紅瞳の秘預言58 仲間

 暗い夜。
 月は煌々と照り、大地には白い花が咲き乱れている。
 顔にちくちくと冷気が当たるから、多分『今』は冬なのだろう。
 その光景は、目に映る色こそ違えどナタリアはすぐに気づいた。

「ここは……先ほど歩いた、タタル渓谷ですわ」

 言葉に紡ぐことでそれを確認し、視線を巡らせた彼女の視界には、仲間たちの姿が映っている。
 先頭に立ち譜歌を歌っているティア、そのすぐ背後の岩にちょこんと腰を下ろしているミュウ。
 彼女の姿をじっと見つめている、ガイとアニス。
 ナタリアの背後には、どこか遠くをぼんやりと見つめているジェイド。彼は、ナタリアが振り返ったことにも気づかぬように虚空へと視線を投げていた。
 自分も含め全員が、見知っている姿よりもほんの少し成長しているように思える。年長であるジェイドとガイはさほどでも無いが、成長期のアニスは一瞬他人かと見違えた。

 ──これが、アッシュたちが見たと言う『夢』ですのね。

 事前に話を聞いていたせいか、ティアと違って錯乱することは無い。こくりと息を飲み、ナタリアは場面展開を待った。『自分』はこの場で、彼らと共に誰かを待っているのだと言うことが分かっていたから。
 やがて、ティアの歌は終わりを迎えた。何事も無く静まりかえった地を離れよう、と提案したのはジェイド。それに呼応し、皆がそれぞれに去りかける。
 最後に残ったティアが振り返ったその背後に、ふわりと赤い焔が点った。はっと振り返ったティアと幾つか言葉を交わしながら、『彼』は笑みを見せることが無い。

「ここからなら、ホドを見渡せる。それに……約束していたからな」

 そうティアに語りかけた『彼』を、ナタリアはじっと見つめた。そうして、理解する。

 彼は、違うのですね。

「……貴方、なんですね」

 違う単語を使い、同じ意味の言葉を声に紡いだジェイドがゆっくりと歩み寄って来た。その肩に座っているミュウの顔は、まるで笑っていない。耳は力無く垂れ下がり、聖獣がしょげているのだと誰が見てもすぐ分かる。
 もし今目の前にいる『彼』がルークなら、空色のチーグルは何を置いても駆け寄って飛びついていたはずだ。その小さな全身で、喜びを表現して。
 そうしないのは、つまり。

「貴方は、アッシュですね。ルークは……?」
「──分かってんだろ、バルフォア博士。あいつは俺が食らった」

 ジェイドの問いに答え、青年は軽く頭を振った。さらと流れた長い前髪の間から、見慣れた『アッシュ』の顔が見える。どこか泣きそうに眼を細め、きりと歯を噛みしめて彼は、それでも努めて冷静に言葉を続けた。

「……俺だけが、残っちまった」

 その言葉を受け止めたとき、ジェイドの端正な顔からは感情と言うものが消失していた。
 まるで彼が、内側に何も無い人形であるかのように。


「くるう?」

 『末妹』ライガの微かな唸り声に、ナタリアは意識を現実に引き戻された。下からじっと自分を見上げている純粋な魔物の瞳に、思わず苦笑を浮かべた。

「いえ、何でもありませんのよ。私は大丈夫ですわ」
「くるる」
「どうしたの?」

 1人と1匹の会話に気づいたアリエッタが、とことこと駆け寄って来る。「大丈夫ですわ」と言葉を繰り返しながら彼女の表情を伺ってナタリアは、アッシュたちの推測が間違ってはいないであろうことを確信した。

 あの『夢』は、第七音譜術士だけが見ることが出来る。

 だから、第七音素の素養を持たないであろうアリエッタはあの光景を見てはいない。アニスやガイともこの思いを共有することは、恐らく出来ないだろう。
 不思議そうに首を傾げるアリエッタの向こうで、セフィロトの操作と地核振動数の計測を終えた一行が会話を交わしている姿が見える。ベルケンドからシェリダンに移動しているはずのガイがそこにはおらず、代わりにアッシュとサフィールが加わっている『今』の同行者たち。『夢』の中ではアリエッタやイオンの姿を見なかったから、あの世界では彼らとは道を別ったのだろうとナタリアは納得した。

「振動数計測って、大したこと無いんだねえ」
「文字通り、測るだけですからね。大変なのはこれからですよ」

 計測器をしげしげと眺めているアニスに、イオンがくすりと笑みを浮かべて答えた。子どもたちの頭にぽんと手を置いて、サフィールは年齢の割に無邪気な笑顔で言葉を繋ぐ。

「そうですねー。さ、急いでシェリダンに戻りましょ。ガイが手ぐすね引いて待ってますよ」
「ええ。タルタロスは今、どの辺りでしょうか。間に合えば良いのですが」

 顎に手を当てて、僅かに考える表情のジェイド。ナタリアの視線に気づいたのか一瞬だけ見開かれた真紅の瞳には、理性の光が当たり前のように宿っている。
 『夢』で見た、彼とは違って。

「ナタリア」

 サフィールの言葉を合図にして地上へと戻り始めたナタリアの隣に、音も無くアッシュが立った。気配に気づき視線を向けた少女に、青年は落とした声をかける。

「アッシュ……」
「……見たな?」
「はい」

 短い問いと、短い答え。それだけでアッシュは、彼女に起きたことを理解した。
 ナタリアもまた焔たちやティア、そしてイオンが見た『未来の光景』を目にしたのだと。

 ルークが消え、彼を『食らった』アッシュが戻り、そうしてジェイドが壊れる未来。
 あの後、彼はアッシュから『鍵』を奪い、ルークを救うためにその生命を散らす。

 金の髪を揺らしながら彼女が視線を巡らせると、ルークとティアが自分を伺うように視線を向けていることに気づく。そうして、杖を握りしめたイオンの手が僅かに震えていることにも。
 この場にいる、第七音素を操ることの出来る全員が、あの光景を見ていた。言葉を交わさずともそれだけは、ナタリアにも理解出来る。

「……預言成就など、させませんわ」

 胸元で手を握りしめて、ナタリアは呟いた。
 ジェイドを死なせはしない。世界も終わらせない。
 それには、前提として全てが終わったときにルークとアッシュが共に生きていることが必要になる。
 いや、2人の焔だけでは無く、仲間たち全てが。
 誰かが欠けてもきっと、真紅の瞳の彼は悲しむから。

 無論、それは自身を初めとする仲間たち全員が同じ気持ちなのだけれど。


PREV BACK NEXT