紅瞳の秘預言58 仲間

「何だ? それ」
「古代イスパニア神話に登場する、『聖なるものユニセロス』。清浄な空気を好む魔物だと聞いたことがある」

 ぽかんと目を丸くするルークに、アッシュがまたかとでも言うように髪をがりと掻きながら答えてやる。古代の神話は、ルークの知識の中には未だ刻まれていないようだ。

「なるほど。それなら、ここにいてもおかしくは無いわね」
「大人しい魔物だと神話にはありましたわ。ならば、こちらが武器を向ける理由も無いですわね」

 ティアが頷き、ナタリアが笑みを浮かべる。番えていた矢を矢筒に戻し、弓を降ろすことで彼女は自分が敵意を持っているわけでは無いことを示した。それを見て、ルークも引き抜きかけていた剣を鞘に収め、手を離す。
 それぞれに敵意が無いことを示す中、アリエッタだけは『末妹』を睨み付けていた。幼いとは言え肉食獣であるライガの『妹』が、ユニセロスを前にして戦闘態勢に入ってしまっていたから。

「こら、お前は離れて! ご飯でも戦う相手でも無いんだから」
「くるーう……」

 それでも『姉』であるアリエッタが強い口調で怒ると、『末妹』は耳をぺたんと降ろして態勢を解く。そうして、もそもそとアリエッタの背後に隠れるように身を寄せた。
 一方、敵意とは違う感情を露骨に向けているのはアニスだった。この辺りは『記憶』そのままであることに、ジェイドは思わず苦笑を浮かべる。

「うっはあ。捕まえたら5000万ガルドは堅いですよっ!」
「やめなさい、アニス。街中に連れて行けば、そこで死んでしまうかも知れません。人よりも空気の汚れには敏感でしょうからね」

 ただ、『この世界』で黒髪の少女をたしなめたのはジェイド自身では無く、森の色の髪を持つ導師だった。彼の指摘にアニスは一瞬言葉につまり、しばらく考えてから「はあい」と肩を落とした。生きているからこそ5000万ガルドの価値があると判断したのか、死なせたくは無いと考えたのか、そこまでは分からない。
 『前の世界』では、ユニセロスは障気をその身に帯びたティアに反応してこちらに襲いかかった。だが『この世界』では障気フィルターを使っているため、ティアが障気を吸っているとしてもごく僅かであるはずだ。
 そのためか、ユニセロスもこちらを襲うような素振りは見せない。肉食獣であるアリエッタの『末妹』を気にしてはいたが、『彼女』がアリエッタの背後に引っ込んだことで警戒心は薄れたようだ。
 ぶるる、とユニセロスが身体を震わせた。その口から漏れ出た微かないななきに、ミュウがぴくりと反応する。

「うみゅ? みゅう、みゅみゅ、みゅうう」

 小さな身体で歩み出て、ミュウはユニセロスと会話を交わす。アリエッタもしばらく2匹のやり取りを聞いていたが、やがてその顔にほわりと笑みが浮かんだ。くるりと振り返ったミュウが、その笑みの意味を同行者たちに教える。

「ユニセロスさん、セフィロトの入口まで案内してくれるって言ってるですの」
「へ? お前、セフィロトの場所知ってるのか?」

 驚いたように目を見張るルークの隣で、アッシュが同じ表情を浮かべている。この2人は造形自体が全く同一であると言うことを、こんな時で無ければ彼らが思い出すことは無い。

「そうみたい。ローレライに言われたって」
「……ネイス博士並みに働きかけていらっしゃるのね」

 ミュウの通訳を補強するように口を開いたアリエッタに、ナタリアは頬に手を当てて感心したように息をつく。彼女としては褒め言葉だったのだろうが、引き合いに出されたサフィール自身はどうも複雑だったようだ。

「私を何だと思ってるんですか、ナタリア王女」
「もちろん、カーティス大佐のご友人ですわ」

 ふて腐れつつ問うたものの、さらりと天然な回答を返されてサフィールは言葉に詰まった。視線を宙にさまよわせる友人をちらりと視界の端で伺ってから、ジェイドは素直に好意に甘えることにした。

「じゃあ、お願いしましょうか」


 『前回』ミュウの体当たりで発見したセフィロトへの入口は、『今回』はユニセロスの強烈な蹴りにより露わにされた。そこでユニセロスとは別れ、一行はイオンが開けてくれた扉を通り抜ける。
 そうして彼らは、最奥部に安置されているパッセージリングの部屋まで辿り着いていた。以前ローレライから伝えられた通り、『前回』ジェイドたちを悩ませたトラップなどのシステムはまるで機能していない。保全のために配置されている譜業たちも、一行の歩みを止めること無くその道を開いてくれた。

「持つべきものはとんでもない味方、ですねえ」
「まあ、相手は意識集合体ですしね」

 アニスとイオンが顔を見合わせ、同時に肩をすくめる。サフィールは懐から小型の譜業を取り出し、ティアに手渡す。

「はい。ティア、どうぞ」
「障気フィールドですね。分かりました」

 何度も使用しているため、ティアの装着も手慣れたものだ。譜業を作動させ、淡い光のフィールドを己の周囲に発生させてからティアは、制御盤へと歩み寄った。先端が本のように開くことで、パッセージリングが起動する。瞬間、赤いフォニック文字で綴られた警告の文章が空中に浮かび、程無くして消えた。

「セフィロトが暴走中……か。ヴァンの奴、何かやらかしたな」

 文章をさっと読み取ったアッシュが、苦々しげに顔をしかめる。恐らくこの時点でヴァンは既に両極のゲートを訪れており、記憶粒子を逆流させるための仕掛けを仕込んであったのだろう。ゲート以外に機能している全てのセフィロトを操作することで、逆流が始まる。

「あのヴァン総長ですからねー。何もして無い方がおかしいですよ」
「ま、確かにな」
「ヴァン総長、セフィロトまで虐めるの?」

 溜息をつくサフィールにアッシュは肩をすくめ、アリエッタはぷうと頬を膨らませる。話題に出た人物の実妹であるティアも、「兄さん、本当に手回しは良いんだから……」と呟きながら譜業を覗き込んで、ふと顔を曇らせた。

「操作盤が停止しています。どうしてかしら?」
「あー、やっぱり?」

 首を傾げた少女の疑問に答えたのは、譜業に関する事柄ではオールドラント1を自負するサフィールだった。ひょいとティアの手元を覗き込み、薄く眼を細める。

「シュレーの丘やザオ遺跡で、ルークが無理矢理パッセージリングを操作したでしょ? あれで他のパッセージリングが、ルークのこと侵入者だと判断して緊急停止してるんじゃ無いですかね」

 「さすがのローレライも、パッセージリングまでは言うこと聞かせられなかったみたいですねー」と制御盤を叩きながら暢気に笑い、サフィールは子どもたちの顔をくるりと見渡した。

「じゃあ、制御は出来ないんですの?」
「いえ、これまで通り超振動で強制的に操作を刻み込めば動かせると思いますよ。逆に言えば、そうしなければ動かせません。グランツ謡将にもね」

 ナタリアの疑問にはジェイドが答える。質問者は異なるけれど『記憶』と同じ問いだったから、返答もほぼ同じもので構わない。ただ、ジェイド自身は一度経験済みだから、これは推測では無く事実なのだが。

「そっか。じゃあ、またザオ遺跡とかと同じように書き込みすれば良いんだな?」

 ルークは自分のやっている作業を、『前回』よりも理解しているようだ。アクゼリュスの惨劇を経験していない朱赤の焔が、それ相応の覚悟を決めるに至った経緯をジェイドは知らないでいる。
 子どもたちが『既に起きた惨劇』から反省するのでは無く、『これから起きる惨劇』を防ぐために心を1つにしていることも、また。
 だから、ジェイドは指先で眼鏡の位置を直しながらルークに笑いかけた。自身に『かつて起きた未来』を知られていることを知らずに。

「ええ。振動数の計測には大した作業は必要ではありませんが、外殻大地降下のために仕込みをしておきましょう」
「分かった。どうすれば良い?」

 ルークの問いに、ジェイドは『記憶』を脳裏に走らせた。
 作業自体は『前回』と同じく、起動しているセフィロト同士を接続させた後ラジエイトゲートと操作を同調させれば良い。ゲートとホド以外のセフィロトを全て繋いだ時点で記憶粒子の逆流が起こり始める訳だが、敢えて『前回』同様に作業を進めることで最終的にヴァンが向かう先をアブソーブゲートに限定出来る。彼の『仕込み』が完成すれば、その周囲以外の外殻大地は崩落するからだ。
 また、こちらが操作の同調元をラジエイトゲートに指定しておけばヴァンはこちらとの必要以上の接触を避けるだろう。下手なちょっかいを出さずとも、ラジエイトゲートの崩落に自分たちが巻き込まれることが『分かって』いるのだから。

 ああ、『今回』はアクゼリュスセフィロトが無事でしたよね。ちゃんと繋げておかないと。

 『前回』とは異なる1点を、ジェイドは胸の内で再確認した。


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