紅瞳の秘預言56 始動

 未来を見る力の無い子どもたちは、その光景を夢として見た。
 未来を詠むことの出来る子どもは、それを未来からの警告と受け取った。

 光の中に解ける笑顔は、それを見た誰もが忘れることが出来なかった。
 2人の焔も、聖女の血を引く少女も。
 そして、教団の頂点に立つ緑の髪の少年も、また。

「そうですか。貴方がたは、あれを夢として受け取っていたんですね」

 アリエッタとアニスに伴われ、セフィロト視察の名目でベルケンドに降り立ったイオン。第七音素の素養を持つ者たちから『未来の夢』に関する話を聞いた彼は、深刻な顔をして頷いた。その導師の答えを聞いて、ティアが目を軽く見張る。

「貴方がたは……って、やはりイオン様もこう言った内容の夢を?」
「ええ。もっとも僕は、夢では無く預言として受け取っていましたが」

 問いに頷くことで答え、イオンは室内にいる全員の顔を見渡した。
 ここに揃っているのはジェイドが消える『夢』を既に見たルーク、アッシュとティア。そして、これから見る可能性の高いナタリア。それ以外の人物と魔物たちは、この部屋にはいない。
 ヴァンが既に街を離れていたことに、イオンたちは一様にほっと息をついた。下手に鉢合わせしていれば、飛晃艇ごとイオンを奪われていた可能性があるからだ。そして、い組の面々とビリジアン知事の協力を取り付けられたことに胸を撫で下ろす。
 禁書に記されていた譜業の復元に時間が掛かるため、その間一行は準備を進めつつ復元作業を手伝っている。そんな中イオンは、内密に話があるとアッシュから打診を受けた。
 他の仲間たちに話を聞かれぬように青年が選んだのは、街外れに停泊しているアルビオールの仮眠室。ギンジが何も聞かずに貸してくれたその部屋で、イオンは彼らから『夢』の話を聞かされたのだ。

 まさか、僕以外にあの光景を見た者がいるとは思いませんでした。

 心の中で呟いてイオンは、きっと顔を上げる。ここで黙っていても、何も変わりはしない。長い戦いの果てに、あの光景を見ることになるのかも知れないのだと自分に言い聞かせて。

「皆さんも知っての通り、僕は2年ほど前に導師イオンの身代わりたるレプリカとして生まれました。そのための教育を受け、自我を構築して行く中で僕は、1つの預言を幾度と無く受け取っていたんです」
「それが、あの夢か?」
「ええ」

 アッシュの抑えた声に小さく頷く。ベッドの端に腰を下ろしているイオンは、膝の上に置いている自分の手で白い服をぎゅっと握りしめた。

「ざっと聞いた限りでは、ルークたちが見た夢と同じ内容ですね。最後に彼が光になって消えて行く様は、僕も良く覚えています。……預言って、どちらかと言えば言葉が降って来るようなものなんですけどね」

 言葉として紡がれるはずの預言を、映像の形で受け取ったイオン。一度目を閉じるとそこに儚い笑みを見てしまい、慌てて瞼を開く。そして、仲間たちが見守る中言葉を続けた。

「僕は最初、数多に存在する秘預言の1つにしか考えていませんでした。実際にジェイドと初めて会った時も、この人はそうやって死ぬのだとしか思わなかった。人の死を預言として詠むことは許されていないから、彼にこの話をしたこともありません」

 貴方は音素乖離を起こして笑いながら死にます。身体は残りません。

 何度、ジェイドにそう告げようと思ったことか。だが、もしそんな言葉を口にしてそれが現実となったら己はどうするのか……イオンには、それが分からなかった。否、最初は何かをせねばならないのかも分からなかったのだけれど。

「だけど、通常の預言とは何かが違ったんです。どこがどうとは言えないけれど、何か違和感があった」

 導師として表舞台に立ち、乞われて預言を詠むようになったイオンをその違和感は襲った。
 本来の預言とは異なる現れ方をした秘預言を、執務の隙間を縫って何度も思い返す。その度ごとに、違和感は高まっていった。それは、アクゼリュスへ向かう旅の間もずっと続いていて。

「僕が、そして貴方がたが受け取ったのは、第七預言とは違う未来を示した預言だった。それがはっきりしたのは、タルタロスに落下した第七譜石の預言を見た時です」

 恐らくはローレライとユリアからの贈り物だったろう、最後の譜石。そこに刻まれた星の最期に至る歴史は、ジェイドの死を綴った預言とは異なっていた。
 ND2020、既にグランコクマが滅んでいると最後の譜石は言う。
 ND2020、マルクトは滅んでいないと預言は語る。
 異なった形でイオンの前に現れた2つの預言は、それぞれに異なる未来を示していた。

「ジェイド、何だか第七預言の中身知ってたような感じだったな」
「そう言えば……何の迷いも無くあの譜石を始祖ユリアの預言だとおっしゃったわね」

 ルークとティアが、顔を見合わせて頷き合う。難しい顔をして黙り込んだアッシュに視線を向けてから、ナタリアはイオンの顔を見直した。

「それで、イオン様。貴方はどうなさりたいのでしょうか? 私はまだ、その『未来』を見ておりませんから何とも申し上げられないのですが」
「……ここ最近、その預言を思い出す度に胸のこの辺りが、ぎゅっと痛むんです。多分僕は、この預言に成就して欲しくないと思っている」

 1人落ち着いた表情の彼女を見上げたイオンの顔は、どことなく悲しげに見えた。それでもその瞳に、迷いの色は無い。ここに辿り着くまでの旅路の経験が、彼の中に強固な意志を造り上げていたのだろう。

「元々僕は、預言と言うものは遵守されるべきものでは無く道標の1つだと思っています。こうやって異なる未来を示す2つの預言が共存していると言うことは、僕の考えがきっと間違っていないからなんでしょう」
「……そうだな。でなければ、わざわざ未来を詠む必要など無い」

 ぽつりとアッシュが言葉を落とす。全員の視線が己に向けられる中、真紅の焔は軽く髪を掻きながら続けた。

「人間がどう動こうと世界が預言通りに進んで行くのなら、未来を教わる必要性が無い。意味が無いからな」

 アッシュの言葉の意味をしばらく探っていたティアが、ぽんと手を打った。預言と現実との矛盾が明らかになったその時点を思い出して。

「そうか。誰がどう動こうと、ルークでは無くアッシュがアクゼリュスを破壊して、そこで亡くなっていたはずなのね。例え名前が変わっていても、ND2000に生まれて『聖なる焔の光』と名付けられたのはアッシュなんだから」
「でも、この時点でアッシュは既にルークの名を使ってはいませんわ。そしてアッシュもルークも生き延びたことで、預言と現実の間に矛盾が生じた。預言が絶対であれば起きないはずの問題ですわね」
「ええ。また、ルグニカ平野を『来年』北上するはずだったキムラスカ軍は、既に『今年』進んでいます。だからこそ、外殻大地の降下に巻き込まれた」

 ナタリアが続けた言葉にもイオンは頷いた。そう、既に世界は2000年前にユリアが詠み上げた預言からの乖離を始めているのだ。
 その預言に未だしがみついているのはモースを初めとした大詠師派と……そして、ヴァン。
 預言を紡いだ聖女本人の意志をイオンは、既に彼女自身の思いとして聞いている。

 私も、ローレライも、どちらの結末にも納得していないの。

 ──お願い出来ますか? 愛しい子。
 私は、彼が世界の中で奏でる歌をずっと聞いていたい。

「ローレライも始祖ユリアも、2つの預言をいずれかを選ばなければならない選択肢として示したのではありません。そのどちらでも無い、もっと明るい未来へ進んで欲しいと願っている」

 イオンに語りかけたユリアの思いを、導師の少年は代弁する形で口にする。無論それは、イオン自身の思いでもある。

「僕も、力になります。星も滅びず、ジェイドも消えない未来のために」

 そうして自らの思いを紡いだイオンに、子どもたちは笑って頷いた。


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