紅瞳の秘預言53 一念

 1人裏通りに踏み込んだガイの前に、足音を立てることも無くヴァンは姿を見せた。剣を携えていないところから見て、青年の首を取るためにこの場にいるのでは無いだろう。

「ようやく、呼び出しに応じてくれたか……ガイラルディア様」
「まあな」

 真の名で呼ばれながらも、ガイは素っ気なく言葉を返す。互いが剣を構えたとしても届かないほどの距離を置いて立ち止まった男の顔を真正面から見据え、ひとつ息を吐いた。

「……悪いな、ヴァンデスデルカ。確かに俺は、父上や姉上の無念を忘れた訳じゃ無い」
「それは知っている。ファブレ家に掲げられた宝剣を見上げる貴公の姿、幾度か目にしたことがあるからな」

 互いにほとんど感情を交えぬまま、言葉を吐き出す2人。僅かに握りしめられたガイの手だけが、彼の思いを示している。
 だが、その手はすぐに解けた。そのまま腰に手を当てて、ガイは少しだけ口の端を上げる。

「だけど、過去だけを見ていても先には進めない。俺たちは今に生きて、未来に進もうとしているんだから」
「預言とは異なる未来に向かうためには、今の人間では駄目なのです。預言から解放された人類……即ち『レプリカ』に世界を委ねなければ、星は滅ぶ」

 対してヴァンの表情はどこか硬く、言葉の端々に何者かに対する敵意が見え隠れしている。吐き捨てるように紡がれた言葉をガイは、肩をすくめながら聞き届けた。そして、ヴァンが口を閉ざすのを見届けてから小さく首を振った。

「そう思い込んでるのはあんたくらいのもんさ。旦那も言っただろ? ローレライもユリアも、星が滅ぶ未来なんて望んじゃいない。そうでなけりゃ、アクゼリュスを救う手助けもしてくれなかっただろうさ」

 ガイの最後の一言に、ヴァンが一瞬目を見開いた。眉根を寄せ、信用出来ないと言う表情で己の主だった青年の顔を凝視する。

「ローレライが、手助けをしたと? 馬鹿な、あれが人の助けをするなどとは……」
「お前が考えているほど、ローレライは悪い奴じゃ無いぜ」

 少し言い過ぎたか、とは顔に出さず、ガイは苦笑を浮かべた。この男が自分の言葉だけで己の信条を翻すなどとはガイは思っておらず、故に余計な情報を彼に与える気は無い。
 だがせめて、このくらいは伝えるべきだと青年は思った。

「預言は変えられるんだよ、ヴァンデスデルカ。俺たちは、そのことを知っている」

 預言は変えられる! 貴方は何も知らないから、そんなことを!

「『死霊使い』ジェイドに丸め込まれましたかな? あれこそが、ホドを破壊した張本人だと言うのに」

 アクゼリュスの地下でジェイドが叫んだ言葉は、ヴァンの心の端に引っかかっていた。もっとも、彼にしてみればホドの仇である男の、戯れ言にしか思えないその言葉を受け入れる気は毛頭無い。

「らしいな。ホドに旦那が所長を務めていた研究所があった、ってことは聞いたよ。研究内容も」

 くすりと笑みを浮かべ、ガイは肩を揺する。一度目を閉じると思い出されるのは、眠るジェイドの首元に残った微かな鬱血の痕。あの時は理性が生きていたから、手を止めることが出来たのだけれど。

「だから俺は旦那に刃を向けたよ、シンクのカースロットでな。旦那に対するわだかまりが完全に解けた訳じゃ無い、って自覚は今でもある」

 理性を失い、敵意と殺意に支配されてガイはかの軍人に刃を振り下ろそうとした。正気を取り戻した後聞いた話では、ジェイドは自分に対しほとんど反撃を仕掛けることは無かったと言う。アッシュが彼を守り積極的に反撃を仕掛けていなければ、恐らくガイはジェイドを血の海に沈めていたことだろう。

「それでも今の俺は、旦那と肩を並べて進んで行く自信がある。そして、ルークたちと共に預言とは違う未来を造る道を選ぶ。お前が世界を滅ぼすつもりなら、一緒には行けない」

 ガイに、ジェイドを殺そうとした罪滅ぼしと言う意識は無い。そもそも故郷を滅ぼした元凶とも言える相手なのだから。
 しかし、彼が望む『預言とは異なる未来』を目指す思いは同じだ。ガイにとって憎むべき相手はジェイドやファブレ公爵であり、キムラスカと言う国やまして惑星オールドラントでは無い。ヴァンのように、世界ごと滅ぼすなどと言う思想には到底ついて行けない。
 故にガイは、ジェイドが進んで行こうとしている道を共に行くと決めていた。以前からそのつもりではあったけれど、ヴァンの企みを知ったことでその決意はさらに強固なものになっている。

「残念です。貴方は私が剣を捧げた主。同じ道を進んでいただきたかった」
「俺に剣を捧げたって言うなら、命令を聞いてくれてもいいだろう? ヴァンデスデルカ、今すぐ馬鹿な真似はやめるんだ」

 それでもせめて、自身の守り役であったこの男にもう一度考え直して欲しい。その思いが、ガイに説得の言葉を紡がせた。無論、即座に彼が首を振ることは想定の内にあったのだが。

「聞けませぬ。ガイラルディア様」

 やっぱり、そうだよな。

 思った通りの答えに、ガイは軽く髪を掻いた。ここからはもう、彼と同じ道を歩むことは出来ない。

「そうか。ならば、剣は今この時を以て返す」

 故にガイラルディア・ガラン・ガルディオスは別れの言葉を口にした。

「……さらばだ。次にまみえるときは互いに敵同士、貴公が主であったことは忘れ本気で行かせて貰う」

 ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデもまた、決別の言葉を紡ぐ。そうして彼は、その場から歩み去って行った。二度と、主であった青年を振り返ること無く。


 ガイは、去り行くヴァンの後ろ姿をじっと見つめていた。その背中が見えなくなったところでくるりと振り向いて、建物の影に向けて声を投げかける。

「聞いてたんだろ、ルーク」
「うぇあ!? ご、ごめん!」

 建物の間を縫うように走っている細い路地から、ルークが転がるように出て来た。さすがにミュウは連れて来ていなかったが、その気配はガイにも容易に拾えていた。ヴァンが気づいていたかどうかは、分からない。

「その、ほんとごめん。気になっちまって」
「ま、あんな話を聞いた直後だしな」

 本人は気づかれていないと思っていたようで、ルークは狼狽えている。苦笑しつつガイが朱赤の頭を撫でてやると、少しは落ち着いたようだ。じっと、自分より上にある青年の顔に視線を固定している。
 ややあって少年は、おずおずと口を開いた。

「……ガイ。お前、ほんとにずっと前から師匠と知り合いだったんだな」
「ん? ……ああ、まあね」

 頷いてしまってからガイは、そんな内容の会話をしていただろうかと僅かに首を傾げた。そうしてすぐに、内容よりも互いの態度を見てルークがそう理解したのだと言うことに気づく。この少年は知識が少なすぎるだけで聡いのだと、長い旅路がガイにそう教えている。

 こいつには、ちゃんと話しておかないとな。

「あいつはホドで、俺の守り役みたいなもんだったのさ。今の俺とルークみたいな感じ、かな」
「そうなんだ」

 ルークに理解出来るように、ガイは自分が選んだ言葉を紡ぐ。知識の少なさは外の世界を歩くようになってから改善されつつはあるけれど、それでも7年分の空白を埋めるには時間がまだまだ必要だ。

「ホドが壊滅した時にあいつとは離ればなれになっちまって、互いに相手は死んだって思ってたんだ。だから、ファブレの屋敷で再会したのは本当に偶然だよ」

 当時の記憶を思い出しながら話すガイの顔を、ルークは真っ直ぐに見つめている。口を止め、見返した青年に恐る恐る問うた。

「……それで、一緒に復讐しようって……?」
「ああ。少なくとも最初はそのつもりだった」

 はっきりとガイは答えた。嘘をつくつもりは無いし、今は違うのだと言うことを分かって欲しかったから。故に青年は少年の頭にぽんと手を乗せて、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を続ける。

「アッシュが攫われて、戻って来た……違うな、代わりにやって来たお前の成長を見てるうちにこう、な」

 くしゃくしゃと赤い髪を掻き回すように撫でてやると、ルークはくすぐったそうに眼を細める。白紙状態の頃からルークは、いつもこんな小動物にも似た反応を見せていた。思えば記憶喪失では無く、全くの無垢でファブレ邸にやって来た幼子だったのだから、当然と言えば当然だったのかも知れないが。
 しばらく動いていたガイの手が、ぴたりと止まる。反応して目を向けたルークの視界に、じっと自分を見つめているガイの真剣な表情が映り込んだ。

「……ルーク」
「? 何だ?」

 アッシュよりも幼い、丸く見開かれた碧の眼。この子どもは世界に生まれて間も無い頃から、いつもこの目でガイを見て来た。その7年の記憶が、ルークがガイを信じる根拠となったのか。

 なら俺は、こいつに信じて貰えるだけの人間だったってことか。

「俺を信じてくれて、ありがとうな」
「おう!」

 青年の思いを知ること無くルークが浮かべた笑顔に、ついガイも顔を綻ばせた。


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