紅瞳の秘預言60 一夜

 閉じていた目を開いて、ルークはふうと溜息をついた。手の中に、第七音素の感触が未だふわりと残っている。
 緊張しすぎて強張った肩をぐるぐると回していると、ティアがぱちぱちと拍手をしながら歩み寄って来た。その足元を、ちょこちょことミュウも駆け寄って来る。

「すごいわ、ルーク。基礎を覚えてからの貴方の成長、とても早いわよ」
「え? そ、そうかな?」

 少年は照れくさいのか、微かに頬を赤らめて髪をがりがりと掻き回す。楽しそうにルークを見つめているティアの笑顔をまともに正面から見ることが出来なくて、つい視線を天井に逸らした。
 肉体の音素結合を第七音素で全て賄っているルークは、即ち第七音譜術士の素養を持っている。そのことから彼は、ティアに頼んで治癒譜術の修行を見て貰っていた。それは超振動のコントロールにも役立っており、おかげで朱赤の焔は修行にますます精を出している。成果が目に見えて現れていることで、教師役のティアも嬉しくてたまらないようだ。

「ええ。元々素質はあったのね。ちゃんと勉強すればすぐ覚えられるんだから」
「屋敷に閉じ込められてた頃はろくに勉強しなかったもんなあ、俺。ひたすら外に出たくってさ」

 ティアの言葉に頷くように、昔の自分を思い出すルーク。母やガイ、ペールやラムダスと言った周囲の大人たちにひたすら迷惑を掛けていた自分の姿を思い返してしまい、頭を抱え込んでしまう。その中にまだ優しかった頃のヴァンの姿を見て少しだけしょげてしまったことを、ティアやミュウに知られないように一瞬だけ顔を伏せた。

「でも今は、いろんなことを知りたい。強くなりたい。そんでもって、師匠を止めて、世界を守りたい」

 がばりと顔を上げて、ルークはぐっと拳を握る。ほんの少しだけ、昔のヴァンに戻ってくれるかも知れないと言う淡い期待を込めてのことだけれど、それが所詮は夢に過ぎないであろうこともルークには分かっていた。
 ベルケンドの街で再会したヴァン・グランツの冷たい目が、自分を見つめたときに。

「そうね、兄さんを止めましょう。オールドラントを壊させないわ」

 握られた拳に、そっとティアのたおやかな手が添えられる。はっと見上げた少年の目に、何かを堪えているような彼女の真剣な表情が映り込んだ。その眼差しに、ルークは彼女がヴァンの血を分けた妹であることを思い出す。
 と、そこへ明るい空色の毛玉が飛び込んで来た。重ねられたルークとティアの手の上に小さな手をちょこんと置いて、ミュウは大きな丸い目で2人の顔を見上げる。どうやら、ルークの身体をよじ登って来たらしい。

「みゅみゅ。皆さんで一緒にがんばるですの。もちろん、ボクも一緒に頑張るですの!」
「そ、そうね。ミュウも一緒に頑張ってくれれば、とっても心強いわ」

 幼いチーグルの無邪気な励ましに気が抜けたのか、どこかほっとしたような笑みを浮かべるティア。ルークは一瞬だけ肩をすくめると、空色の頭をくしゃくしゃと些か乱暴に撫でてやった。

「ありがとな、ミュウ。ティアも」
「気にしないで。例え兄でも、止めなきゃいけないことをしてるんですもの」

 小さく首を振るティアの笑顔は綺麗で、だからルークはその笑顔をずっと見ていたいと心のどこかで思った。無くしてしまったら、もう二度と戻ってこないだろうから。
 無くしたくないものがあるから、ルークは譜術を学ぶ。それで少しでも、世界を変える助けになるのなら。
 自分を救うために、ジェイドが光に消えなくて済むのなら。

「……俺が頑張って生きないと、ジェイドまで連れてっちまう。俺は死にたくないし、俺のせいでジェイドを死なせるようなことになるのも嫌だ」

 ぐっと拳に力を入れて、ルークはぼそりと言葉を落とした。それから自分の手を見つめて……ふと、心の中で呟く。

 なあ、ジェイド。
 俺も、みんなも頑張るから。

 だから、死なないで。
 泣いても良いから、生きていて。


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