紅瞳の秘預言53 一念

 食事を済ませ、ジェイドはサフィールと共に宛がわれた部屋に入った。他の同行者たちが男女別ながら大部屋に放り込まれたのに対し、彼らの部屋は静かなツインルームである。
 手荷物の中から禁書を取り出しながらサフィールは、ベッドに腰を掛け小さく息をついているジェイドに声を掛けた。

「ジェイドはこれ、読まなくても良いんじゃないですか? どうせ、内容は『覚えて』るんでしょう?」
「ええ。『前回』読みましたから」
「だと思いました」

 予想通りの答えに、満足そうに頷く。古い書物をテーブルの上に無造作に置いたまま、サフィールはすたすたとジェイドの側まで歩み寄る。

「なら休んでください。そのつもりで私はこの部屋割りを選んだんです」
「え?」

 意外なサフィールの言葉に、ジェイドは思わず顔を上げた。その額を細い指で軽く弾き、サフィールはレンズの奥で眼を細めながら言葉を続ける。

「禁書の解読をダシにすれば、私たちは皆と違う部屋に籠もれます。これなら貴方も、誰に気を使うことも無くゆっくり休めるでしょう?」

 サフィールがジェイドをたしなめると言う姿は、恐らくピオニーやネフリーの記憶には無い光景だろう。幼い頃のこの2人は、我が道を勝手に進んで行くジェイドの後ろをサフィールが泣きながら追いかけると行った光景がその大半を占めていた。サフィールがジェイドに意見することなど、当時はとても考えられなかったのだ。

「良いですか? 貴方は1人じゃ無いんです。私がいます。ピオニーだっています」

 だが今は、当たり前のようにサフィールがジェイドを諭している。
 『未来の記憶』を得たジェイドが、その『記憶』を覆すために無理をするようになっているから。
 同じ『記憶』を知識として知ることでサフィールは、再びジェイドの友として歩むことを決めた。それはつまり、ややもすれば無謀な道を歩みかねないジェイドを引き留めその力となるためだ。それをピオニーも望んでいるからこそ、サフィールにジェイドの補佐としての地位を与えたのだから。

「ルークやアッシュや、他の皆もいるんです。導師イオンやカンタビレだって、ローレライですら貴方の力になってくれてます。貴方は1人で『預言』や貴方の知ってる『未来』と戦っているんじゃありません。みんなで道を造って、武器を作って、それで戦うんです」

 だから、サフィールは思いの丈をジェイドにぶつける。そうして、ポケットから小さなメモを取り出した。
 ジェイドが知っている『記憶』の中には存在しなかった、小さな紙切れを。

「ほら。これ、スピノザから貰って来ました。『未来』に勝つための武器の1つです」

 そう言って差し出されたメモに、ジェイドは素早く目を通した。内容を理解したのだろう、眼鏡の奥で真紅の瞳が見開かれる。

「……これは!」
「出来ましたよ、大爆発対策。スピノザも、我々の力になってくれると約束してくれました」

 がばりと顔を上げたジェイドに、サフィールは満面の笑みを浮かべ頷いて見せた。
 コーラル城でジェイドから研究資料を受け取り、サフィールはその続きをこつこつと積み重ねて来た。
 グランコクマに護送されピオニーの配下となってから、彼の配慮により研究棟の一部を利用出来たことでようやっと研究の成果は弾き出された。
 スピノザに検証を託したのは、レプリカについて研究しているとは言え元々専門家では無い彼の視点から、その内容を精査して欲しかったからだ。
 そうして、2人の焔たちに未来を与えるための『武器』は完成を見た。

「ルークもアッシュも、それぞれにちゃんと生きることが出来ます。だから、安心なさい」

 そのことを、サフィールは誰よりもまず、ジェイドに教えたかった。故にこのタイミングを利用したわけだが、さすがにジェイドの次の行動を予測することは出来なかっただろう。

「……サフィール!」
「じぇ、ジェイド!?」

 不意に、サフィールの胸元にジェイドがぶつかって来た。首の後ろを回り込むように、腕が伸ばされる。耐えきれず床に座り込んだ彼に、幼馴染みの体重が掛かって来る。
 僅かに間があって、自分がジェイドにすがりつかれていることにサフィールはやっと気がついた。逆は幼い頃に時々あったけれど、この状態は初めてだったせいで状況の把握に時間が掛かったのだろう。

「ありがとう、ございます……良かった、貴方がいてくれなければ私は……」

 サフィールの肩に埋められたジェイドの顔。そこから漏れ出て来る声が震えているのが、はっきりと分かる。それに気づき、サフィールは狼狽えつつぽんぽんとジェイドの肩を軽く叩いた。

「あ、あのですね、何言ってんですか」

 やっとの事で引きはがされたジェイドは、泣きそうな笑みをその端正な顔に浮かべていた。慌てて早口になりながら、サフィールは思いを言葉にして叩きつける。

「貴方が『未来』からあっちで頑張っていた研究の結果を持って来てくれたから、こんなに早く検証まで終わったんですよ。それに、同調フォンスロットの解放を貴方が止めてくれたから、時間的にも間に合った。全部ジェイド、貴方のおかげなんですよ」

 さらさらの長い髪を何度か指で梳いてやると、ジェイドは落ち着いたのか無言のまま小さく頷いた。反応があったことにほっと息をついてサフィールは、子どもに話しかけるように意識してゆっくりと言葉を紡ぐ。

「明日、落ち着いたところでみんなに話しましょうね。どうせ貴方、ルークには大爆発のことは言って無いんでしょう?」
「……貴方、アッシュには言ったんですか?」
「ええ。怒られましたよ、ルークと自分を一緒にするなって」

 ほんの少しの疑問が、今のサフィールには嬉しくてならない。ジェイドが少なくとも自分の言葉を聞いてくれている、と言うことが分かるから。

「でもま、こうやって解決策も見つかりましたし。ちゃんと説明して対処しましょう。この辺りは私の顔が多少は利きますからね。響律符も差し当たっては私の手持ちで何とかなりますから、安心してください」
「……はい」

 そして、サフィールが結論として伝えた言葉に、ジェイドは一言だけで応えた。


 書物をどうにか読み終えたところで、サフィールは一度紙面から目を離した。ちらりとベッドを伺うと、密やかな寝息が聞こえる。
 しおりを挟んで禁書を閉じ、椅子から腰を上げた。そのまま足音を立てないようにしてベッドサイドまで歩み寄り、そっとジェイドの寝顔を覗き込む。
 譜業眼鏡を外していると、ただでさえ若作りと言われるジェイドの端正な顔は余計に幼く見えた。

「……良く、寝てますねえ」

 ほんの僅か我が身を抱え込むように身体を丸めて眠っているジェイドは、サフィールの手が頬に触れても目を覚まさない。乱れた髪の毛を掻き上げてやりながらサフィールは、小さく溜息をついた。

「ほんと、疲れてたんですね。私の気配にも気づかないなんて……」

 枕元で呟かれた言葉にも、ジェイドの反応は無い。それを確認して、サフィールは銀の髪を揺らしながら窓際に足を進めた。譜石帯が僅かに覗く空を見上げた彼の表情は、ジェイドを見ていたときとは打って変わって負の感情で歪んでいる。具体的には、怒り。

「ローレライ。聞いていますか? ああいや、返事は結構です。私もジェイドと一緒で第七音譜術士じゃありませんから、あなたの声は聞こえません」

 彼の口から漏れ出た言葉にも、同じ感情が含まれていることがはっきりと分かる。軽く握った拳で窓枠を殴った動作にも、また。

「第七音素と言うものは、既存の6種の音素にオールドラントのセフィロトから吹き出した記憶粒子が結合して生み出されるもの。即ち、『星の記憶』をその中に刻み込んだ音素と言っても良い」

 窓の外に見える夜のベルケンドは、昼よりも静かではあるもののやはり喧噪に包まれている。白い鎧が走り回っているのは、ヴァンの出立の準備に追われているからだろう。

「『星の記憶』……つまり『預言』は遠い昔から、この星が滅ぶ未来に至るまでの『記憶』です。当然、その中には『未来の記憶』と言えるものが含まれている。ジェイドの持ってる『未来の記憶』も、恐らくは『預言』の一部に該当するのでしょう」

 サフィールが1人紡ぎ続ける言葉は、窓の外に漏れることは無い。そもそも言葉を聞かせたい相手は人では無く、意識集合体と呼ばれる存在である。故に恐らく、声にさえ出していれば『彼』の元に言葉は届いているのでは無いだろうか。ローレライに、第七音譜術士では無い人間の声を聞く能力があれば、だが。

「預言士じゃ無いジェイドが何故そんなものを持っているかはこの際、さて置きます。どうせ、貴方が何かしたんでしょうからね。そうで無ければ、貴方がジェイドを気に掛ける理由は思い当たらない」

 サフィールがレンズと窓越しに睨み付けるのは、空では無く地面。創世暦より伝わる前史が真実ならば、そしてジェイドの知る『未来』によるならばローレライは音譜帯では無く、地核にその身を置いているから。

「確かに、ジェイドと仲直り出来たことには感謝してますよ。だけど……その代わり、ジェイドがおかしくなってしまいました。あんなに自分に自信を持っていたのに、今のジェイドは自分が無力なんだって思い込んでしまっている」

 どん、と重い音を立てて壁が震えた。サフィールが、拳を握って殴りつけたためだ。身体をほとんど鍛えないまま年齢を重ねた彼の拳に、さほど力は無かったけれど。

「ローレライ。私は、ジェイドにそんな『記憶』を渡した貴方が大っ嫌いです」

 地を這うような声で、サフィールは吐き捨てた。


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