紅瞳の秘預言59 覚悟

 しばらくの間、ルークはじっと考え事をしているかのように口を閉ざしながら歩いていた。ややあって、その足がぴたりと止まる。

「……な、なあ」
「どうしたの? ルーク」

 隣を歩いていたティアがすぐに気づき、2歩だけ進んで止まった。仲間たちもそれぞれに足を止め、朱赤の焔を振り返る。その中にあってジェイドとサフィールは、彼の口から流れ出る言葉を予測して眼を細めた。

「外殻大地を降ろすことなんだけどさ……俺たちだけでやっちゃって良いのかな」

 予測通りの言葉を、ルークは恐る恐る口にする。ただ、これは彼が自分で考えたことだから、ジェイドもサフィールも口を挟むことはしない。じっと、彼の考えを聞いていた。

「マルクトのピオニー陛下は分かってくれてるんだと思う。イオンも理解してくれてる。だけど、やっぱりキムラスカにもちゃんと話をして分かって貰った方が良いと思うんだ」
「けれど……今のキムラスカが、私たちの話を聞いてくれるのかしら?」

 ティアの疑問は現在の情勢を考えると至極当然のものだ。だが、それに対する答えはルークではなく、金の髪を揺らす少女の口から流れ出た。

「聞いてくれるか、ではありませんわ。聞き入れて貰わねばならない、のです」
「ナタリア」

 アッシュに名を呼ばれ、ナタリアは少しだけ強張った表情で皆の顔を見返した。短いスカートを握りしめる手が、小刻みに震えているのが分かる。
 それでも彼女は、凛と声を張り上げた。

「私、未だ陛下と顔を合わせるのは少し怖いですわ。けれど、今私たちが行って話をせねば、世界が終わるかも知れない。そうなってからでは遅いのです」
「……そうだな」

 ナタリアの肩に、アッシュの手がゆるりと置かれる。不思議とそれだけで、ナタリアの身体の震えは止まった。その状態で、真紅の焔は言葉を続ける。

「それに、外殻大地を降ろすと言うことは世界を変える、と言うことだ。キムラスカもまた世界の一部、それを統べるインゴベルト陛下にも話は通しておかねばならん」
「だよねー。キムラスカも一緒に下に降りるんだから、ちゃんと教えておかないとびっくりしちゃうよね」
「バチカルなんかあんな構造だからなあ。揺れたりしたら、最上層にいるインゴベルト陛下や奥様は驚くだろうしな」

 トクナガを両手で抱えながら、アニスはアッシュの言葉に頷く。ガイも顎に手を当てて、ふむと納得したような表情を見せた。

「ママやみんなも、きっとびっくりして大変だと思う。人間だって、お話聞いてないと大変。怖いかも知れない」
「確かに、僕たちだけで世界を変える行動を勝手に行うのは問題でしょうね。アッシュの言う通り、キムラスカもオールドラントを形成する世界の一部、なんですから」

 ぶるると身体を震わせるアリエッタの手を取りながら、イオンはかつりと杖の先端で地面を叩いた。その表情は、決意に満ちたものだ。

「……そうですね」

 子どもたちの力強い言葉に、ジェイドはふわりと笑みを浮かべた。
 『前回』はルークが提案したものの、インゴベルト王の娘で無いことへのショックが抜け切れていなかったナタリアの決意に少しだけ時間が掛かった。短い髪のルークが後で語ったところによれば、不安を隠せなかった彼女の元をアッシュが訪れたことでナタリアも覚悟を決めることが出来たと言うことらしい。
 『この世界』でアッシュは、ずっとナタリアに寄り添う形で側にいる。そのことが、彼女にとって何よりも強い心の支えとなっているようだ。だからこそ、『前回』よりも自身の出生を吹っ切ることも今回の決心も早い。

 ヴァンデスデルカ。貴方に、この邪魔はさせません。

 ぼそりと胸の内で呟きながら紅瞳の譜術士がちらりと視線をやると、銀髪の学者はにっと笑った。ジェイドにはウインクして見せてから、子どもたちに対し人差し指をびしりと立てる。

「ただし、今日はシェリダンで一泊しましょう。焦ってバチカルに突入しても、良いことなんてありません。重大な話をしに行くんですから、ちゃんと準備をしてからにしましょうね」
「そうですね。私とサフィールで、外殻大地降下における問題点をまとめておきますよ」
「了解。じゃあ今日は飯食ってぐっすり休んで、バチカルに行くのは明日ってことで」

 かなりの強行軍で、自分たちはともかく子どもたちにのし掛かる疲労の色が濃い。それを分かっていたからこそのサフィールとジェイドの提案を、真っ先に受け入れたのはガイだった。1人だけ別行動を取っていたことで、仲間たちの疲れが手に取るように分かったのだろう。
 こくんと頷いたアリエッタが、何かを思いついたように顔を上げた。両手を広げて、自身の存在を主張するように声を張り上げる。

「あのね、アリエッタ、近くのお友達に会って来る。ヴァン総長やリグレットが来たら教えてって、お願いして来るね」
「……そうね。兄さんたちがこちらの動きを知れば、妨害して来る可能性は十分にあるわ」

 実兄の手強さをある意味一番良く知っているティアが、少し考えてから深く頷く。ナタリアの手を取りながら、アッシュが「そうか」と言葉を続けた。

「警備兵に注意を促しておいた方がいいだろう。ヴァンは確か、破門されたのだったな?」
「はい。じゃあ、僕とアニスも一緒に伺います。その方が説得力があるでしょうから」

 イオンに指名され、黒髪の少女は「まっかせてください」と母手作りの人形を背に負い直した。いざとなればこの譜業人形で敵をなぎ倒し、イオンやアッシュを守りきるのが自分の使命だとアニスは心に決めている。

 だって、ルークのことは大佐が守ってくれるもん。
 アニスちゃんはアッシュのお守りに回るのだ。でなきゃ、ナタリアが悲しむし。

 朱赤の髪を微風になびかせて、ルークは自分の隣を定位置としている少女に向き直った。

「ティア、今夜は勉強見てくんないか? ここんとこ忙しかったし」
「良いわよ。でもその前に、食事をしてお薬飲まないと」

 にこっと微笑んだティアの答えに、ルークはほっと胸を撫で下ろした次の瞬間げ、と顔を歪ませた。自身とアッシュを守るための薬だと分かってはいるけれど、正直に言ってジェイドとサフィールから渡された薬はあまり美味しいものでは無い。
 だけど、『夢』の中で見たようなジェイドの哀しい表情を現実でも見たくは無かったし、それに。

「ご主人様、お薬忘れてないですの、いつもいつもボクがお薬あげてるですのー」
「ミュウは偉いわね。さすがだわ」

 自分を主と仰ぐこの空色のチーグルとそしてティアがいる限り、忘れようが無い。
 彼らだって、ルークやジェイドと別れることは望んでいないのだから。


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