紅瞳の秘預言55 思惑

 そのまま研究所内に入った彼らは、サフィールの案内で『ベルケンドのい組』……ヘンケンとキャシーに面会した。ジェイドにとっては『久しぶり』の対面であるが、それを顔に出すことは無い。元気そうな2人の顔を見て、誰にも知られぬように安堵の息をつくだけだ。ちらりと自分の顔を伺ったサフィールには、僅かに唇の端を上げてみせた。
 そうしてジェイドの『記憶』とほぼ同様に、彼らは持ち込まれた仕事の内容とその条件を聞くと首を横に振った。内容自体には興味津々なのだが、ベルケンドのビリジアン知事には秘密にして欲しいと言う条件が問題だったのだ。

「知事に内密で、だと? さすがに受ける訳にはいかんじゃろ」
「そうよ。いくらディスト師団長の仲介とは言え、主席総長にも内密なんでしょう? こっそりやっててあいつにばれたら、どうなることか」

 『前回』と違い、『今回』はサフィールがジェイド側についている。だがそれでも拒まれたと言うことは、この地に対するヴァンの支配力がかなり強いと言うことだろう。
 さらにベルケンドはファブレ公爵の領地であり、知事にルークたちの居場所を知られた場合そのままバチカルに伝えられる可能性が高い。ナタリアとインゴベルト王の和解、そしてヴァンとモースのローレライ教団からの排除が成立するまでは、こちらの動きを知られる訳にはいかない。
 もっとも、い組の彼らに対するガイの対策はいずれの世界でも有効なものである。故にジェイドは、対処を彼に任せるつもりでいた。だから、サフィールが持ち出した禁書は今ガイの手の中にある。

「ふうん。じゃ、良いや。この仕事はシェリダンのイエモンさんたちに頼むかな」

 古い書物の外装をまじまじと見つめながら呟かれたガイの言葉に、ヘンケンが露骨に顔色を変えた。

「な、な、何じゃと!」
「冗談じゃ無いわ! また創世暦時代の貴重な音機関を向こうに取られるって言うの!?」

 キャシーもまた、尋常では無い声を上げがばりと立ち上がる。同行者たちがぽかんと目を丸くする中、にやにやと楽しそうに笑うガイに向かってヘンケンが吠えた。

「よ、よーし分かった! その仕事、受けてやろうじゃねえか!」
「おお、その意気その意気。なら、お願いしたいねえ」

 にい、と満足げな表情をしたガイのウインクに、ジェイドはくすりと肩を揺らした。その彼らの耳に、続けて放たれたヘンケンの言葉が飛び込んで来る。

「じゃが、やはりわしらだけでは何かと不都合があろう。主席総長に話が漏れる可能性もある。ここはやはり、知事を抱き込むのが一番では無いかな?」
「ですが、我々は現在追われる身です」
「そうだな。風に乗れば、そろそろバチカルから早鳩が到着してもおかしくは無い」

 即座にティアが声を上げ、難しい顔をしてアッシュが唸る。一瞬「何で?」と言う表情になったルークが、すぐにその意味に気づいた。量の多い前髪の下の額に、思わず手を当てる。

「……あー、俺やナタリアを捕まえろ、ってか……」
「……お父様……」

 ナタリアが眉をひそめ、思わず顔を伏せる。ヴァンとの邂逅や音機関、ルークとアッシュの大爆発など様々な問題や情報が一度に流れ込んで来たことで少しだけ意識から外れていた記憶が、彼女の中に蘇った。
 自分が、父と信じた王の子で無いと言う事実。

「ナタリア」
「え、ええ。私は大丈夫ですわ、アッシュ」

 だが、自分の名を呼ぶ真紅の焔の声に彼女は再び顔を上げた。少し寂しげに笑みながらナタリアは、アッシュの手をそっと握る。
 彼らの顔を見比べていたキャシーが、顎を指先で掻きながら軽く首を傾げた。癖の無い髪は長い年月を経てそれなりに傷んではいたが、それでも首の動きに合わせさらりと流れる。

「何だい、あんたら指名手配されてるんかい? バチカルで暴れでもしたの?」
「暴れたって言うか、濡れ衣を着せられて処刑寸前で脱出して来たんだよ。モースがうるさくてさ」
「あー。どうせ預言がどうのって話じゃろ、さすがにあれは主席総長も呆れておったな」

 ルークが呆れ声で放った返しに、ヘンケンがうんざりした表情を見せた。どうやら技術者たちにも知れるようなところでヴァンは、モースに対する愚痴を漏らしていたらしい。

 まあ、利用するだけの相手に上司面されて威張られてるんですからねえ。まだまだ若い。

 一瞬だけ目を閉じながら心の中で呟いたジェイドの目の前で、ヘンケンはすぐに気を取り直すとにいと眼を細めた。

「そうか、あの大詠師にも泡を吹かせられそうじゃの。よし、任せおけ」
「それじゃ、すぐに知事と話を付けてくるよ」

 ぽんとルークの肩を叩いたヘンケンと共に、キャシーが部屋を出て行った。その背中を見送ったジェイドが眼を細めているのに気づき、サフィールは軽くとんと互いの肩をぶつける。

「大丈夫ですよ。今回は」
「だと良いんですが」

 『前回』のヘンケンとキャシーの最期を情報として持っているサフィールは、『記憶』として持っているジェイドに笑顔を向けた。
 少なくとも今の時点で、ジェイドの知る『前回』とは細かな状況がかなり異なっている。その積み重ねがきっと、未来を変えて行けるはずだとサフィールは確信していたから。
 しばらくじっと考え事をしていたらしいティアが、禁書をまじまじと見つめているガイの名を呼んだ。普通ならば肩を軽く叩いたりするのだろうが、金の髪の青年が『女性恐怖症』であることは周知の事実だ。

「……ガイ、さっきのあれは何なの?」
「ん? ああ。音機関好きの間じゃ有名だぜ、ベルケンドのい組とシェリダンのめ組の対立」

 にっと白い歯を見せて笑うガイの言葉に、ナタリアがぱちくりと目を瞬かせた。『前回』よりも気分の切り替えが早いのも、やはり心の支えが共にいるからだろうかとジェイドは思う。そのジェイドの隣に立っているサフィールに、ナタリアの視線は注がれた。

「まあ。そうなんですの? ネイス博士」
「そうですねえ。元々双方とも技術者の中では実力派の集団ですし、互いをライバル視していたようですしね」

 ガイと並ぶ……いや、ある意味それ以上の音機関好きとナタリアに認識されているらしいサフィールは、素直に答えながら僅かに考えを巡らせていた。そうして、ぽんと両手を打つとするりとジェイドの横から離れる。そのまますたすたと、ヘンケンたちが出て行った同じ扉へと歩み寄って行った。

「あ、済みません。私もちょっと、呼んで来ます」
「誰をだ?」
「ついでですから、まとめて片付けちゃおうと思いまして。知事のところに行くんでしょ? 先に行っていてください、私も後から向かいます」

 アッシュの質問にはまともに答えること無く、ひらひらと手を振りながらサフィールもさっさと部屋を出て行った。何となくその足取りが軽いのは、誰が見てもすぐに分かった。


 ナタリアの案内で知事公邸に入った一行は、応接室に通された。しばらく待っていると、ヘンケンとキャシーを従えて男が入って来る。その顔を見て、一瞬ルークは身を引いた。

「ナタリア殿下、ルーク様!」

 ベルケンドの知事を務めているビリジアンは、数度ファブレ邸を訪れたことがあるためルークも顔を見知っていた。アッシュも幼い頃に会ったことがあるようで、顔を引きつらせている。そう言えば、拉致される前のアッシュが身体検査を受けていたのは、ここベルケンドであっただろうか。

「ご無沙汰しています、知事」
「はい。殿下におかれましては良くご無事で。先ほどバチカルから早鳩が到着致しましたので、あちらの事情は把握しております」

 ナタリアの緊張に引きつった言葉に、ビリジアンは深く頭を垂れた。だが、その口から漏れた台詞にはルークとその同行者たち全員が一瞬固まる。
 つまり、ビリジアン知事はナタリアがインゴベルト王の娘で無いことも、ルークがレプリカであることも知っているのだろうから。

「大丈夫。話はちゃんとつけといたよ」

 ルークたちの緊張の意味を見て取ったキャシーが、苦笑を浮かべながら手をひらひらと振った。腕を組んで一行を見守っているヘンケンの横で、ビリジアンは僅かに苦々しげな顔を上げる。

「自分は現在、ファブレ公爵の命令通りルーク様とナタリア殿下の捜索に当たっております。故に、この場でどう言った会話が交わされたか、どなたがここにおられたかも知りません。また、捜索を命じられたお2方についてもベルケンド近郊で発見されたと言う報告は受けておりません」

 淡々と言ってのけた知事の言葉の意味を理解して、全員がほっと胸を撫で下ろした。要するに知事は、2人とその仲間たちの活動を見逃すと言っているのだ。バチカルからそれなりに距離のある土地だからこそ、出来ることだろう。

「それでよろしいですね、ルーク様」
「うん。ありがとう」

 言ってしまってから苦笑を浮かべたビリジアンに、ルークは素直に礼を述べる。一瞬アッシュの表情が満足げに綻んだことは、他の誰に知られることも無かった。


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