紅瞳の秘預言52 相反

 2度目の訪問になる研究所の中は、前回よりもざわついているようにルークには思えた。アッシュに教わったとおり、一番奥に1つある部屋の前まで辿り着いて少年は、一度足を止めた。

「……アクゼリュス以来、だな」

 扉にそっと手を置いて、ぽつんと呟く。彼が最後に見たのはアクゼリュスセフィロトの最奥部、パッセージリングの安置された空間。
 思い出せる最後の光景こそは己をモノとして見下す冷たい瞳だったけれど、その直前まで彼は確かにルークにとって尊敬すべき師だったのだ。

「ルーク……」
「……ああ、悪い悪い。入るよ」

 その師の実妹であるティアの視線に気づき、ルークは無理矢理に笑顔を作った。それからぐっと拳を握り、扉を軽く叩く。返事を待たずにノブを回し、少年を先頭に一行は室内へと入った。

「失礼します。師匠!」
「む……」

 執務机の前に座り、書類をチェックしていたらしいヴァン。その横には、リグレットが寄り添うように立っている。2人は唐突に開かれた扉と、そこから姿を見せた朱赤の焔に鋭い視線を投げかけた。

「何だ、偽者か」
「追い返しますか」
「そうだな。邪魔だ」

 ほんの僅か間があって、ヴァンはつまらなそうに吐き捨てた。リグレットの事務的な問いとそれに対する投げやりな返答に、ルークは奥歯をきりと噛みしめる。
 そのルークを押しのけるようにして、アッシュが帽子を頭からむしり取りながら歩み出た。溢れ出る真紅の髪を認め、ヴァンの目が僅かに見開かれる。

「ヴァン!」
「何だ、お前もいたのか。余計なものまで連れて来ずとも良かったのだぞ、アッシュよ」

 ルークに見せた表情からは一転、誇らしげに笑むヴァンの顔を見てアッシュとジェイドは、同時に苦々しげに顔を歪める。ガイは思わず拳を握り、ティアとナタリアも眉をひそめた。空色のチーグルは全身の毛を逆立て、警戒の姿勢を取っている。
 この男は、レプリカを主体とする大地の創造を夢見ながらレプリカであるルークを蔑視している。それが、彼らには気に食わない。
 ヴァン・グランツにとって『レプリカ』と言う存在は、あくまでも既存物の代替でしか無いのだろう。
 目の前に、そうでない例があると言うのに。

「余計などと言うな。俺の仲間たちだ」

 ヴァンを真正面から睨み付け、アッシュは低い声で唸る。その手の中でしわくちゃに握りしめられた帽子が、彼の怒りを示していた。

「仲間、か」

 が、相対するヴァンは小さく鼻で笑うだけ。その全身から漂う感覚に、この男が余裕を持って自分たちと相対しているのだと言うことをジェイドは把握する。

 『前回』と同じですね。今、グランツ謡将と戦うのは得策ではありません。

 薄く眼を細めたジェイドを睨み付けるリグレット。譜業銃に手を掛けようとしたが、ヴァンの「構わん」と言う一言に彼女はその手を止めた。それを確認してからヴァンは、今一度アッシュへと向き直る。

「アッシュ、私の仲間に戻る気は無いか? 私と共に、新しい世界の秩序を作ろう」

 そう呼びかけながら彼は、アッシュへと手を伸ばした。
 差し伸べられた大きな頼りがいのある手を、昔のアッシュやルークならばきっと取っただろう。ヴァンの言う『新しい世界の秩序』が何であるか、知る前ならば。

「戻る? は、ふざけんな。人を籠絡しておいて仲間呼ばわりとはな、反吐が出る」

 だが、今の彼らはジェイドやサフィールから事実を知らされている。アリエッタやスピノザの言葉から、ヴァンが何を企んでいるのかも薄々感付いている。故に、焔の子どもたちがその手を取ることは無い。

「てめえなんぞに誰が協力するか。あいにくだが俺は、もうてめえに従う気はこれっぽっちもねえよ。超振動の力も渡さねえ……俺も、ルークもな」
「……アッシュ」

 自分と良く似た声で名を呼ばれて、ルークははっと目を見張った。アッシュにはっきりと名を呼ばれたのが、初めてだったような気がするから。厳密に言えば以前に一度だけアッシュはルークの名を呼んだことがあるのだが、その時は騒動の最中だったせいかルークの意識には残っていなかった。
 だが、彼らを目の前にしているヴァンにはルークの行動は視界に入っていないようだ。いや、最初からルークの存在など歯牙にも掛けていなかったのかも知れないが。

「兄さん、何を考えているの? 外殻大地を崩落させようとするなんて!」

 ルークに寄り添うように立っていたティアが、一歩足を踏み出して来た。実兄と恩師を睨み付けるその瞳には、それでもまだどこかに彼らを信じたいと言う光が宿っている。彼女にとってもヴァンとリグレットは、尊敬の対象であったから。

「私はただ、この世界をユリアの預言から解放したいだけだ。ティア、お前にはそれが理解出来ないのか」

 ティアに視線を移したヴァンの表情には、どこか困惑の感情が入り交じっているようにジェイドには思えた。彼にして見れば、崩落を目の前にしたアクゼリュスから救出したい程度には愛情を持って接していただろう実妹のこの態度を、受け入れたくは無かったのだろうか。
 いずれ、世界が終わるときには殺すつもりだったとしても。
 だが、そんなジェイドの思いが外に漏れ出ることは無い。故にアッシュは、ヴァンに食ってかかるように声を張り上げた。

「ユリアの預言と外殻大地の崩落と、どう関係があるんだ? 説明して貰おうか、ヴァン」
「分からないのか、アッシュ。この世界はユリアの預言に支配され、汚染されている。その預言を詠む力を世界に与えているのは、地核に存在するローレライだ」

 第七音素意識集合体・ローレライ。その名を出され、アッシュとその同行者たちは僅かに顔をしかめた。
 彼らにして見れば、かの存在は自分たちに力を貸してくれる味方と言って良い。またルークとアッシュ、そしてティアには預言じみた夢を見せ、未来からの警告を与えてくれている。
 だが、その存在の名を口にしたヴァンの表情からは余裕が消えていた。それは、憎しみにも近い表情。

「ローレライを消滅させねば、世界がユリアの預言から解放されることは無い。そのためには超振動を使い、預言に汚染された外殻大地とローレライを消し去る必要がある」

 そうしてヴァンは、自らの口から己が企図する計画を言葉にした。『記憶』を持つジェイドとサフィールから話を聞いていたアッシュ以外の仲間たちは、こうやって彼の陰謀をはっきりと耳にするのは初めてだろう。

「そんなことをすれば、多くの民が死にますわ。預言どころの話では無くなってしまいます」
「預言に縛られた人類など、ただの人形。預言の無い世界に今の人類は必要無い、全てをレプリカで代用すれば良いのだ」

 ナタリアの悲鳴じみた反論にも、ヴァンは冷酷な言葉を返す。彼の声が紡いだ『代用』の単語に切り返そうとしたジェイドよりも先に、ガイが言葉を吐き捨てた。

「レプリカは代用品じゃ無いだろう。馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しい、か……では問おう。ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」
「……!」

 その名を呼んだヴァンに、全員の視線が集中する。ジェイドとリグレットは感情の無い瞳で、ガイは反感を籠めた瞳で。そして、他の全員は何故ヴァンがその名を知っているのかという驚愕の瞳で。
 今はガイ・セシルを名乗る金髪の青年が、この世界に誕生したときにつけられた名前を。

「ホドが消滅することを知っていながら、それを見殺しにした人類が愚かでは無いと?」
「……それは……確かに、な」

 問いを投げかけられたガイは、一瞬だけ眉をひそめた。ちらりと視線を向けた先には、紅瞳の軍人がいる。感情を失った端正な顔は、青年を見返すことも無くほんの僅か俯けられた。

 ホドにあった研究所の所長は、私でした。ホドの崩壊は私のせいでもあるんです。

 今でもガイは、彼の言葉の真意を知らない。ホド崩壊にジェイドの研究所が関係していたとしか、状況の把握も出来ていない。
 それでも、もう彼には分かっていた。例え復讐を果たしたところで、彼の古い記憶にある故郷ホドはもう帰ってこないのだと。

「私の気持ちは、今でも変わっていない。かねてからの約束通り、貴公が私に協力するのならば喜んで迎え入れよう。どうだ?」
「かねてからの約束……? ガイ、どういうことですの?」

 だが、その思いを断ち切るように続けられたヴァンの言葉に、ナタリアがはっと青年の顔を振り返った。2人の焔たちも、驚愕の表情でガイに視線を向けている。ヴァンは勝ち誇った表情を浮かべて、間接的に自らの出自を明かす言葉を口にした。

「ガルディオス伯爵家は、代々我らの主人であったのだ。ファブレ公爵家で再会したその時より、ホド消滅の復讐を誓った同志」

 だから、恨むなら私にしてください。

「……その誓い、取り消させて貰う」

 ガイは背筋を伸ばし、かつての守り役を見つめながらはっきりと告げた。そのままゆっくりとジェイドの側に歩み寄り、彼の肩に手を置こうとして一瞬動作が停止する。ややあって、その手はぽんとマントで包まれた背中を叩いた。どうやら、ジェイドの左肩にはまだ気を使っているらしい。




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