紅瞳の秘預言54 方策

「さて。こう言った原理が分かれば対策も掴めると思うのですが、どうです?」

 そう問われ、子どもたちはあっと気がついた。その中で、生来の真面目さ故かずっと考え込んでいたティアが、おずおずと口を開く。その腕の中で大きな目に涙を湛えているミュウの頭を、ゆっくりと撫でながら。

「みゅうう……ご主人様もアッシュさんも、大丈夫ですの? 死んじゃったりしないですの?」
「大丈夫よ、ミュウ。そうね……ルークの音素乖離を防ぐこと、かしら」
「2人のフォンスロットの同調を防ぐのも重要だよな。音素が流れ込む道になるんだろ」
「距離を取れば良いのでしたら、症状が出る前にアッシュとルークを引き離す……と言う方法もありますけれど常識的な方法ではありませんわね。それに、私は嫌ですわ」

 明るい金の髪を持つ2人が顔を見合わせて頷く。その様子をにこにこ笑いながら見ていたサフィールは、ちらりと親友に視線を向けた。

「ジェイド、この子たちみんな頭良いじゃ無いですか。私は安心しましたよ」
「貴方の説明が分かりやすかったからですよ。少し長すぎた嫌いはありますが」
「済みません。癖なんです」

 淡い笑みを浮かべつつジェイドが言った台詞に、幼馴染みの学者はぺろりと舌を出して頭を掻いた。
 ジェイドは『前回』、ガイに説明役を押し付けることが多かった。子どもの頃から、自分の説明では周囲がついて来られないと言うことが多々あったからなのだが。

 馬鹿と天才紙一重と言いますけれど、私は単純に馬鹿なんでしょうね。

 自分の知っている言葉を周囲が理解出来ない、それがかつてのジェイドには分からなかった。今にして思えば、それは自分が周囲を理解していなかったからだと言うことなのだろう。つまり、自分が馬鹿だから。
 今回サフィールが受け持ってくれた大爆発に関する説明は、その時間こそ長かったものの内容は子どもたちにもそれなりに分かりやすいものだった。だから、その内容から子どもたちも対策を考えつくことが出来た。
 ジェイドに出来たことは、ピオニーやサフィールに『未来』から持って来た情報を渡したことだけだと自身は思い込んでいる。それと、せいぜいルークやティアの身体に害が及ばないような研究を進めたこと。

「音素乖離については、軍で処方される薬があります。ただ、それでは単なる対症療法にしかなりません」

 その1つである音素乖離の特効薬は、現在マルクト軍に正式採用されている。戦闘時に行われる譜術という名を借りた激しい音素の応酬が、譜術士や歩兵の構成音素に影響を及ぼすこともあるのだ。

「ですから、ルークの身体に第一から第六までの音素を定着させて音素同士の結合を強化します。そうして、互いのフォンスロット同士が同調しないよう響律符で調整を行います。これで、大爆発は防げるはずですよ」

 紅瞳の譜術士から情報を受け取り結果を導き出した銀髪の譜業博士は、その成果を端的な言葉で打ち出して見せた。『前回』はついに辿り着くことの出来なかった、2人の焔をそれぞれに生かすための方策。

「大佐。先ほどおっしゃっていたような、音素のバランスとかは大丈夫なんですか?」

 疑問を呈してくるティアに、ジェイドは「大丈夫ですよ」と頷いた。そう言った問題は、研究途上でクリアー済みだ。

「全種を平均的に取り込むようにすれば問題はありません。大爆発の時にもレプリカ側の身体には他の音素が入ってくる訳ですが、それで疾患が起きた事例は無いようですから」
「拒絶反応は起きないのか? ほら、ジェイドは第七音素を取り込んだら駄目じゃん」

 次に声を上げたのはルークだった。未だに気にしている事柄に、事情を理解していないサフィール以外の全員が苦笑を浮かべる。ジェイドも少しだけ微笑んで、答えを口にした。

「逆は大丈夫なんですよ。拒絶反応を起こす要因は、どうやら音素と記憶粒子が結合したときに起きる音素の変異にあるようでして。身体検査の時に様々な種類の音素をフォンスロットから取り込ませることがありますが、これまでルークがそれで問題を起こしたことは無いでしょう?」
「あ、そーいや。医者がうちに来て調べんだけどさ、特に何かあるってことは無かったぜ」

 自分の経験を思い出して、ルークは頷く。タタル渓谷に飛ばされるまでファブレの屋敷から出たことの無いルークの健康診断のために、わざわざ医師が自宅に招かれていたようだ。
 しばらく考え事をしていたナタリアが、ぽんと自分の手を叩いた。

「なるほど、分かりましたわ。第七音譜術士の素質というのはつまり、音素の変異に身体がついて行けるか行けないか、なのですわね?」
「はあ、そうか。要するに、一種のアレルギーみたいなものなのかね」
「そう言うことです」

 納得したように頷いたガイの言葉を肯定したジェイドの視界に、まだ顔をしかめたままのアッシュの姿が映る。どうしたのかと眉を僅かにひそめた彼に、真紅の焔は問うた。

「……ローレライとの間には、大爆発は起こらないのか?」

 それは半ば脅迫紛いにサフィールが言った言葉で、ジェイドは知らない。だから、彼の疑問に対する答えはジェイドでは無く、サフィールの口から発せられた。

「とりあえずは大丈夫でしょう。ローレライ自身の音素結合は意識集合体だけあって強固なものですし、そのおかげでルークやアッシュへの流入も必要以上には行われていないようですから。だから、向こうから話しかけて来るのも必要最小限に留めてるんじゃないですかね」
「……そうか」

 良かった、と言う単語は吐息にかすれ、ほとんど聞こえなかった。だが、ナタリアがほっとした表情でアッシュに寄り添ったのを見れば彼が安堵の言葉を口にしたことは誰の目にも明らかだ。

「本音を言えば、ローレライを音譜帯に解放してやれば万全なんでしょうけど。距離を離すことで、彼が第七音素を引っ張る力が弱まると思いますし」

 当たり前のようにサフィールは、『前の世界』でルークが最期に成し遂げた大仕事を言葉にして紡ぐ。
 いずれ自分たちはプラネットストームを停止させ、ローレライを解放することで世界は預言から解き放たれ、譜術や譜業に頼らない未来へと進んで行く。それをさりげなく、銀の髪の学者は子どもたちに教えた。
 そして、自身の荷物袋から小振りの響律符を2つ取り出した。少し形の違う2つのうち1つを、ぽんとルークの掌に乗せる。

「ま、そんなわけなんでルークにはこれを差し上げます。音素定着と同調防止のための響律符ですんで、ちゃんと身に着けておいてくださいね。アッシュには同調防止のみですから、こちらを」
「あ、うん、ありがとうディスト」
「あ……ああ」

 素直に礼を言ったルークに対し、もう1つを押し付けられたアッシュは困惑の表情を隠せない。それでもナタリアに肘でつつかれて、囁くような声で「……恩に着る」とだけは口にした。そんな焔たちの目の前に、今度はジェイドが小さな箱を置いた。軍で扱われている薬であることが、その箱には記されている。

「音素乖離の薬をお渡ししておきます。1日1回、必ず飲んでください」
「後は私かジェイドが定期的に体調をチェックして経過を見ます。注意事項を守ってくださればこれまで通り生活していただいて構いませんが、他の皆さんも一応気をつけてあげてくださいね」
「みゅ! ボク、ご主人様がお薬忘れないように気をつけるですの!」

 ジェイドに続いたサフィールの言葉に最初に応えたのは、耳を大きく立ち上げたミュウだった。どうやら、ルークが無事で済むと理解出来たことで機嫌が直ったらしい。

「そうね。お薬と響律符、忘れちゃ駄目よ? ルーク」
「わ、分かってるって! 自分の生命が掛かってるんだぞ、ぜってー忘れねー!」

 こちらは深刻な表情のティアに顔を覗き込まれ、ルークは僅かに頬を赤らめながら喚くように答えた。ぷいと視線を逸らす表情はどこかアッシュにも似ていて、どうやら照れくさいのだと言うことが分かる。
 そのアッシュはナタリアに詰め寄られて、やはりルーク同様頬に朱を差していた。

「アッシュ。貴方も忘れてはいけませんのよ? 分かっていますわね?」
「忘れる訳無いだろうが」

 ルークが見た『夢』の中で、自分はルークを食い潰して生き長らえた。恐らく『夢』の世界では、大爆発は完遂されてしまったのだろう。
 それを現実にしてしまえば、その後に続くジェイドの最期をも現実にしてしまう可能性は格段に高くなる。そんなことは、誰も望んでいない。

 あの夢を、現実にするわけにはいかねえんだよ。

 ジェイドが目の前にいるために言葉に出来ない思いを、アッシュは心の中だけで呟いた。

「よし。それじゃ、アッシュとルークの問題についてはこれで一応解決、と」

 アッシュの思いを知らないガイは、努めて明るい口調でその場をまとめた。彼なりに、まだ重苦しい空気を入れ換えようとしたのだろう。

「一応かよ、ガイ」
「当たり前だろ? お前らがちゃんと薬を飲んで、旦那たちがOKを出すまでは、な」

 うんざりした顔のルークに、にやりと笑って返すガイ。仏頂面のアッシュ以外はサフィールやジェイドも含め、全員が僅かながら笑顔になった。
 これは普段通りの彼らで、つまりガイの意図はそれなりに功を奏したことになる。それに気づいて、サフィールはにんまりと笑みを深めた。
 問題の1つは解決への道を辿り始めた。次は2つめだ。
 3つ、4つとどんどん問題を解決していけば、きっとジェイドはずっと笑っていてくれるから。

「さ、それじゃあ音機関研究所に行きましょうか。とっておきの技術者集団を紹介しますよ、『ベルケンドのい組』をね」


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