紅瞳の秘預言61 進言

 その日、バチカルの街はざわめきに満ちていた。
 街道から続く門をくぐって来た一行をたまたま見かけた住民が、すぐさま近隣へと知らせに走る。ウェーブの掛かった金の髪を揺らしながら胸を張り、堂々と道を進む少女とその仲間たちを守るように、家々から住民たちが着いて歩き始めた。昇降機の前に控えていたキムラスカ軍の兵士は、少女の顔を見るとぴしりと敬礼をして自らその扉を開け、中へと導く。

「お帰りなさいませ、殿下。どうぞお気を付けて」
「ありがとう」

 恐らく彼はモースやゴールドバーグの言葉に惑わされること無く、ナタリアを慕っていたのであろう。それが端々に現れた言葉を、ナタリアは素直に礼を言うことで受け入れた。そうして振り返り、じっと自分たちを見守っていてくれた住民たちに深々と頭を下げる。
 やがて、扉を閉じ動き始めた昇降機を、直立不動のままその兵士は見送った。続いて住民たちが、一斉に声を上げる。

「姫様、頑張ってくださいね!」
「わしらがついとりますでな、何かあったら来てください!」
「王女様、悪くないよね? 大丈夫だよ!」

 大きく手を振る彼らに、ナタリアも思わず手を振り返した。同じように両手を振りながら「がんばるですのー!」と可愛らしい声で鳴いたミュウに、場の雰囲気が和む。
 下方へと遠ざかる景色の中、王女を見送って満足したのかバラバラに散らばって行く住民たちの姿。それを見下ろしてからアニスは、にんまりと嬉しそうに眼を細めた。

「ナタリア、ほんとに大人気なんだねえ。ほらー、みんなナタリアのこと心配して出て来てくれたんだよう」
「そうね。あんなことがあった後なのに、ナタリアの顔を見て皆嬉しそうだったわ」

 ティアもふわりと笑みを浮かべ、友人の顔を見返す。ほんの少し血の気の引いた顔ではあるが、ナタリアもまた微笑んでいた。

「……本当に、有り難いことですわ。彼らのためにも、陛下にはお話を聞いていただかなければなりません」
「ナタリアのパパ、きっと話聞いてくれる。大丈夫」
「モースが邪魔して来ないならな」

 ぬいぐるみを抱きしめながらにこにこ笑うアリエッタから少し距離を開け、ガイが短い髪を掻きながら呟いた。最大の問題がユリアの破滅預言を知らぬかの大詠師の妨害であることは、この場にいる皆が一番よく知っている。

「あれはどうにかしますよ。こちらには私とジェイドがいるんですから」

 うっそりと眼を細め、サフィールはちちちと人差し指を振って見せた。
 モースが言いそうなことなど、ジェイドの『記憶』に頼らずとも大体読める。自分とジェイドで理に適った反撃をしてやれば、あの男は口を閉ざすはずだ。それが分かっているからサフィールは、余裕の態度を見せていた。自分の隣に立って子どもたちを見守っているジェイドも視線が合うと小さく頷いたから、考えていることは同じだろう。
 やがて辿り着いた、バチカル最上層。昇降機から足を踏み出すとき、ナタリアは目を閉じて一度大きく息を吸い込んだ。それから表情を引き締め、仲間たちと共に王城へと向かう。

「な……ナタリア殿下!?」
「お、お戻りになられる、とは!」

 正門前までやって来ると、その両脇を固めていた門番の兵士たちが慌てたように武器を構えた。よもや、こんなに早く彼女が戻ってくるとは思っていなかったのだろう。こちらが足として、徒歩や馬車よりもずっと高速のアルビオールを使っていることも無関係ではあるまい。
 彼らの任務は、王城へ侵入しようとする不埒者をその場で押し止めることである。かつて城に住まっていたその少女を不埒者扱いすることには兵士たちも少し躊躇われたが、上からの命令には逆らえなかった。

「あ、貴方には逮捕状が出ております。覚悟は、出来ているのでしょうね!」

 兜に隠れて表情を伺うことは出来ないが、兵士も相当に動揺している様子がその言葉から分かる。真っ直ぐに見つめ返すナタリアへと向けられている刃は、小刻みに震えていた。
 住民だけで無く、王族に仕える兵士たちにもその愛を分け隔て無く注いだナタリア。その彼女に刃を向ける彼らの心境は如何ばかりか。
 ちらりとルークがファブレ邸のある方向に視線を向けると、1人だけ白光騎士団の姿が垣間見えた。ナタリアやルークたちの帰還を知り、様子を伺っているのだろう。それが父ファブレ公爵の命によるものか、母シュザンヌの指示かは分からなかったけれど、ルークに気づいたその騎士はぴしりと敬礼をしてくれた。

 そう言えば、わがままばっかり言ってた俺のことみんな気に掛けてくれてたっけ。
 ……ごめん。ありがとう。

 僅かに目礼だけを返し、ルークは意識をナタリアの方に引き戻した。あくまで武器を取ることも無くじっと兵士たちを見つめている彼女に対し、兵士たちも下手に動くことは出来ないでいる。
 『逮捕状』が出ていると言うことは、彼女を生かしたまま捕縛せよと言う命令が出ていると言うことになる。ならば援軍を呼び、包囲して捕らえれば良いことだ。それを出来ずにいるのは、兵士側にも躊躇いがあると言う証拠。
 ならば、こちらから妥協案を持ちかければ良い。ジェイドが『覚えて』いるのと同じように。

「待ちなさい」

 アニスとアリエッタを従え進み出たイオンが、涼やかな声を張り上げた。小柄な少年がその全身に纏う威厳に、兵士たちはぴたりと動きを止める。

「私はローレライ教団導師イオン。キムラスカ国王インゴベルト6世陛下に謁見を申し入れる」
「は、はい? で、ですが……」

 導師守護役の少女と、六神将の1人を己の守り役として連れたこの少年が導師であることを兵士は疑わなかった。だが、ナタリアや2人の焔たち、さらにはマルクトの軍服を寸分の隙も無く着こなしている『死霊使い』が彼に同行していることに、戸惑いを禁じ得ない。

「この者たちは全て、ダアトがその身柄を保証する我が親愛なる友人たち。無礼な振る舞いをすることは、導師の名において許しません」

 その戸惑いが伝わったのか、イオンは両手を広げると真剣な表情のまま言い放った。そうして、手に握った杖の先で床をがつっと叩く。

「もし彼らの身に危険を及ぼすことがあれば、ダアトはキムラスカに対し今後一切の預言を詠みません。その恩恵も弊害も、この地に示されることは無くなります。──よろしいか」

 ほんの少し声を低く落とし、イオンが告げた言葉に兵士たちが一瞬狼狽えた。長きに渡り預言の恩恵を受け続けて来た、と信じているキムラスカの民に取り、イオンのこの言葉は何よりも恐ろしいものである。
 そして、上官の命令に逆らうことの出来なかった兵士たちにその機会を与える、何よりも強力な引き金でもある。それを分かっていたからこそ、イオンは敢えて強い口調で言ってのけた。

「導師イオンのご命令です!」
「道を、開けてください!」
「は、はいっ!」

 アニスが、続いてアリエッタが強い口調で言葉を放つ。兵士は慌てたように……それでもどこか嬉しそうに素早く動き、彼らのために道を開いた。

「さ、行きましょう。皆さん」

 ここでやっと、イオンはふわりと笑みを浮かべた。彼に続き守り役の少女たち、2人の焔に守られたナタリアとその背後を守るティアとミュウ、少し離れてガイが進む。いつものように最後尾を歩くジェイドとサフィールの背中を見送って、兵士たちはほっとしたように門番の任務を再開した。これで上官に叱責されても、導師イオンの命令だったからと言い訳が出来る。

「イオン〜、無茶やるなあもう」

 少年の背後に駆け寄って、ルークが呆れたように肩をすくめた。イオンは肩越しに振り返ると、ぺろりと舌を出してみせる。

「……権力者がその権力を振りかざしたくなる気持ち、ちょっとだけ分かっちゃいました」

 にっこり笑うイオンに苦笑しつつ、アッシュはナタリアを守るように足を進める。そうして、城を見上げながらぽつりと呟いた。

「そう言うのは中途半端な位置にいる者ばかりだがな。導師は自分の欲を満たすために権力を振りかざすような方では無いだろう」
「ですよねー。そーゆー偉そぶるってのはやっぱりー、モース様とかモース様とかモース様とか」

 アニスが芝居がかった仕草でうんうんと頷き、モースの名を連呼しながら自分の指を折って数える。そのことに気づいたティアが、不思議そうにアニスの顔を見つめた。

「アニス、1人しか名前が出て無いわよ」
「うん。だってそーゆー人、あたしあんまり知らないからついー」

 イオンと同じようにぺろっと舌を出し、肩をすくめて見せたアニス。確かに彼女の知る権力者の中で、己の権力を我欲のために振りかざすような人物はほとんど存在しない。モースとて、自身の欲に目が眩んでの狼藉では無いのだ。それを分かっているからイオンも、小さく溜息をつきつつ言葉を紡ぐ。

「まあ、モースも努力の末に大詠師の地位にまで上り詰めた訳ですからね。無理もありません」
「教団の信者としては模範的ですからねぇ。こんな状況にでもならなければ、預言遵守は世界の常な訳ですし」

 ジェイドが、口の中だけでぼそりと呟いた。自身もある意味、己にのみ詠まれた預言を元に動いているようなものである。彼自身は『記憶』の経験から預言を盲信することが出来ずにいるが、何も知らなければモース同様預言に従い生きていたのかも知れない。
 それで、2人の焔を死なせてしまう結末に至ったのだけれど。


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