紅瞳の秘預言58 仲間

 数度ほど魔物との戦闘をこなしながら、一行はタタル渓谷の奥へと足を踏み入れていた。
 ジェイドはセフィロトの場所を『覚えて』はいたものの、そこに辿り着くまでは道なりに進めば良いため先頭に立つことも無いと考えていた。そのため、戦闘になるとさっさと身を引くサフィールと肩を並べ、いつものようにパーティの最後尾を歩いている。『記憶』とは異なる元気な子どもたちの姿を視界に入れていることで、何となく安心出来るのかもしれない。
 緑の中を視線を巡らせつつ歩きながら、ジェイドはふと『前回』を思い出していた。
 あの時はライガの女王を殺してしまったがためにアリエッタと和解することが出来ず、イオンを迎えに行くために全員がダアトを訪れた。その時出会ったアリエッタの暴走が、ガイに過去の記憶を取り戻させるきっかけになった。
 ファブレ公爵のガルディオス伯爵家強襲時、ガイの目の前で彼を庇って死んだ姉マリィベルやメイドたち。
 5歳の子どもを敵の刃から守るために、その上に折り重なって倒れた彼女たちの遺体。それが、ガイの女性恐怖症のきっかけ。
 『今の世界』では、ガイはまだその記憶を取り戻してはいない。この場にもいないから、崖から落ちかけたアニスを救おうと手を伸ばすことも無い。

 思い出さなければ、トラウマの克服も出来ようがありませんね。
 かと言って、無理に思い出させることも出来ないでしょうし。

 軽く肩をすくめつつ、胸の中で呟く。ちらりと自分を伺うサフィールの視線に気づき、とっさに笑みを作って顔に被せた。

「どうしたんです? 何か気がかりでもあるんですか?」

 取り繕った笑みは、この幼馴染みには通じない。小さくつかれた溜息と共に吐き出された問いに、ジェイドは軽く頭を振りながら本音とは違う言葉で答える。

「……ガイのことですよ。技術者の方々に迷惑が掛かっていないかと」
「あー、そりゃ大丈夫でしょう。彼も状況は良く分かっていますってば」

 明るく返されて、思わず真紅の瞳を瞬かせる。指先で眼鏡をちょいとずらしたサフィールの表情に、暗い影は見えない。その表情のまま、彼は言葉を続けた。

「後ですね、思い出さなきゃいけないことならいつかは思い出します。対処なんぞ、それからでよろしい」
「……っ」

 サフィールの言葉が示す意味を瞬時に悟り、ジェイドの顔色が変わった。それを一瞬だけ不思議そうに見つめてから、サフィールはぺろと舌を出してみせる。

「やっぱりそれでしたか。まだ思い出して無いと言うことは、急いで解決する必要が無いってことなんです。ですからジェイド、貴方が気に病むことなどこれっぽっちもありません」

 一行の最後尾を歩き、声量を落として会話しているためか前を歩く子どもたちに内容を聞かれることは無い。時折『末妹』ライガの尻尾がぱたん、と音を立てて振られるのが気になるくらいだろうか。一瞬だけ魔物に視線を投げた後、サフィールは言葉を続けた。

「貴方の知ってる『前回』より大所帯になってるんですから、どうにでもなりますよ。変なときに思い出しちゃっても、必ず誰かがフォローしてくれますって」
「だと良いんですが……」

 親友から視線を外し、前方を歩く赤い髪を視界に収めながらジェイドは呟く。当たり前のようにティアと並ぶルーク、ナタリアの隣に身を置くアッシュの姿は、『前回』にはほとんど見ることの出来なかった光景。
 その後ろを歩くイオンを挟み、楽しそうに会話を交わしているアニスとアリエッタの姿は、彼女たちの和解が成った『今回』で無ければ見られなかった。
 自分が『記憶』を持っていなければ、この光景を見ることは叶わなかったのだろう、とジェイドは胸の内で呟く。もっともその『記憶』自体、己の無様さを見せつけるものだったのだけれど。
 だが、そんな感情はサフィールには伝わらない。微かな風にさらりと流れたジェイドの髪を一房手に取りながら、その顔をひょいと覗き込む。

「ジェイドって本当、悲観的に物事を見ますね」
「貴方が楽観的過ぎるんですよ、サフィール」

 幼馴染みの手を振り払うことはせず、ジェイドは小さく息をつくに留めた。子どもの頃はいじけて泣いていることが多かったこの男は、いつの間にそこまで性格を変えたのだろうか。

「なら、2人で考えれば釣り合いが取れて良いじゃないですか」

 サフィールが子どもの頃のままの性格であったなら、こんな言葉を返してくることは無かった。ぽかんとその顔を見つめるジェイドに、彼はにっこりと子どものような笑顔を見せる。

「私、自分でも楽天家過ぎる気はしてたんですよ。だから、ジェイドがストッパーになってくれると嬉しいです」
「私で良ければ」

 『記憶』が無ければ、こんな会話もあり得なかった。そのことだけには内心感謝しながら、ジェイドは素直に頷いた。
 ふと下げた視界の端に、空色の毛並みがちらりと映った。それに気づき、ジェイドとサフィールは同時に自分の足元を見直す。

「みゅ〜。ジェイドさん、ディストさん、何お話してるですの?」
 いつの間にか、2人の足元をミュウが歩いていた。大きな丸い目で2人を見上げ、袋状の耳をゆらゆらと動かしながら無邪気に尋ねて来る。

「おや。ルークと一緒じゃ無かったんですか?」
「まあ良いじゃないですか。幼馴染み同士仲良くしましょうね、って話をしてたんですよ」

 ほんの少し目を丸くしたジェイドに対し、サフィールは軽く手を振っていなすとさらりと答えを提示して見せた。確かに、ガイの問題を外して会話の内容を要約すればそう言うことになるか。
 そして、ミュウはサフィールの説明に納得したのかこくこくと頷いた。

「みゅみゅ! 仲良しは良いことですの〜! あ、でもディストさん、もうジェイドさん虐めないですの?」
「しません。何度言ったら分かるんですか、このちんちくりんは」

 不機嫌そうに顔をしかめながら大袈裟に溜息をついて見せ、サフィールは一度屈むとミュウの頭を撫でてやった。みゅ、と一声鳴いたチーグルの顔は嫌がっていないから、力任せと言うわけでは無いようだ。

「おーいブタザル、何してんだよ」

 そのうち、前方からルークの声がした。普段は彼かティアの側にいることの多いミュウの姿が見えないせいで、気になっていたのだろう。

「みゅうう。ジェイドさんたちとお話してたですのー」

 ぱたぱたと主に手を振ってから、金と銀の2人を見上げて来るミュウ。肩をすくめながら立ち上がったサフィールの代わりに、ジェイドは微かに頷いた。

「ほら、行きなさい。ルークがお待ちですよ」
「はいですのー」

 全身を使って頷いて、チーグルが駆け出しかけた。その耳がぴくりと動き、同時に足を止める。その動きを見て、ジェイドが訝しげに眉をひそめた。

「どうしました?」
「みゅ。誰か来たですの」

 ミュウの声に被さるように、ばさりと羽音がした。ミュウの大きな耳がぴんと立ち、同時に小さなライガがぐる、と喉を震わせる。

「うわ、何か来た!」

 ルークの声が響く。反応して思わず武器を構えようとした全員の前に、草を踏みしめながら『それ』が姿を現した。一瞬、ジェイドが目を見張る。

「貴方は……」

 現れたのは、一頭の大型の魔物だった。魔物、と呼ぶには美しすぎるその姿に、皆一瞬見とれてしまう。
 馬にも似た、純白の大きな身体。額に一本伸びる角と、背中にはためく一対の緑がかった青い翼。
 『前の世界』でもこの地で出会ったことをジェイドは思い出し、その名をぽつりと口にした。

「……ユニセロス」


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