紅瞳の秘預言60 一夜

 夕食を終えた後、ジェイドはサフィールを伴い改造中のタルタロスを訪れた。煌々と照らされた譜業灯が、そこで働く技術者たちの作業をサポートしている。ざわざわと騒がしい現場の雰囲気は、平和へと繋がる大仕事に携わる作業者たちの張り切った心の声に満ちていた。
 つなぎを纏う作業員たちの中にあって、樽の形をした譜業機械がくるくると回転しているのが2人の視界に入った。てきぱきと指図をしているその姿に、サフィールは満足げに眼を細める。

「タルロウ」
「ズラ?」

 独特のしゃがれた声で名を呼ばれ、タルロウはくるんと頭部を回転させる。己の創造主とその幼馴染みを認識し、両手を万歳とばかりに掲げるとそそくさと駆け寄って来た。慌てて彼を避ける作業員たちに注意が向かないのは、やはり基本的な行動パターンがサフィールに似ているのだろう。

「ジェイド様、ディスト様〜! お帰りなさいズラ〜!」

 表情の変化こそ無いものの全身をフル活用して喜びを表現する譜業人形に、2人は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。サフィールはぽんと軽くその頭部を叩いてやりながら、少しだけ冷たく装った口調で問う。

「お久しぶりです、タルロウ。技術者たちに迷惑を掛けていたりしてないでしょうね?」
「ディスト様、このタルロウXがそんなことするわけ無いズラ! ジェイド様のお顔に泥を塗るようなことはするなと言ったのはディスト様ズラ!」

 その問いに対する返答を、怒ったように両手を振り上げながら当たり前のようにタルロウは口にした。満足げに頷いたサフィールを、真紅の目を見開いてジェイドがぽかんと見つめる。

「……サフィール?」
「当然じゃ無いですか。私は前科がありますからしょうがないですけど、ジェイドまで悪し様に言われるのは我慢ならないんです。他人にこの思考を押し付ける気はありませんが、タルロウは私が作ったんですから私に従って貰います」

 ふんと鼻息荒く、サフィールは一気に言い切った。腕を組み、少しだけふて腐れた表情はだだっ子のようだけれど、それは彼がジェイドを如何に慕っているかの現れでもある。
 創造主と同じポーズを取った譜業人形が、頭頂から白い湯気を噴き出しながら彼の言葉に続いた。

「ジェイド様が一番なのは、ディスト様に言われなくても分かってるズラ。だけど、ディスト様のお言いつけだから余計に守ってるズラよ。ジェイド様はお優しいお方だからズラ」

 くるんくるん。頭部を回転させながらの言葉に、僅かながらジェイドの表情が曇る。この譜業人形が語る言葉はサフィールの組み上げたプログラムが叩き出したものなのだが、それ故にサフィールの本心がはっきりと現れている。

 ジェイドは優しいから、守るんです。

「私だって前科は山ほどありますよ。守られる資格なんてどこにもありません」
「資格のあるなしなんて関係無いです。私が勝手に守りたいだけなんですから。それに、今のジェイドはその前科をスルー出来ないじゃないですか。ほら、そんな顔して」

 溜息混じりのジェイドの言葉を、サフィールはその頬を指先でつつくことで止めた。それからタルロウに向き直り、びしりと人差し指を立てる。

「タルロウ。私たちは明日、バチカルに行って外殻降下の話をインゴベルト王に話して来ます。その間、こちらのことは頼みましたよ」
「バチカルに行くズラか?」

 ちかちか、と存在意義の分からない灯りを点滅させることで、タルロウは己の感情を示しているつもりだろうか。しばし空白の時間を置いて彼は、威勢良く両腕を振り上げた。

「了解ズラ、シェリダンはこのタルロウ様に全部任せるズラ! ディスト様はしっかりがっちりジェイド様をお守りするズラよ!」
「貴方に言われるまでもありません。当然じゃ無いですか」
「……普通は逆じゃ無いんですか?」

 彼らのやり取りを聞いて、純粋にジェイドは首を傾げた。
 本来ならば、己の創造主であるサフィールをジェイドに守れと言うのが筋では無いだろうか。そう考えての指摘だったのだが、サフィールは軽く首を振って答える。

「良いんです。私はその気になればいくらでも尻まくって逃げられますけど、貴方は無理でしょう? ルークたちを守るため、とか言って残るでしょうからね」

 サフィールの指摘は、ジェイドと長く付き合っているせいもあり正確なものだ。真っ直ぐに紅の瞳を覗き込む彼の目には、真剣な光が宿っている。

「だから、私が貴方の腕を引っ張って逃げるんです。子どもたちだってね、貴方の背中を押すくらいのことはしてくれるはずですよ。そのくらい分かりなさい」
「……私には」

 そんな資格は無い、と言葉を続けようとしたジェイドの頬に、そっと白い手が当てられる。体温があまり高くないのか、ひやりとした感触に彼の口は閉ざされた。

「駄目ですよぉ? 頑張って、みんなで世界を救うんです。その場にジェイドがいないなんて、私が許しません」

 満面の笑みを浮かべてそう言ったサフィールの顔を、ジェイドは呆気に取られた表情のまま見つめていた。閉ざした唇が紡ぐことの無かった言葉は、彼には聞こえないように心の中だけで呟かれる。

 なら私は、その後に消えれば良いですか。
 守られる資格も、価値も無いのだから。


 街外れまでのんびりと腹ごなしの散歩をこなしていたガイが、ふと上を見上げた。建物の屋根の上に、白い女性が夜空を見上げている様子が視界の端をよぎったから。
 彼女もガイの視線に気づいて、ひらひらと手を振った。そのまま音も無くふわりと彼の前に舞い降りて来る。その背に存在する黒白の翼が、彼女が尋常の存在では無いことを示していた。

「こんばんは、ガイ」
「やあ。ゲルダさん、こんばんは」

 平然と挨拶を交わし、ガイはくるりと周囲を見渡した。見慣れたくすんだ金髪と癖のない銀髪は、青年の目が届く範囲には存在していない。それを確認して、小さく息をつく。

「旦那がたはタルタロスの方に行ってるみたいだから来ないと思うけど、大丈夫なのかい?」
「これでも足は早い方よ」

 くすりと微笑むと、紅を乗せたかのように鮮やかな唇の端が少しだけ上がった。
 暗い風景の中、ゲルダの白い髪と肌はくっきりと浮かび上がっている。さらりとした夜風に吹かれてか、マントを模したように翼がふわりとなびいた。

「バチカルに行くことになってね。会えたら話しておこうと思ったんだが」
「そう。国王陛下に話を通すつもりなの?」
「ああ」

 重要部分を省いた形で2人の会話は行われていた。その部分が無くとも彼らの会話には何の差し障りも無く進み、それはつまりゲルダが外殻大地降下について知っていると言うことの傍証になる。

「キムラスカ国内で孤立してる現状じゃ、ヴァンに動かれると拙いこともあるしな。奴のことだ、い組やめ組に何するか」
「そうね。一応私も気をつけておくわ。行ってらっしゃい」
「済まない。話が通り次第、部隊の派遣を要請しておくよ。レディに血生臭い仕事は、あまりやらせたくないんだけどな」
「気にしないで。今更よ」

 軽く肩をすくめるガイに、ゲルダはふわりと笑みを浮かべて頷いた。それから、血の色の瞳をちらりと青年の後方に向けた。笑みの種類が慈母のそれから悪戯っ子に変化したことを見て取り、ガイは不思議そうに青い瞳を見開く。


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