紅瞳の秘預言54 方策

「で、技術者の皆さんに会いに行く前にもうひとつ」

 ぱん、と乾いた音が室内に響いた。周囲の視線を一身に集めた銀髪の学者は、同行者たちの顔を一通り見渡すとその視点を朱赤の焔に止める。じっと見つめるその視線が先ほどまでとは全く違う真剣で冷徹なもので、ルークはびくりと身体を震わせた。

「実は、大変重要なお話があります。ルークとアッシュのことなんですが」
「ルークが、どうかしたんですか?」

 眼鏡の位置を直しながら、サフィールは感情の無い言葉を紡ぐ。ティアがルークの様子に気づいたのか、そっと寄り添い腕を取った。

「大爆発、と言う現象があります。全く同じ振動数を持つオリジナルとレプリカ……つまり完全同位体の間に起きる現象なんですがね」
「あ、前にそんな話したことあったっけ。な、アッシュ」
「良く覚えていたな」

 続けられたサフィールの言葉に、ルークに頷いてやりながらアッシュが露骨に眉をしかめる。彼は『今回』サフィールから大爆発の何たるかについてを聞かされているはずだから、その内容をルークを初めとした他人に知られることに不快感を持ったようだ。
 それでも、『前回』のように真実を知らぬまま結末を迎えてしまうよりはよほど良いのだけれど。

「ものすごく要約すると、オリジナルがレプリカを乗っ取る現象です。この2人の場合、アッシュがルークの身体に構成音素ごと乗り移る形になります。ルークの記憶だけは残りますが、人格はアッシュになります」

 一方、サフィールは淡々と説明を続けた。一度言葉を切ったのは、ジェイドを除く全員の表情が驚愕と憎悪を露わにしたからか。他人の感情には疎い彼でも、さすがにこの人数が相手ではやり過ごすわけにも行かなかったらしい。
 もっとも、溜息を小さく1つついただけで説明は再開された。

「理論上起きることが分かっちゃいたんですが、これまで実例がありませんでね。それが、ジェイドの方の資料に実例の観察記録があったんですよ。それを使わせていただきました」
「ええ。偶然ですが誕生したことが2度ほどありましたから」

 サフィールの説明に、ジェイドは言葉少なながら補足を加えた。無論、この2度とは『前回』のルーク、そしてチーグルのスターのことである。『戻って』来てからジェイドが実際に動物実験を行ったことは、一度たりとも無い。

「それで、ディストの旦那。わざわざそんなことが起きるなんてことだけ教えて終わり、じゃ無いよな?」

 しんと静まりかえった室内の、冷えた空気を破ったのはガイの言葉だった。それがきっかけだったのか、仮面のようだったサフィールの顔がにい、と薄くではあるけれど普段通りの笑みを浮かべる。ふふんと鼻息も荒く胸を張り、腕を組む姿はこれまた相変わらずと言って良いだろう。

「当然でしょう? この問題はフォミクリー、そしてレプリカに関する問題です。それに関しちゃあオールドラントで一番詳しい、私とジェイドがここに揃っているんですからね」
「え? そうすると、もしかして……」
「ええ、解決方法はちゃーんと見つけました。ジェイドと私に感謝してくださいね!」

 ぽかんと目を丸くしたルークの髪をぐしゃぐしゃといささか乱暴に掻き乱しながら、サフィールは上機嫌に笑う。ひとしきり掻き回して満足したところで手を放し、くるりと自慢げに指を回した。半ば涙目になりながら髪を整えているルークのことは、さっさと意識から消したらしい。

「まず、そもそも大爆発が起きる原因と言いますか、理論からお話しします」

 そこからひとしきり、ツインルームはサフィールの独壇場となった。

 完全同位体と言う存在は、その振動数から見れば全く同一の個体だ。そのためか、お互いの身体同士が、相手を自分だと誤認することがある。
 もっとも、振動数が全く同じとは言え音素構成はまるで異なっている。
 ルークとアッシュを例に取ると、オリジナルで第七音譜術士でもあるアッシュの音素構成には第一から第七まで全ての音素が含まれている。元々個人が持っているそのバランスが崩れ、一部の音素のみが極度に増減を起こすことで音素乖離や精神面の不調と言った症状が出て来る。
 一方、ルークはサフィールが造り上げた譜業により生まれた生体レプリカ。そのため、彼の肉体構成に使われているのは第七音素のみである。初期に誕生したゲルダなどのレプリカは既存の音素で構成されていたが、理性の消失や凶暴化と言った欠点があったため現在ではこの方法は使用されていない。
 さて、第七音素の特性として他の音素よりも乖離しやすい、と言う点が上げられる。これについては原因は解明されていないのだが、ローレライが地核に存在しているため同種である第七音素を引き寄せる力が強いからでは無いか、と言う仮説が研究者の支持を得ているようだ。
 つまり、レプリカの肉体を構成している音素結合はオリジナルのそれよりも弱い。何かの弾みでその結合が更に弱まったとき、レプリカの肉体はその結合をどうにかしてフォローしようとする。もし、その状態のレプリカと同じ振動数を持つオリジナルが相応に近い場所にいた場合、そして互いのフォンスロット同士が同調した場合、レプリカの肉体はオリジナルの音素を使って自身を再構成しようとし始めるのだと言う。
 『前の世界』でアッシュとルークの間に結ばれていた、アニス曰くの『便利通信網』。それはつまり、2人のフォンスロットを同調させることにより音素のやり取りを可能にし、それに乗せて心の声を伝えると言うものだった。現在ローレライと子どもたちの間で結ばれているのも恐らく、原理としては同じだろう。
 だが、その存在が2人の焔の間に起きる現象を促進させたのだ。ジェイドが『未来』で続けていた研究の途中結果でそれは分かっていたことだから、コーラル城で彼はサフィールを止めた。あの時ルークを庇っていなければ、サフィールは何も知らぬアッシュの目論見通りに2人のフォンスロットを同調させていただろう。

 そこまで説明されたところでそれに気づいたのか、真紅の焔がごくりと息を飲んだ。それに気づいたのかどうかは分からないが、サフィールの説明はなおも続いた。

「一旦流れ込む道筋がつくと、オリジナルの構成音素はどんどんレプリカ側へと流れ込みます。その結果、オリジナル側には音素乖離の症状が起こります」

 幼馴染みの紡ぐ言葉をぼんやりと聞きながら、ジェイドは『未来の記憶』を思い返していた。
 ジェイドの知る『前の世界』で、ある時期からアッシュはどこか生き急いでいるような態度を取ることが多くなった。今考えてみれば、あの頃には既に音素乖離が起こり始めていたのだろう。あれは確か、ケセドニアでイオンと別れた後すぐだったから……サフィールに頼んでフォンスロット同調を止めていなければ、『この世界』でも既に手遅れだったのかも知れない。

「一方レプリカ側ですが、こちらもせいぜい音素乖離の症状が出て来るくらいでしょうかね。オリジナルが第七音譜術士であった場合、まずレプリカ側に流れ込むのは第七音素ですから、身体検査をしても多分分からないと思います」

 同じ時期のルークには、何らかの症状が出たような形跡は無かった。だから、ジェイドも気づくことは出来なかった。アッシュがおかしなことを尋ねて来た時に、推測することは出来たはずなのに。

「そうして、オリジナルを構成する音素がその肉体を構築する限界を越えたところで、最終段階になります。オリジナルの構成音素が一気にレプリカ側に流れ、その肉体を再構築します。ここで一旦、オリジナルは死ぬことになります」

 ジェイドは、その最終段階を目にすることは無かった。恐らく自分たちと別れ、『鍵』を以てローレライを解放したその後に再構築は行われたのだろう。その時ジェイドを初めとした仲間たちは既にエルドラントを出て、遠くから光の柱が空へと立ち上るのを見つめていただけだった。

「ですが、再構築されたレプリカの構成音素の割合はほとんどオリジナルのものになっています。そもそもレプリカの音素乖離を補修するのにオリジナルの音素を使うんだから、当然と言えば当然ですが」
「つまり、直前までいたはずのルークが消えて、そこにはアッシュがいるってことか」
「そう言うことですね」

 難しい顔をして唸ったガイに、平然とサフィールは頷いてみせる。『記憶』のせいかどうしても彼らに入れ込んでしまうジェイドとは違い、あくまで第三者的な立ち位置にいるサフィールの説明は冷静で、それ故に事態の深刻さを仲間たちに思い知らせた。

「で、その時にレプリカの意識はオリジナルに上書きされて消滅します。脳みそもオリジナルのものが再構成されますからまあ、当然でしょうか。ただ、レプリカ個人の記憶はどうやら差分と見なされるらしく、再構築されたオリジナルの中に残ります」

 そこまで言いきって一度口を閉じ、サフィールの細い指が今一度眼鏡の位置を直した。それからゆっくりと、室内を見回す。すっかり沈み込んでしまった空気をどうやら読めていないらしい彼は、薄い唇の端を引き再び口を開いた。今サフィールが紡いだ説明の言葉は、この後に続くためのものなのだから。


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