紅瞳の秘預言51 啓示

 ダアトの執務室で、イオンは矢継ぎ早にペンを走らせていた。ユリアシティに宛てた降下済みの外殻大地に住まう民の保護依頼、降下近辺地域の治安維持命令、そしてヴァン・グランツの破門状と言った書類をしたため、朱印を捺す。封筒を蝋で閉じた後配下を呼び、至急と言うことでそれぞれの宛先へと発送させた。ヴァンの破門状に関しては、神託の盾本部の掲示板にも理由を明記して掲示される。その理由に挙げられたのは神託の盾の私物化と、そして和平交渉の大使であったキムラスカの王族及びマルクト皇帝名代の殺害未遂だ。フォミクリーの悪用とキムラスカ王族であるアッシュの誘拐は、ルークの存在を鑑みて罪状には連ねないこととした。

「……これでも、ついて行く兵士は多いんでしょうねえ……組織の再編も考えなくてはいけませんか」

 そう呟きながらペン先のインクを拭き取ってイオンは、軽く肩を揺すった。生まれて2年ほどにしかならないレプリカの身体はオリジナルよりも体力劣化が酷く、少しのオーバーワークがすぐ体調に響く。それでもこの少年が文書をまとめ上げたのは、それが自分と離れ戦っているルークやジェイドたちの力になると考えていたからだった。
 導師の身体には些か大きすぎる椅子から軽く跳ねるようにして降り、壁に掲げられたタペストリーに視線を向けた。そこには音叉の形を模した、聖なる符が織り込まれている。
 しばらく身じろぎすらもしなかった小柄な身体から、やがて朗々と言葉が紡がれた。

「血の色を瞳に宿せし者、世界を救った焔を取り戻すために全てを捧ぐ」

 ふわり、とイオンの身体を柔らかな光が包む。その光を反射するかのように、タペストリー全体がぼんやりと淡い光を放ち始めた。

「己の魂を焔への薪としてくべたその者は、やがて光に解ける。その光は預言ならざる預言として、時の環を戻りその者の心に封じられる」

 目を閉じ、言葉を奏で続けるイオンの胸元に、小さな光の粒が生まれた。音も無く掲げられた少年の掌の中で、光は形を持ち凝縮していく。

「預言者ならざる者は、預言の光に砕け散るであろう──」

 イオンが瞼を開いたとき、彼の手の中には小指の爪ほどの大きさに凝結した譜石があった。それをきゅっと握りしめ、小さく息を吐いてから少年は改めてタペストリーを見つめる。光を保ったままの紋様とは裏腹に、疲れ切った少年の顔には暗い影が被さっていた。

「──始祖ユリア。生まれて間も無く私が見るようになったこの預言は、貴方が残した第七預言とは違います」

 現在のイオンが生を受けたのは、たったの2年前。己の長くない寿命を知ったオリジナルのイオンがヴァンと結託し、身代わりとして作り出した7人の内の最後の1人だった。
 導師のスペアとしてではあるが自我をほぼ構築し終えた頃、イオンは1つの預言を見るようになった。会ったことも無い人が嘆き、悲しみ、死する未来を。
 人の死を預言として詠むことは禁じられている。それも、相手は知らぬ者である。それをわざわざ探し出すことも無いだろう、とイオンはその預言を胸の内に秘め、淡々と今まで生きて来た。
 2年の時を経てマルクト皇帝の使者として彼が現れるまでは、感情すらも表に出すことが無かった。
 第七譜石に刻まれた惑星の終焉の預言を目にするまでは、自身の見たもののみが世界の未来だと考えていた。
 けれど、ユリアの遺した第七譜石に刻まれていた預言はそれよりもずっと悲惨だったのだ。それに比べれば……と考えてしまってからイオンは、その思いを振り払った。

「これは何なのですか? 私の預言と貴方の預言、どちらが真の未来を詠んでいるのですか?」

 譜石を握りしめた拳を突き出し、イオンは問う。
 少年の問いかけに答えるように、世界から『彼女』はその姿をにじみ出させる。
 遠い子孫であるティアと良く似た姿の、聖女と呼ばれたただの少女。
 彼女は佇んだまま、音によらぬ声で囁きかけた。

 貴方は、分かっているのでしょう?
 私の預言も貴方の預言も、変えることの出来ない未来を示しているわけでは無いってことに。

「ええ、分かっています」

 イオンは大きく頷く。譜石を胸元に引き寄せて、そっと見つめた。
 大詠師モースを頂点とする大詠師派とは異なり、イオンはその絶対性には疑問を持っている。彼の前に現れた2つの『預言』は、彼の考えを肯定するものであった。

「預言と言うものは本来、生きる者たちの指針となるべき存在です。確定された未来を紡いだものでは無い……そのような存在であれば、紡ぐ意味すら無い」

 変えることの出来ない未来ならば、そもそも預言として記される必要は無い。示されるか否かに関わらず、世界は強制的にその未来へと進んで行くのだから。
 つまり、預言とは未来の1つの可能性を示すものでしか無い。人がその未来を選びたく無いのであれば、そうならないように努力するべきであるとイオンは常日頃からそう考えていた。

「それに私は、このような未来を受け入れることは出来ません」

 自身が詠んだ、ユリアのものとは異なる預言をイオンは脳裏に思い起こす。その預言によれば世界が終わることは無い……けれど、イオン自身にとって大切な者が奪われて行く未来。

「確かに、世界から見ればこれはちっぽけなことかも知れない。けれど、私は」

 少年の言葉の後を引き取るように、ユリアはゆったりと頷いて唇を動かした。

 私も、ローレライも、どちらの結末にも納得していないの。
 だけど、私たちには直接に力を行使することは出来ない。
 私は既に死し、世界にさほどの影響を与えることも無い。
 彼は今、地核に座している。不用意に動けば、預言成就を待たずして星が消える。

 そう呟いた聖女の美しい顔に、悲痛な表情が宿る。対する導師の幼い顔は、怒りに満ちていた。

「我々がいます。いずれの未来も望まないのであれば、我々がより良い未来を造ります」

 凛とした声を張り上げ、イオンはユリアを睨み付けた。精一杯目を見開き、床を踏みしめて。握りしめた手の中には、望まぬ未来の一欠片。

 聖女が見たものはマルクトが滅び、キムラスカが滅び、星が終わる結末。
 導師が見たものは、それとは違う終わり。
 星の滅びは免れたけれど朱赤の焔が消え、彼を追うように紅瞳の譜術士が散った結末。

 光に解けるジェイドの最期の笑顔を、イオンは忘れることが出来ない。
 そして、彼と行動を共にしているうちに少年は、その表情を現実にしてはならないと言う思いを胸に抱いた。
 今、この世界に生きているジェイド・カーティスは、闇雲にイオンの知る『未来』へと向かっているような気がしてならなかったから。
 だからと言って、ユリアの預言通りに世界を進める訳にも行かない。その先にあるものは、星そのものが砕け散る終末なのだ。

「これは現在、オールドラントに生きる我々が解決すべき問題です。キムラスカとマルクト、そして我らローレライ教団が一丸とならねば世界は終わる。そして、共に旅をする私たちが力を合わせなければ、彼が終わる」

 故にイオンは、心に決めた。自身はどちらの未来も選ばないと。
 星を護り、彼を護り、皆で幸せを掴むべく努力するのだと。
 だから彼は、敢えてダアトへと戻った。ローレライ教団の最高位にある者として、すべきことを行うために。

 ──お願い出来ますか? 愛しい子。
 私は、彼が世界の中で奏でる歌をずっと聞いていたい。

 聖女が、ほっとしたように笑みを浮かべた。ティアよりも達観した、それでいてとても良く似ている笑顔を目にし、イオンもまた表情を綻ばせる。

「もちろんです。私は……いえ、私も、我が友も、きっと彼に世界にいて欲しい」

 手の中にある、自分が生み出した譜石をそっと胸に当てる。そこに刻まれた預言は叶えてはならないものだけれど己の力の凝縮とも言えるそれは暖かく、とくりと鼓動を刻むように瞬いた。

 導師の居室に至るためには、専用の呪を以て譜陣を開かねばならない。
 『ユリアの御霊は導師と共に』
 現在その呪に指定されている言葉の通り、始祖ユリア・ジュエの思いは導師イオンと共にあった。


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