紅瞳の秘預言52 相反

「例え復讐を果たしたところで、父上や姉上が帰って来る訳じゃ無い。逆に、他の誰かに復讐の種を植え付けるだけだ」

 そうしてガイは、ヴァンへの言葉を続ける。それはきっと、これまでの旅の経験が彼に言わせたものだろう。
 だが、ガイよりも長い人生経験を持っているはずのヴァンは僅かに唇を歪め、反論の言葉を紡ぐ。

「世界を生まれ変わらせることが出来れば、お父上や姉上もお戻りになられる」
「本人じゃ無い。お前がファブレの家からアッシュを奪いルークを戻したように、同じ姿の別人が新しく生まれるだけだ」
「そうだわ、兄さん。レプリカは誰かの代わりじゃ無いのよ」

 ガイの言葉に続き、ティアも短いながら反論を叩きつける。ナタリアも言葉こそ口にしなかったけれど、友人たちの言葉にしっかりと頷いた。

「グランツ謡将。貴方はレプリカと言う存在の意味をはき違えておられるようですね」

 そして、ジェイドがゆっくりと口を開く。一度2人の焔たちに、優しい笑みを投げかけてから。

「レプリカはその生まれ方こそ違え、れっきとした一個の人間です。ルークとアッシュが別の人間だと言うことを、貴方は2人の成長をその目で見て知っているはずだ」

 朱赤の髪を持ち、ティアに淡い想いを寄せ、明るい性格に育ったルーク。
 真紅の髪を持ち、ナタリアと心を交わし、思慮深い性格に育ったアッシュ。
 確かに姿は良く似ているけれど、彼らを知る者からして見ればこの2人を同一視することの方がおかしく思えるだろう。それなのに、2人の成長を間近で見ていたヴァンはそのことを理解出来ていない。

「それがどうした。その屑はあくまでも、キムラスカとファブレの目をごまかすためだけに作られた粗悪品に過ぎん」
「その発言、撤回して!」
「ご主人様を悪く言うなですの!」

 故に放たれた罵倒の言葉に、ティアが反射的に杖を構えた。その腕から飛び降りて、ミュウも精一杯に声を張り上げる。そうして子どもたちも、武器こそ構えはしなかったけれど鋭い敵意をヴァンに向けた。
 ほぼ同時にリグレットが銃を抜き、教え子であった少女に照準を合わせた。ヴァンは小さく溜息をつくと、軽く手を水平に振る。

「下がれ、リグレット」
「ですが、閣下!」
「構わん。こやつら如き、私には造作も無い」

 副官の強い調子の言葉にも、あくまでそれまでの口調を崩さないままヴァンは返して見せる。リグレットはしばらくの間動きを止めていたが、やがて銃を降ろした。
 ジェイドは彼らの動きをじっと見ていたが、リグレットが引いたのを見て再び口を開いた。その視界の端には、2色の焔の髪が映り込んでいる。

「ユリアの預言は絶対的なものではありません。アクゼリュスの崩落後もこの子たちがこうやって生きているように、未来は変えることが出来るんです」

 鉱山の街と共に滅ぶ、と預言に詠まれた『聖なる焔の光』。その名を生まれもって付けられた子と、身代わりとしてその名を背負った子は、外殻大地から鉱山の街が姿を消したその後もちゃんと生きている。
 その意味を、ジェイドは少しでもヴァンに理解して欲しかった。出来得ることならば彼にも、『記憶』とは異なる未来を選んで欲しくて。

「ローレライも、そして恐らくはユリア・ジュエも預言とは違う未来を望んでいる。貴方がやろうとしていることは、ただ悪戯に星の寿命を縮めるだけでしかありません」
「預言を知らぬ癖に何を言う。星の記憶の強制力は、容易に逃れ得るものでは無い」

 だがヴァンにとって、『ユリアの預言』は絶対的な力を持つものであるらしい。それ故彼は強情にそう言い張り、世界を複製品に造り替えることで預言からの脱却を図ろうとしている。この点、どちらかと言えばヴァンの思考はモースを初めとした大詠師派に近いのだろう。

「それでも、変えることは出来るんです。私は、知っていますから」

 その思考を少しでも変えてくれるなら……と言う僅かな望みを、ジェイドは言葉の形にして吐き出した。

 鉱山の街と共に滅ぶと詠まれながら生き延びた、焔の子どもたち。
 死の運命をはね除けた、太陽の光を髪に持つ皇帝。
 そうして星も、国すらも滅ぶことは無かった。

 ジェイドが『覚えて』いる『記憶』は、アッシュとルークが成人の儀を迎えたその時期まででしか無い。あの後、『前の世界』がどのように歴史を刻んだのか彼は知らない。だが少なくとも、『覚えて』いる限り世界はユリアの預言とは異なる道を進んでいた。
 一度出来たことなのだから、もう一度出来るはずだ。

「ティア。武器を引いてください。今の私たちは、彼を相手にするには分が悪い」

 ずっと杖を構えたままの少女にそう呼びかけると、ティアは「……分かりました」と不満げな表情を浮かべつつも杖を降ろした。そして、小走りにルークの側に駆け寄る。

「ヴァン。ここは互いに引こう、良いな?」

 ナタリアに服の裾を引かれる感触を覚えながら、アッシュが口を開いた。ジェイドが『分が悪い』と言うからにはそうなのだろう、と彼なりに考えてのことだ。

「よろしいのですか」
「良い。アッシュの機嫌を取ってやるのも悪くは無いだろう」

 リグレットに答えたヴァンの台詞は、まるで我が子のわがままを仕方無く聞いてやる父親と言った風だ。これでも彼なりの譲歩なのだろうが、そう考えているのはヴァン自身だけでしか無い。

「……閣下のお話は終わった。速やかに立ち去りなさい」

 小さな溜息と共にリグレットは、招かれざる客人に退去の許可を与えた。


 ばたん、と音を立てて扉が閉ざされた。複数の足音が遠ざかって行くのを待って、ヴァンはリグレットに視線を向け直す。

「リグレット」
「は」
「……ジェイド・カーティスは、お前の名を知っていたのだったな」
「はい。はっきりと、私の名を呼びました」

 上官の問いに、彼女はしっかりと頷いて答えた。

 口を慎みなさい。ジゼル・オスロー。

 アクゼリュスへ向かう親善大使一行との接触を図った折に、確かにジェイドはリグレットの本名を呼んだ。今では二つ名である『魔弾のリグレット』の方が通りが良く、ジゼルの名で彼女を呼ばわる者はほとんど存在しない。彼女の部下のほとんども、リグレットが本名で無いことを知らないだろう。

「ラルゴも、名を呼ばれたと言っていたな」

 無謀には突っ込みませんが、こう言う方法もありますよ。──バダック。

「はい。シンクの出自も、どうやらどこからか情報を手に入れて知っていた模様です」

 ザレッホ火山の火口は……怖かったですよね。助けに行けなくて、済みませんでした。

 ラルゴの本名であるバダックも、シンクがかつてザレッホ火山に投棄されようとしたレプリカであることも、その事実を知る者はこの世界には手の指で数えるほどしかいないのでは無いだろうか。だが、『死霊使い』の名で呼ばれる紅瞳の譜術士は何の迷いも無くそれらの言葉を口にした。

 私は、知っていますから。

「あの男……何を知っていると言うのだ。預言士でもあるまいに」
「調査させますか」

 ぼそりと呟かれた言葉の真意を汲み取りかねて、リグレットはそう提案した。だがヴァンは、僅かの思考の後に軽く首を横に振る。

「いや、構わん。マルクトの皇帝を刺激する材料にはなるだろうが、あの皇帝はいざとなれば懐刀も切り捨てるだろう。それではわざわざ手を割いた意味が無い」
「では、如何致しますか」
「あれらはセフィロトを再起動させるために世界を巡っている。ならば、向こうからこちらの懐へ飛び込んで来る。それを待てば良い」
「了解しました」

 手早いヴァンの指示に、従順に頷くリグレット。その彼女にも聞き取れぬほどの微かな声で、ユリアの血を引く男は呟いた。獰猛な肉食獣の笑みを浮かべつつ。

「ジェイド・カーティス大佐。いずれ、招きを受けて貰うぞ。貴方には是非とも聞きたいことと、聞いて貰いたいことがあるのだよ」


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