紅瞳の秘預言56 始動
数日後、い組に呼び出された一行は知事公邸の一室を訪れていた。音機関研究所にはヴァン側の研究員なども残っており、そこから情報が漏れ出すことを恐れてのものだろう。実際、彼らの知らぬところで情報漏洩未遂があったのだからその危惧は間違ってはいないのだが。
い組、中でもスピノザが張り切っている様子はその表情から見てすぐ分かった。ルークをまるで自分の孫のように見ている視線に、ヘンケンとキャシーは苦笑を禁じ得ない。
「ほれルーク。とりあえず、お前さんたちにはこれを渡しておこう」
「ありがとう。これ、何?」
ぽんと気軽に渡された小型の音機関を、ルークは珍しそうにしげしげと眺める。くるくると手の中で回転させているそれを見ながら、スピノザはうんうんと満足げに笑む。
「地核の振動数を計測する装置じゃよ。振動を相殺するためには、固有振動数を知らねば出来んからの」
「そうなのか?」
きょとんと目を見張るルーク。その手からひょいと計測装置を取り上げて、ガイが説明を引き継いだ。
「ああ。ほらルーク、前にティアが譜歌を歌って障気を抑えたことあっただろ。あれと原理は一緒だよ」
「……あ」
そう言われて、ルークははっと思い出した。
フーブラス川を渡って程無い街道の外れ。
襲いかかる白い鎧。
青い背中と、赤い血。
「はい、思い出さない」
朱赤の頭に、ぽんと青の手が乗せられる。その感触と重さに意識を引き戻したルークに、ジェイドはふわりと笑いかけて見せた。
「いつまでも気にしないでくださいね。私がしたくてしたんですから」
「……ごめん。そ、それで?」
慌てて謝り、それでもルークはジェイドの顔を見ていられなくて目を逸らした。
気にするなと言われても、身を挺して自身を庇ったジェイドの傷は未だ彼の左腕に影響を残している。腕を庇うような姿勢は相変わらずで、それは周囲にいる皆も認識していた。ジェイド自身がそれに気がついているのかは分からないけれど。
「……あれは、障気と同じ振動数の譜歌を歌ってぶつけることで障気を打ち消したの」
「そう言えばそんなこと言ってたっけ、ティア。でも、要するにそれと同じことを星相手にやるってことぉ?」
ティアの説明を思い出したのか、アニスが一瞬頷く。が、すぐに目を丸くしてスピノザに視線を戻した。に、と自信ありげな笑みを浮かべたのは彼だけではなく、ヘンケンとキャシーもである。
「そう言うことだ。こいつはなかなか大がかりな作業になるぞえ」
「ふふふ、我ら『ベルケンドのい組』の実力、見せてくれよう」
「バルフォア博士、あたしたちを指名してくれてありがとね。腕が鳴るわ」
「ええ、お願いしますね」
それぞれに拳を握り、力こぶを見せ、指を鳴らす。彼らの実力は『記憶』の中でも存分に発揮されていたから、ジェイドは何の迷いも無く全てを委ねることにしている。
後は、神託の盾の刃から彼らを守るだけ。
「測定装置はこちらでお預かりします。パッセージリングで測定すれば大丈夫ですよね」
青い肩に軽く手を掛けて、サフィールがジェイドの顔を覗き込んで来た。彼なりに、親友を気遣ってのことだろう。感謝の意を込めて、ジェイドは小さく頷いた。
「地核振動がセフィロトツリーを通して伝わっていますからね。最奥部にあるパッセージリングで測定するのが最良の選択でしょう」
『前回』と同じように振動数を測り、それに従い振動停止装置を製作して貰う。それを自分たちが地核に搬入し、地核の振動を停止させて外殻大地を降下させる。それで、とりあえずヴァンの野望を押し止めることは出来る。無論、その後にプラネットストームを停止させなければならないだろうが。
ジェイドの知る『前回』とは違い、既にスピノザは自分たちに力を貸してくれている。だから、ヴァン側への情報漏洩も恐らくは最小限に済んでいるだろう。ゲルダが食らった伝書鳩の一件を、彼らは知らない。
だからきっと、『今回』の方が上手く行きますよ。ジェイド。
言葉にしないまま、サフィールはそう心の中で語りかけた。
しばらく考え込んでいたガイが、ひょいと右手を挙げた。
「なあ。俺、ヘンケンさんたちを手伝って良いかな?」
「おや」
「どうしてだ?」
真紅の目を見張ったジェイドの横で、アッシュも僅かに目を見開いている。その口調がどこかルークと重なって、死霊使いの名で呼ばれた軍人は微かながら頬を緩めた。
そう言えば……ガイがルークを迎えに行くと言ったとき、貴方はこんな反応でしたっけね。
『記憶』に残る1つの光景を思い出しながら笑むジェイドの視界の中で、ガイはどこか嬉しそうに表情を綻ばせながら立てた人差し指を振り回す。
「あんたらにはディストがついてるから、パッセージリングやその音機関に何かあっても何とかなるだろ。俺がこっちを手伝えば、ほんの少しでも開発期間を縮められると思うんだ」
「それに音機関を存分に触れるから、じゃ無いのお?」
「あ、ばれた?」
アニスの茶化しに、芝居がかった仕草で肩をすくめるガイ。元々彼の音機関好きは仲間内では知られた事実だから、それが理由の1つだとして隠す必要は無い。それに、ガイが助力することで空白の時間を短縮することが出来れば、『前回』の惨劇を回避することが出来るかも知れない。
そう考えてジェイドは、い組に視線を向けた。
「なるほど。ヘンケンさんもキャシーさんも、それでよろしいですか?」
「ふむ。若造1人が増えたくらいで大して時間の短縮になるとも思えんが、その意気は買おう」
「そうね。若い子が手伝ってくれるなら、あたしのやる気も増えるってもんさ。スピノザも良いわよね?」
「う、うむ。助かる」
むすっとしながらもその実口の端が緩んでいるヘンケン、上機嫌で大きく頷いてくれたキャシー。そしてスピノザは、安堵したように大きく息をついた。
「そんなら、すぐにでも動いた方が良いよな。いつかは師匠にバレる可能性だってあるしさ」
「そうね。兄さんのことだから、いくつも手を用意してあると思うわ」
「変に手回しが良いからなあ。ラルゴとシンクももうバチカルから動いてるだろうし」
「ラルゴは戦闘馬鹿なところがあるからまだ良いが、シンクがな。俺の監視が解けているから、またぞろこそこそ動き回ってるんじゃねえか?」
ヴァンについてよく知っているルーク、ティア、ガイ、そしてアッシュの4人はそれぞれに眉をひそめ、思考を走らせる。が、結局のところ『こちらも早めに行動する』と言う結論に達するしか無かったのだが。
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