこその感情が、その言葉には籠もっているのだ。

「無理するんじゃねーぞ、ティア」

 ルークが眉尻を下げつつ、彼女の顔を覗き込んだ。その肩によじ登って来た空色のチーグルが、大きな耳をぱたぱたと動かす。

「みゅ。ティアさん、元気出してくださいですの。ボクがついてるですの」
「そうですわ。私が言うのも何ですけれど、どうか気を落とさないで」

 ナタリアが柔らかく笑みながら、ティアの肩に手を乗せる。ほんの数時間前に信じていた自身の立場を否定された彼女の気丈さに感心して、ティアは小さく頷いた。

「ごめんなさい。ありがとう、ナタリア、ルーク、ミュウ」
「お気になさらず。持つべき者は友、と言うではありませんか」
「……あんまり落ち込まれてると、こっちまで暗くなっちまうからよ」

 素直に首を縦に振るナタリアと、照れくさいのかぷいと視線を逸らすルーク。性格の違いか男女の違いか、ともかく異なった反応を見せた2人にティアは、何かに吹っ切れたような笑みを浮かべた。

「みゅう。ご主人様、てれてれですの」
「うるせえ黙れブタザル」

 多分、ミュウの頭をぐりぐりと両手で挟んで捏ね回す子どもっぽい仕草も、ルークが照れくさがっているからだろう。彼はまだ、実年齢7歳の子どもなのだから。
 そんなルークを眼を細めて見ていたガイの隣に、足音をさせずにアッシュが歩み寄った。青年の海の色の視線が自身に向いたのを確認して、低く落とされた声がぼそりと落とされる。

「……お前が口を出すと思っていたんだが」

 真紅の髪を隠していると、やはりと言うか一瞬ルークと間違えそうになる。ガイは彼の名を呼ぶことをやめ、短い自分の髪をかりと指先で掻いた。

 名前を間違えたりしたら、失礼だもんな。今はこいつ、アッシュなんだから。

「んまあ、ちょっと出せる立場じゃ無くってな」

 笑顔を作り、アッシュに答えた。自身がヴァンの……引いてはティアの主家筋に当たることを、恐らくジェイドは知っているだろう。そのうち仲間たちには話をせねばならないと思いつつ、ガイは話題を逸らした。

「ま、ディストの旦那がジェイドの旦那贔屓なのは今に始まったことじゃないだろう。幼馴染みなんだしさ」

 育て親の言葉に、朱赤の焔がにっと眼を細める。くるりと振り返り、ジェイドとサフィールの顔を見比べた。長く伸ばされたくすんだ金髪に年相応の落ち着いた真紅の瞳が映えるジェイドと、癖の無い銀の髪の下で子どものように瞳を輝かせるサフィール。何とは無しにルークは、そんな2人にガイと自分の姿を重ね合わせていた。

「そうだよなー。ひょっとしたら、俺が生まれる前からこんな感じ?」
「サフィールとの付き合いでしたら、ガイが生まれる前からですね」

 あっさりとルークの言葉を上回る時間を定義したジェイドに、子どもたちは揃って目を丸くした。
 30代の2人を除くと、この一団では22歳のガイが最年長だ。その彼が生まれる前から……間にサフィールのダアト滞在期間を挟んでいるとは言え、ジェイドとサフィールはそれだけ長く友人づきあいを続けていることになる。

「みゅみゅ。すごーく昔からですのー!」

 ミュウが感心した声を張り上げる。その頭をぐいと押さえ込みつつ、ルークは唖然とした表情を隠さない。

「はー。かなり腐れ縁ってやつだな、おい」
「ピオニーもそうですよ。あれが入って来たのは少し後でしたけど」

 サフィールはジェイドの腕にしがみついたまま、楽しそうに指を立てる。彼にしてみればジェイドの実験やピオニーの悪戯にさんざん巻き込まれた子ども時代ではあったけれど、それなりに楽しい過去だったのだろう。

「まあ。ネイス博士、呼び捨てですとか『あれ』とか言った呼び方は考えられた方がよろしいですわよ?」
「む……私、皇帝やっているピオニーにはあまり馴染みが無いんです。それでつい」

 目を見張りたしなめたナタリアの言葉に、一瞬銀髪の学者は言葉に詰まった。ピオニーの即位とさほどズレの無い時期にマルクトを離れたサフィールにとって、ピオニーと言う人物は雪の街で子ども時代を共に過ごした存在ではあっても崇拝すべき皇帝と言う認識は無いのだ。

「陛下も黙認状態だったがな……だが気をつけろ。てめえ、一応死霊使いの補佐なんだろう?」

 溜息混じりのアッシュの忠告は、本人は気づいていないもののジェイドへの気遣いが含まれたものだ。被っている帽子の位置を両手で直し、横目で睨む青年の視線にサフィールはぺろりと舌を出した。

「気をつけますよ。ただでさえマイナス評価からのスタートなんですしね」
「まあ、サフィールもそれなりに礼儀はわきまえていますよ。陛下の呼び方でしたら、プライベートでですが時々私も名前で呼びますし」

 くすくすと微かな笑い声を上げて、ジェイドがほんの少しだけ頬を緩めた。彼の言葉に、ほぼ同時にナタリアとルークが驚いたように目を見張る。

「そうでしたの?」
「えー、ジェイドも?」

 無言のまま目を瞬かせるティアの向こうで、ガイとアッシュが互いに顔を見合わせ肩をすくめた。髪を掻こうとして帽子にぶつかったアッシュの指は、目標を失って僅かに空間を彷徨う。

「ふうん、旦那にしちゃ意外だな」
「てめえはプライベートですら普段の態度を崩さないもんだと、俺は思ってたんだが」
「……もう良いです。貴方がたが私のことをどう見ているか、よーく分かりましたから」

 散々な言われように、ジェイドははあと溜息をつきながら肩を落とした。が、ティアの「裏表が無いんですよね」と言う言葉にかくり、と膝が砕けかける。慌てて顔を上げたジェイドの回りで、サフィールも含めた子どもたちは納得したように大きく頷いた。

「そうそう。感情表現やモノの言い方がちょっと分かりにくいけど、分かってしまえば割と素直なのな」
「昔はもっとひねてましたからねー。これでもだいぶマシになったんですよ」

 中でも年長に当たるガイとサフィールが、それは楽しそうににやにやと笑う。そうして、恐らくは最年少であろう魔物の声が一際大きく響いた。

「みゅう。素直が一番ですの!」

 くるり、と袋状の大きな耳が回る。ミュウが大きな目をきらきらと輝かせ、ジェイドをにこにこと見つめている。その空色の頭に、ジェイドは観念したように苦笑を浮かべるとぽんと手を置いた。

「ま、確かにそうなのかも知れませんね。それより、もうベルケンドですよ。気を引き締めてください」

 1つ息をつき、ジェイドは前方に手を伸ばした。男性としては細い指が示す先に、ベルケンドの街が広がっている。ちらちらと見える白い鎧は神託の盾兵士であり……やたらその姿が目につくと言うことは、ヴァンが滞在している可能性が高いと見て良いだろう。それに気づき、子どもたちの意識が一気に引き締まった。

「ルーク、アッシュ。ヴァン総長は、貴方がたの超振動を利用したがってるはずです。勧誘掛けてくると思いますから、十二分に気をつけなさい」

 サフィールはレンズの奥で眼を細め、2人の焔の名を呼んで注意を促す。ジェイドの『記憶』の中でヴァンが己の手に引き込もうとしていたのはアッシュだけであり、レプリカであるルークは『捨て駒』『屑』などと罵倒されていた。この世界でヴァンがどう考えているかはまだジェイドには分からないが、いずれにせよ彼が超振動の力を欲していることは事実。その点で、2人に注意の言葉を掛けたサフィールの判断は正しいと言えよう。
 だが、大人たちの都合を子どもたちは知る由も無い。

「分かっている。誰が戻るか」

 帽子を被ったままのアッシュは眉間にしわを寄せ、ぎりと歯を噛みしめた。二度とナタリアの側を離れまい、と彼は心に決めている。

「──師匠」

 ほんの僅か眼を細め、ルークが呟いた言葉は風に流れて消えた。自身をジェイドの攻撃をかわす盾にされたことも知らぬままに、彼は未だ剣の師に対する尊敬の念を消すことは出来ていない。


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