紅瞳の秘預言52 相反

 到着したベルケンドの街中では、遠く街の外から眺めたときよりも多くの兵士たちが走り回っていた。思わず帽子を深く被り直したアッシュの姿を彼らから隠すように、ナタリアとガイがその両脇を固める。
 ジェイドは青の軍服が目立たぬよう、羽織っているマントの前を掻き合わせた。その背を守るようにサフィールが歩み寄る。サフィール自身も現在はマルクト皇帝直属の身であるが、軍服を纏い死霊使いの名で知られたジェイドと違い彼は外部的には未だ神託の盾六神将の1人として見られるはずだ。故に、キムラスカの領内で姿を晒していても問題は無いだろう。
 先頭に立つルークはちらりと自身の纏っている服装を見下ろした後、襟元をただしてきっと前を向いた。並んで歩いているティアの腕の中にいるミュウの頭を1つ撫でてやると、少しは緊張がほぐれたような気がする。
 少年が今着用しているのは、愛用の白いコートよりもずっと重量のある黒い詠師服。普段アッシュが身に纏っている物だ。ルークの白いコートを着ているアッシュは、前回この街を訪れたルークがしていたのと同じように大きめの帽子を被り、独特の色を持つ髪を隠していた。

「俺は今アッシュ……アッシュだぞ」
「ええ、そうね。気をつけてね?」

 ぼそぼそと口の中で呟くルーク。ティアは意図的に彼の名を呼ぶこと無く、一言だけ言葉を掛けた。
 モースが全く気づかなかった2人の区別を、神託の盾の一般兵士が出来るとはとても思えない。彼らがルークに話しかけてくることがあれば、それはつまりアッシュに用件があるからだ。

「アッシュ師団長!」

 と、兵士が1人駆け寄って来た。彼はルークの目の前でぴたりと止まると、ぴしりと敬礼をして見せる。思った通り、彼はルークをアッシュだと思い込んでいるようだ。モースの時もそうだったが、それほど自分たちは似ているのだろうかと2人の焔は同時に心の中で同じことを考える。

「主席総長より、顔を見せ次第出頭しろとのご命令が出ております」
「主席総長?」
「あらら。ヴァン総長、まだいたんですか」

 眉をひそめたルークをフォローするように、サフィールがさりげなく言い直す。それでルークは、ヴァンがアッシュを呼びつけているのだと言うことを理解した。
 突然割り込んで来た男の顔を見て、兵士は一瞬訝しげな表情をした。だがすぐに、彼が『死神ディスト』であることに気づいたらしい。背筋をぴんと張り、掛けられた質問に素直に答える。

「はい。ですが、バチカルより大罪人の処刑が本日行われると言う連絡が入りましたので、終了後大詠師をダアトまでお送りするために明日にはこちらを発つとのことです」
「はあ、なるほど」

 一瞬顔をしかめた子どもたちには目もくれず、サフィールはつまらなそうに頷いた。兵士の言葉に、ルークたちのバチカル脱出が未だここまでは伝わっていないことを知る。
 もっとも、オールドラントで最速の通信手段と言えば鳩である。そして、ルークたちはその鳩よりも早く空を行くことの出来るアルビオールを使ってベルケンドまでやって来た。つまり、まだヴァンはルークたちが無事にバチカルを逃れたことを知らない。ルークたちの王城脱出後すぐにモースやキムラスカ上層部が鳩を放ったとしても、まだこの街には到着していないのだから。

 ま、良いでしょう。
 こちらにはアッシュがいますし、ヴァン総長も下手を打つことはしないでしょうね。

 そして、サフィールは更に思考を巡らせる。
 ジェイドの知る『前回』、バチカルから脱出して来たルークたちは徒歩でイニスタ湿原を通ってこの街までやって来た。当然既に彼らの情報は伝わっていた訳だが、ルークたちを追って同じくベルケンドまで辿り着いたアッシュの機嫌を取るためにヴァンは、ルークたちに手を出すことはしなかった。
 ヴァンにとってアッシュは、『レプリカ計画』の最重要となる駒の1つである。最終的な目的を達成するために、その超振動の力が必要となるからだ。超振動はルークにも扱えるのだが、ヴァンはルークを出来損ないのレプリカと見下している。故に彼は、アッシュを手元に引き込もうとするだろう。
 そのアッシュは『今回』ルークたちに同行している。それをヴァンが知れば、下手にこちらへ手出しをして来ることは無いはずだ。こちらがセフィロトを操作していることを例え知られたとしても、最終的に両極のゲートを手中にした側が勝利となる。そこまではヴァンも、こちらを泳がせておくつもりだろう。彼はセフィロト操作にだけ意識を取られている暇は無い。自らに呼応する兵力を集めたり、外殻大地をレプリカに置換するために必要な大規模フォミクリー機関を製造するなどの作業にも追われることになるのだ。

 かなり甘く見られていますよねえ。ま、その間にこちらはせいぜい頑張らせていただきますよ?

 薄い唇の端を引き、笑みを浮かべてサフィールは小さく頷く。それを見て取ったように、ルークはゆっくりと頷いた。声を少し低く出したのは、アッシュに似せるためか。

「……ああ、分かった。すぐに行く」
「よろしくお願いします。主席総長は特務師団長をずっとお待ちかねでいらっしゃいましたから。それからディスト師団長」
「はい?」

 不意に己の名を呼ばれ、サフィールは慌てて眼鏡の位置を指先でずらしつつ向き直る。が、兵士が次に口にした言葉を聞いて僅かに眼を細めた。

「レプリカ研究室で少々問題が発生しております。師団長の指示を仰ぎたく」
「問題、ですか?」
「はい。ワイヨン鏡窟の崩壊により、フォニミンの生産計画に支障が生じております。スピノザ博士が是非、師団長にご相談したいと」

 そこまで話が進んだところで、銀の髪を揺らしながらサフィールは満足げにほくそ笑んだ。
 グランコクマに戻る前、ベルケンドに立ち寄ったルークたちの前でその報告がスピノザにもたらされたことをサフィールは、ジェイドから聞いて知っている。だが、アルビオールを入手する道すがらサフィール自身がスピノザの元を訪れたことは、どうやらヴァンには知られずに済んだようだ。
 そして、かの技術者がわざわざ銀髪の学者を名指しで呼び出すと言うことは、つまり。

「分かりました。すぐ向かいます」
「よろしくお願いします。では、自分はこれで」

 無造作なサフィールの言葉を受けて、兵士はもう一度敬礼をした後すぐに走り去って行った。その背が見えなくなったところでくるりと振り返ると、同行者たちの視線が自分に集中しているのが分かる。

「おい、ディスト。スピノザが何の用だ?」
「大丈夫なのですか?」
「さあ。もしジェイドの邪魔をするつもりなら徹底的に叩きのめすつもりですけど」

 不機嫌そうに顔を歪めているアッシュとは対照的に、サフィールは上機嫌だ。青年と、彼に不安げに寄り添う金髪の少女の問いをさらりとかわした彼を、真紅の瞳がじっと見つめている。

「……サフィール」
「多分、私たちの勝ちですよ。ジェイド」

 手を伸ばし、ぽんと幼馴染みの頭に手を置いた。過去においてはまず行うことの出来なかった、親愛の情を示す仕草。軽く手を滑らせて撫でてやってからサフィールは、そっと手を降ろした。

「じゃ、先に行ってますね」

 ひらひらと手を振りつつ、サフィールはすたすたと足早に去って行く。その背を見送りながら、ガイは不思議そうに首を傾げた。

「……何がこっちの勝ちなんだ?」
「さあな。奴の考えなんざ理解出来てたまるか」

 ふんと鼻を鳴らしながら、アッシュが軽く首を振る。帽子からほんの数筋こぼれた真紅の髪が、その動きに合わせてゆらゆらと揺れた。
 グローブを外していないせいで青いジェイドの手が、自身の頭にそっと当てられた。ほんの一瞬そこにあった感触を追うように、きゅっと手を握る。

「……」

 しばし呆然としていた端正な顔に、穏やかな笑みが浮かんだ。
 ジェイドにも、サフィールの言葉の意味は理解し切れていない。だが彼が自分に『勝ち』を宣言したと言うことはつまり、今後ジェイドとその同行者たちに降りかかって来るであろう問題のどれかに解決策が見えた、ということだろう。
 だからサフィールは、足取りも軽くスピノザの元へと向かったのだ。万が一、と言う可能性もあるが、ジェイドは意図的にその可能性を脳の奥底へと閉じ込めた。
 サフィールの離反は、おそらくリグレットあたりが気づいているはずだ。その報告がヴァンに上がっている可能性も高い。ならばヴァンは、彼がジェイドに従いルークやアッシュたちと道を同じくしていることも分かっているだろう。ルークたちと同じく彼の動きを見過ごすことで、ヴァンがアッシュの機嫌を取ろうとする可能性は高い。
 また、『レプリカ計画』にはフォミクリーの存在が必須である。サフィールはその技術における第一人者であり、故にヴァンは彼をそれなりに優遇するだろう。サフィールかジェイド、そのどちらかの協力が無ければオールドラント表層全域の複製などと言う大事業の完成は望めないのだから。

 楽天的……過ぎますかね?

「なあ、聞いていいか?」

 ふとジェイドの脳裏に浮かび上がった疑問文は、ルークが口にした別の疑問によってかき消された。

「何です?」
「どした?」

 『生みの親』と『養い親』が同時に視線を移したその先で、ルークは朱赤の髪をがりがりと掻いていた。そうして、困ったように眉尻を下げつつ首を傾げる。

「ヴァン師匠、どこで待ってるんだ?」

 そう言えば、『前回』は神託の盾兵士に連行されましたっけ。

 思わず目を見張ったジェイドと、額を抑え込んだガイ。ティアとナタリアはお互いの顔を見合わせて肩をすくめる。そうして、アッシュはあからさまに大きく溜息をついて、前方に見える建物へと顎をしゃくった。

「……ディストについて行きゃ良かったんだよ。第一音機関研究所の奥に、奴は執務用の部屋を持ってる」





PREV BACK NEXT