紅瞳の秘預言57 感謝

「でも、そうならなかった」

 ルークが強い口調で放った言葉に、ジェイドは目を見開いた。碧の瞳は力強い光を湛え、真っ直ぐにジェイドを見つめている。その瞳が、ジェイドには眩しくてたまらない。

 ルークとティアが出会い、タタル渓谷に降り立ったところから始まった彼らの旅。
 ジェイドは子どもたちとエンゲーブで出会い、その後仲間を加えながら旅路を必死に導いて来た。
 ユリアの預言が語る未来へも、自身の『記憶』に刻まれた未来へも向かわぬように。
 そうして至った今、少しは異なる道へと進めてはいるはずだ。

 鉱山の街は魔界に降下し、第七音素意識集合体の庇護下にある。
 六神将の半数は明確にこちらの味方となり、共に旅を続けている。
 2人の焔を襲うはずの大爆発には対策が取られた。

 朱赤の髪の子どもは長い髪のまま、心を壊さずに済んだ。

「超振動が起きたときさ、声が聞こえたんだ」

 子どもの声が続いたことで、ジェイドは意識を現実に引き戻された。皆の足は止まり、ルークの話を興味深げに聞いていることが分かる。

「意志よ届け、開けって。今考えると、ローレライが俺とティアをここまで飛ばしてくれたのかも知れない。みんなに会えますようにって」
「そう……なんですか?」

 彼が口にした話を、『記憶』の中でもジェイドが聞いたことは無かった。思わず眼鏡の位置を直しながら問うたジェイドに、ルークは「うん」と大きく頷くことで答える。

「えっらく大変だったけど、そのおかげで俺もみんなもこうやって、世界を救うための旅をしていられる。ジェイドやみんながいろいろ教えてくれたから、俺も家の中だけじゃ分からないたくさんのことを知れた」

 少年は楽しそうに言葉を続ける。その視線が青い服の軍人から外されることは無く、いつの間にか同行者たちの視線も彼に集中していた。それに気づかないのは、当の本人のみ。

「だから俺さ。レプリカだけど生まれて良かったし、ここに飛ばされて来て良かったよ。あんときは土臭いとこ嫌だとか言ってたけどな」

 過去の自分をさらっと笑って見せるルークの髪は長い。風になびくと、毛先の金が日の光を反射してかきらきらと光る。アッシュと違い明るい朱赤である彼の髪は、深い緑の中で咲き乱れる花のように鮮やかだ。
 『記憶』の世界でここに立った時のルークは、既に髪を短くしていた。心のどこかを壊したままの笑顔は幼くて、それでも精一杯頑張ろうと背伸びをしていた少年の姿をジェイドは思い出す。

 そして、もう1つの光景。
 ジェイドが『最後』に見たこの場所は、明るい月の光に照らされていた。
 『成人の儀』のその日に、彼が帰って来ることをほんの僅か信じて、待って──

 ──俺が、食らった。

 帰って来たのは、少年の記憶を胸にしまいこんだ真紅の焔、ただ1人だった。
 『今度』は、あの光景を再現するわけにはいかない。

「……なあ、ジェイド」
「えっ?」

 いつの間にか目の前にまで歩み寄っていたルークに名を呼ばれ、慌ててジェイドは視線を合わせた。じっと自分を見上げて来る子どもの表情は『前の世界』にいた我の強い子どもでも心を壊した幼子でも無く、順当な成長を遂げた少年のものだ。

「俺、変わったかな?」

 短く、言葉の少ない質問。だがその意味を何と無く悟ってジェイドは、素早く思考を巡らせた。そうして、ふわりと微笑む。

「そうですね……最初会った頃の貴方は、わがままなお坊ちゃんでしたっけね」
「やっぱり?」

 くしゃくしゃと髪を撫でてやると、ルークは気持ち良いのか眼を細める。それでも肩をすくめたのは、ジェイドが提示した答えをある程度予測していたからだろう。それはつまり、過去の自分を客観視出来ていると言うことでもあるのだけれど。

「ですが、今の貴方はずいぶん人のことを考えられるようになりました。それは良い傾向だと、私は思いますよ」
「ありがと」

 一呼吸置いてジェイドが続けた言葉に反応してか、少年が照れくさそうに頬を染めた。『前のルーク』を知るジェイドがより良い方に育って欲しいと気を使っていた成果なのだが、それを知るのはここにいる中ではジェイド自身と、そしてサフィールのみ。
 そして、この中で少年の変化を一番良く知っている幼馴染みの少女は、昔を思い出すような表情で頬を両手に当てた。

「そうですわね。最初にルークがバチカルに戻って来たとき、まるで別人かと思いましたわよ」
「そんなに変わったか?」

 ナタリアの言葉に、ルークの目が丸くなった。む、と唇を尖らせて、ナタリアは腕を組むとルークの前に仁王立ちになる。眉がつり上がっているのは、そこまでのルークに対して不満が溜まっていたからだろう。

「だって、行方不明になる前のルークのわがままさと来たらもう、本当に反抗期の子どもでしたのよ? 食事の内容が自分の好みで無いとすぐふて腐れたりしますし、グランツ謡将が神託の盾の任務でしばらく屋敷に来ないと知れば教団を辞めさせろと文句を付けたりもしたそうですわ」
「え、あ、おいナタリア!?」
「ガイがたしなめると、今度はそのガイや止めに入ったペールとも掴み合いになったりしましたの。シュザンヌ様がたしなめれば少しは大人しくなるんですけれども、すぐに忘れておしまいになるから。公爵とはそれで時々口論になって、屋敷の中が気まずい空気になったこともあるとメイドたちが困っておりましたのよ」
「……お前なあ。自己主張が悪いたあ言わねえが、どれだけガキだったんだよ」

 目を白黒させるルークを他所にひとしきりまくし立てられたナタリアの言葉を聞き終わって、アッシュが大きく溜息をついた。幾分肩を落としているように見えて、さすがにルークも言葉が無い。

「うぐ……」
「それで一般常識も教えられていなかったから、店頭のリンゴをお金も払わずに食べたりしたわね」
「だー! いつまで言うんだよ、ティア!」

 ティアに追い打ちを掛けられて、先ほどとは違う意味でルークは顔を赤くする。握った拳をぶんぶんと振り回す少年を『末妹』と共にじっと見ていたアリエッタが、ぱあと表情を明るく変えた。

「ルーク、アリエッタと一緒」
「へ?」
「アリエッタも、最初はお金払うこと、知らなかった。ヴァン総長とアリエッタのイオン様が、ご飯の食べ方とか教えてくれた」
「くるるう」

 拳を振り上げたままの格好で動きを止めたルークに、アリエッタは無邪気に笑いながら言葉を続けた。小さなライガも『姉』に同調するかのように喉を鳴らす。友人の言葉の意味に気づいたアニスが、悪戯っぽい笑みをにんまりと浮かべた。

「あー、アリエッタはライガの女王んとこで育ったもんねえ。ライガはお金で物を買わないし、フォークとナイフでご飯食べたりしないもん」
「要するに魔物並みと言われたわけですね。ルークは」
「あ、アリエッタが覚えられたんだから俺だって出来る!」

 そうして楽しそうにとどめを刺したサフィールに、ルークは思わず身を乗り出しながら喚いた。その頭に、男性のものにしてはほっそりとした手が置かれる。体温が低いのかひんやりとした感触に、一瞬少年の動きと言葉が止まった。


PREV BACK NEXT