紅瞳の秘預言61 進言

「申し訳ありません。危急の用で登城したのですが、インゴベルト陛下はどちらにおられますでしょうか?」

 城内で出会った兵士に、ティアが恐る恐る声を掛けた。謁見の間にいるかどうかも分からないため、その所在を確認しようとしてのことだ。無論、ジェイドとサフィールは見当がついていたけれど。

「は。お加減が優れないとのことで私室に籠もっておられます」
「分かりました。ありがとうございます」

 ティアが出たせいか、兵士はナタリアには気づかないようだった。予測通りの返答を貰い、丁寧に頭を下げて礼を言ったティアに兵士も気分を良くしたのか、「お気を付けて」と声を掛けてそのまま去って行く。ふう、とひとつ息をついてティアは「私室ですって。お加減が悪いようよ」とナタリアに告げた。彼女なら、父の居室がどこにあるかを知っているはずだから。そしてナタリアは、期待通りに頷いてくれた。

「私室でしたら、案内出来ますわ」
「……恐らく、内務大臣辺りが詰めているでしょうね。今後どうするか、内々に会談を持っていると思います」

 少し考える振りをして、ジェイドが口を挟む。『前回』もアルバイン内務大臣とは王の居室で顔を合わせていたから、それを思い出しただけだが。

「モース様はいらっしゃらないのかしら?」
「さすがに王の私室まで入り込んでたら洒落にならないだろ。それこそ内政干渉だ」
「ただ、謁見の間で話を詰めることにでもなればしゃしゃり出てくることは確実ですね。こちらの言い分を陛下が飲んでしまえば、モースの望む預言遵守は成り立たなくなりますから」

 首を傾げて考えるティアに、ガイが軽く首を振りながら答える。細い指で顎を撫でながらサフィールは、推測に見せかけたジェイドの『記憶』の断片を口にした。

「モース、王様まで虐めるの?」
「自分の意見を無理矢理通すにはね、通したい相手の心が弱ったところに吹き込むのが一番なんです」

 ぷうと頬を膨らませ、自分の顔を見上げるアリエッタにサフィールは当然のように説明してやる。そうして、笑みを顔から消すとレンズの奥の眼を細めた。

「その際に相手の立場に対して同情を交えてみたり、逆に脅迫してみると結構効果高いんですよ。アッシュも経験があるんじゃないですか?」

 ちらりと向けられた鋭い視線を受け、アッシュが露骨に顔をしかめた。拉致され、心身共に弱り果てた末に帰る場所が無いことが分かったアッシュの心の中に、ヴァンはいとも容易く入り込んだ。その後7年の間、真紅の焔はヴァンに絡め取られたままだった。それを指摘され、アッシュが不機嫌になるのも致し方ないだろう。
 その中から自分を救い出してくれたのが、銀髪の科学者だったとしても。

「……ちっ」

 ただ、それ故にインゴベルト王が現在置かれている状況の危うさは彼が一番良く知っていた。だからだろう、ほんの少し歩みが早くなったのは。
 全員がつられて歩く速度を上げる中、サフィールは薄い唇の端を引き上げた。

「ですから、ナタリア王女の決断が早くて助かりました。陛下の懐に完全に入り込まれる前に、引き離すべきですからねえ」
「大丈夫ですわ。陛下も、きっと話を聞いてくださいます。私はそう、信じています」

 18年の間父と呼んだ男を『陛下』と呼びながら、ナタリアは自分に言い聞かせるように強い口調で言葉を吐き出した。ちくりと胸の奥で感じた痛みは、知らないことにして。


「失礼しますわ」
「ナ……タリア!?」

 相手に余裕を与えないためか、ノックもせずにナタリアは扉を開いた。王の私室に籠もっていたのは部屋の主であるインゴベルト王と、そしてアルバイン内務大臣。予測していたとは言え『記憶』通りの顔ぶれに、思わずサフィールが大袈裟に肩をすくめた。

「あ、やっぱりいましたね。内務大臣」
「うわー、行動パターン分かり易すぎるってのもどうだろうなあ」

 こちらは『記憶』を知らないガイが、げんなりと肩を落とす。最後に入室したジェイドが扉を閉じた音にはっと気づき、アルバインが唾を飛ばしながら喚いた。

「な、何をしているか! 兵士、警護の兵士は!」
「伯父上の私室に兵士なんぞ必要ねえ。あと、見苦しいから口閉じてろ」

 狼狽える内務大臣の叫びは、アッシュによってばっさりと切り捨てられる。インゴベルト王が力無く首を振る様を、ナタリアはじっと見つめていた。

 その後は、概ねジェイドが『記憶』していた通りに話は進んだ。ナタリアと同じような立ち位置にいるルークがインゴベルト王を説得し、ナタリア自身は自分のことよりもマルクトとの和平を望む。イオンの「私に対する信を、貴方がたのために損なうつもりは無い」と言う強い言葉に、インゴベルトもアルバインもぐっと口を閉ざすしか無い。

「この私、『死神ディスト』が『死霊使い』ジェイドと共にある意味、ご理解いただけますよねえ? 何の策略も巡らせてない、なんて思ったら大間違いですよ」

 もっとも、2人に対する脅迫はジェイドでは無くサフィールが口にしてくれたけれど。彼にしてみれば、今のジェイドに相手を脅す言葉を使わせたくは無いのだろう。
 そうして、頃合いと見たジェイドは書状を差し出した。

「この書状に、現在世界へ訪れようとしている危機についてまとめてあります。どうぞ」
「う、うむ」

 素直に書状を受け取り、だがそれを開くことは無くテーブルの上に置いて、インゴベルト王はふうと長く息をついた。

「……一晩で良い。わしに、1人で考える時間をくれんか。大臣らにも、後でこの書状は目を通させる」

 悩んではいるものの、こちらの意見を聞く気になってくれたらしい王の様子に、サフィールはにっと眼を細めた。くるりと仲間たちを見渡してから視線を戻し、わざと意地悪い口調で答えてやる。ただし、相手は王では無くその隣にいる内務大臣だ。

「良いんじゃないですか? 大詠師やお偉方がぎゃーぎゃーうるさいから、じっくり考えることも出来なかったんでしょ? ねえ大臣」
「死神め、貴様……」
「図星を突かれたからと言って怒らないでくださいな。誰にだって、1人になりたい時くらいあるでしょうが。インゴベルト王にとっては今がその時なんですよ、そのくらい分かりません?」

 睨み付けるアルバインに対し、口ではサフィールが圧倒的優位に立っている。あっさりと内務大臣の口を封じ込めてしまい、ふんと鼻を鳴らした。
 と、ぬいぐるみを抱きしめてアリエッタがおずおずと進み出た。インゴベルト王を見上げ、たどたどしい口調で一所懸命に語りかける。

「アリエッタ、ライガのママに育てられた。ママとアリエッタは血は繋がって無いけど、でもママはママ」
「ライガが、人間を育てただと?」
「信じられないかも知れないけど、ほんとですよお」

 目を見張ったインゴベルトに、この中ではアリエッタのことを一番良く知っているだろうアニスがうんうんと真面目くさった顔で頷いてみせた。アリエッタの方はインゴベルトから目を離さないまま、悲しそうに目を潤ませる。

「ルークのママも、血は繋がって無くてもルークのママだって言ってくれた。えっと……陛下、も、そうじゃ無いの?」
「……」

 魔物に育てられたが故に純粋な心を持つ少女の瞳に見つめられて、王は言葉を失った。アルバインも思わず息を飲んでしまい、場の雰囲気に圧倒されているようだ。
 暫しの静寂を破ったのは、空気に合わぬサフィールの明るい声だった。同時にパンと手を叩く乾いた音が響き、全員が意識を引き戻される。

「では、我々はこの辺で。皆さん、お暇しますよ。ほらアリエッタも」
「おう。それじゃ……陛下。明日、また」
「……信じています、伯父上」

 小さく頭を下げたルークに続き、アッシュも部屋を出た。その2人の背を守るように、最後まで部屋に残っていたジェイドが足を進める。その背中を、インゴベルトとアルバインは扉が閉じる瞬間までじっと見つめていた。


 アルバインもそそくさと退室し、インゴベルト王は私室に1人きりになった。ぼんやりと扉を見つめていたその視線が、ややあって壁へと向けられる。そこには、愛らしく微笑む幼いナタリアの肖像画が飾られていた。

 おとうさま!

 赤い髪も碧の瞳も持たずに生まれて来た、可愛い娘。父を見て朗らかに笑うその姿を、王は心の励みとして生きてきた。攫われ、帰って来たルークが記憶を失っていたことに気落ちしていたナタリアを、王は政務の傍ら何くれと無く気遣い力づけた。

 お父様!

 18年の時を経て美しく聡明に成長した彼女は、その言動から名実ともにキムラスカの王女に相応しい存在となった。先だってバチカルを脱出したとき、彼女を守るために市民たちが蜂起したと言う事実はゴールドバーグから報告を受けている。それはつまり、金の髪のナタリアは民から愛される王女だと言うことだ。

 例えレプリカであろうと、この子は私の息子です。
 生まれてから7年の間ファブレの屋敷で育った、紛れもない私の息子です。

 譜業によって生み出され『本物』とすり替えられたレプリカのルーク。その子を引きつれ現れた妹シュザンヌは、そうはっきりと断言した。
 血の繋がりなど関係無い、朱赤の焔は嘘偽り無く自らの息子であると。

 なれば、18年の月日を父と子として過ごしてきた自分と娘は、どうなのか。

「──ナタリア」

 その名を呟いたとき、恐らく王の中では結論が出ていただろう。
 自身を父と呼び慕ってくれた娘は、金の髪を揺らしている彼女しかいないのだから。


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