紅瞳の秘預言59 覚悟

 タタル渓谷にアリエッタの『末妹』を残して飛び立ったアルビオールは、ジェイドの指示によりベルケンドではなくシェリダンへと降り立った。その隣にはノエルの2号機が係留されており、彼女が無事であったことに皆ほっと胸を撫で下ろす。

「お帰り。早かったな」
「ガイ!」

 飛晃艇から降り立った一行を迎えたのは、技術者を手助けするために1人残っていたガイだった。「よう」と挙げられた片手に、ルークはぱんと自分の手を打ち合わせる。

「お疲れさん。作業は済ませて来たか?」
「うん、ばっちり」

 にっと笑い合う朱赤の焔と金髪の青年に、仲間たちが取り囲むように集まって来る。最後にゆっくりと降りるイオンを待っていたアニスとアリエッタが合流したところで、アッシュが口を開いた。

「で、お前は何をやっていたんだ?」
「いや、スピノザさんがな。そろそろお前らが帰って来るだろうから、迎えに行ってやれって」
「スピノザが?」

 答えとしてガイが口にした言葉の中に登場した名前。それに反応して目を丸くしたのはジェイドとサフィール、そして2人の焔たちだった。彼らの表情ににんまりと眼を細めながら、ガイは言葉を続ける。

「スピノザさんにとっちゃルークは、ある意味息子とか孫みたいなもんなんだろ。結構心配してたぞ」
「……あの野郎」

 アッシュががりと髪を掻きながら、呆れ声を上げた。頭の後ろで両手を組み、アニスもふうと溜息をつきつつ言葉を紡ぐ。

「ルーク、パパ多いねえ」
「確かにそうね。ええとファブレ公爵、ガイ、大佐、ネイス博士、それにスピノザ博士。5人になるのかしら?」

 思わず指折り数えるティア。羅列された名前に、アニスは疑問符を浮かべて目を丸くした。

「え、ディストもルークのパパ?」
「だ、だって、ネイス博士がダアトにフォミクリーを持ち込んだんでしょう? 大佐がフォミクリーの基礎を作ったことでルークのお父様になるのなら、ネイス博士だってそうだわ」

 指摘に狼狽えたのか、おろおろと冷や汗を掻きながら説明するティアの言葉を聞きつつサフィールはジェイドと顔を見合わせた。互いに肩をすくめ、苦笑を浮かべて銀髪の学者が口を挟んでやる。

「ま、悪い気はしませんけどねえ。私が育てていないせいか、良い子に育ってくれましたし」
「育てた俺の身にもなってくれ。まったく、大変だったんだからな。ほら、街に行くぞ」

 『父親』の1人に挙げられた金髪の青年は、半ばあきらめの表情を浮かべながら一行を促した。当の子どもは素直に足を動かし始めたが、ガイが挙げた5人の『父親』を1人1人思い浮かべた後眉間にしわを寄せて腕を組む。

「うーん……何か癖のある父上ばっかりだよなあ。全部血は繋がって無いけど」

 アッシュのレプリカである自分はファブレ公爵とも血縁では無いのだ、とルークは理解している。シュザンヌは自身を息子と認めてくれたけれど、それは血が繋がっていたからでは無い。親子として過ごした7年を、彼女が認めてくれたからだ。
 と、ルークは自分を見ていたナタリアと視線が合った。そこでルークは、ナタリアがインゴベルト王から拒絶されたことを思い出す。一瞬はっと目を見開いた後、かりかりと明るい色の髪を掻いた。

「……あ、悪いナタリア」
「いえ、私のことはお気になさらないで。身体に流れる血がどうであれ、貴方は貴方で私もまた私ですもの」

 笑みを湛え、胸に手を置いてナタリアは応える。それはジェイドが『覚えて』いるこの頃の彼女には無かった自信に満ちあふれた表情で、だからジェイドは思わず目を見張った。

「そ、そっか。そうだよな、どんな生まれだって言われても俺は俺だし」
「全くだ。違う育ち方した癖にもう1人の俺だ、なんて言われたりしたら叩っ斬る」
「その前に私が再教育するわ。貴方は貴方でしょうって」
「みゅ。ご主人様とアッシュさん、全然違うですのー」

 真紅の焔は冷静な表情のまましれっと言ってのけ、いつものようにナタリアの隣に場所を取る。ルークの隣には、これまたいつものようにミュウを抱きかかえたティアの姿がある。
 ルークとアッシュも、『この世界』では既に互いを同じ容姿の別人と認識し穏やかに交流を深めている。このまま、秘預言よりも『記憶』よりも良い未来へと向かって行けることをジェイドは心の中で祈った。誰に、かはジェイド自身にも分からないけれど。
 そんなジェイドを他所に、子どもたちは足を進めながらもガイを取り囲んで話に花が咲いていた。
 自分たちのいない間の話を、ガイは面白おかしく聞かせてくれている。現在の内容は、ベルケンドから移動してきたい組とめ組との合流時の口論らしい。

「それでさ、最初は大変だったんだぜ? い組とめ組、顔付き合わせた途端こう張り合うってか」
「あー。確か99勝99敗とか何とか言ってましたっけねえ。どちらが100勝目を先に取るか勝負だー、って感じですか?」
「そうそう。お互い得意分野違うんだからさ、それぞれで頑張れば良いじゃ無いかって何とかたしなめたけどな」

 当たり前のように会話に混じっているサフィールの言葉にガイは苦笑を浮かべ、こくこくと頷く。アニスは頭の後ろの手を解かないまま、もうひとつ溜息をついた。

「おじーちゃんたちって、根本的に頭固いところあるよねえ。あれ何でなのかなあ」
「長生きしたからではありませんか? その考え方で、これまで生きて来たんですから」
「でも、喧嘩してる場合じゃ無い。頑張らないと、喧嘩も出来なくなっちゃう」

 イオンが少し考えながら紡いだ言葉に、アリエッタは少しだけ頬を膨らませた。少女の口から漏れたたどたどしい言葉に、ガイは一度目を閉じてから頷いて見せた。

「アリエッタの言う通りさ。んでまあ俺とかいろんな人が仲裁に入ってな、それぞれの得意方面で全力を尽くして貰うことになったわけ」
「め組さんが装置の外側、い組さんが内部演算機ですか」
「そう。旦那、良く分かったな」
「え?」

 ガイに指摘されて、ジェイドは自分が脳裏に描いた言葉を口にしていたことにやっと気づいた。『前回』は自身の目の前で繰り広げられた賑やかな口論を思い出してのことだったのだが、ジェイドが言い訳を口にするより早くサフィールが言葉を挟み込んで来る。

「あはは。双方の得意分野について、私が話したことがありまして」
「そっか。得意分野が分かってりゃ、やれることなんて旦那にはすぐ分かるもんな。さっすが」

 サフィールのフォローを、ガイは何の疑いも無く受け入れた。にんまりと浮かべられた笑顔は、純粋にこの状況を楽しんでのものだ。ジェイドもほっと一息をついて、それからふと思い出したことを口にする。振動停止装置自体の製作が進んでいても、その音機関を運び入れるための『足』が無ければどうにもならない。

「そう言えば、タルタロスは到着しましたか?」
「ああ。ルグニカ大陸の降下前に外海からケテルブルクに逃げたらしくてさ、結構早く来たぜ。ピオニー陛下直々の改装許可書付き」

 己の問いに対するガイの答えに、ジェイドは思わずサフィールに目を向ける。ぺろりと出された薄い舌が、その動向が彼の意図であると言うことを物語っていた。
 ジェイドの『記憶』でルグニカ大陸が魔界に降りることを先んじて知っていたサフィールが、タルロウにあらかじめそう動くように命じておいた。そこに同じ『記憶』を知るピオニーが働きかけ、許可書を持たせておいたのだろう。
 いずれにせよ、そのおかげで地核に沈むべき陸艦は無事な状態でシェリダンの港に停泊している。それを知って、ジェイドはほっと一息をついた。
 あの艦が無ければ、プラネットストームを停止させるまで魔界の液状化を止めておくことが難しくなる。振動停止装置を地核に送り込み、時が来るまで音機関を守り抜く『殻』の調達に支障が出るからだ。
 ガイは自分より年長の2人の顔を見比べて、にっと白い歯を見せた。

「タルタロスの改造についてはタルロウが陣頭指揮取ってる。旦那がた、後で行ってやんなよ」
「そうですねえ。久しぶりにアレの顔も見たいところですし」
「魔界からローテルロー橋まで、お世話になりましたしね」

 指の先で眼鏡の位置を直すサフィールに、ジェイドはほんの少しだけ微笑んだ。魔界に落ちた鉱山の街で出会ったあの譜業人形が、創造主である銀髪の幼馴染み同様自身を大切に思っていることが良く分かる言動を何度も繰り返していたことを思い出して。

 私には、そんな資格なんて無いのに。


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