紅瞳の秘預言61 進言

 その日はファブレ邸では無く、街の宿屋に部屋を取ったルークたち。いつものようにジェイドと同じ部屋に入り音機関を弄っていたサフィールの耳に、微かなノックの音が響いた。

「ジェイド、いる?」

 程無く開いた扉の向こうから顔を見せたのは、朱赤の焔の少年だった。レンズの奥でぱちくりと眼を瞬かせてから、サフィールは視線を2つ並んだベッドの片方に向ける。僅かに膨らんでいる上掛けの端から、くすんだ金髪が覗いていた。サイドテーブルには、彼愛用の眼鏡がきちんと置かれている。

「おや、どうしたんですか? ルーク。ジェイドなら寝ちゃってますよ」
「……いや、ジェイドの顔見たかっただけなんだけど。寝てるなら良いや」
「どうせですから、寝顔くらい見て行きなさいな。減るもんじゃ無いですし」

 ベッドの上の長い髪に気づいて扉を閉じようとしたルークを、片手に音機関を持ったまま銀髪の彼はちょいちょいと手招きした。「起こさないようにね」と付け足した静かな言葉に、少年はこくんと頷くとそろそろと部屋に入って来る。殊更ゆっくりと閉じられた扉が音を立てなかったことにほっと息をついて、足音を忍ばせながらルークはジェイドの枕元まで歩み寄って来た。
 じっとその顔を覗き込んで、ルークが難しい顔をした。眉間にしわを寄せるとアッシュそっくりですね、とつい言葉にしかけてサフィールは慌てて口を閉ざす。

「……寝てるって言うより、気絶してるように見える」

 ぼそりと呟かれたルークの言葉に、今度はサフィールの方が眉をひそめた。確かに、ジェイドが寝入った時の状況を思い出せば彼の言葉は正しいのだろうけれど。

「疲れてたんでしょうかね。上着だけ脱いで、こうベッドに倒れ込んでそのままですから。上だけ掛けてあげましたけど」

 その時のことを思い出しながら答えてやると、ルークはひょいと顔を上げた。ぷうと頬を膨らませると、やはりまだ7歳の子どもなのだと気づかされるほどに幼い表情だ。

「ちゃんと着替えさせてやれよ〜。俺がこんななった時は、いっつもガイがやってくれたぞ?」
「私、体力無いんですよ。起きたらシャワーでも浴びさせますけど」

 音機関をテーブルの上に置いて、サフィールが立ち上がる。ルークの横に並んでジェイドの寝顔を覗き込みながら、その顔を半ば覆い隠している長い髪を掻き上げてやった。そこから垣間見えた彼の表情は、カイツール軍港を思い出させる。自分の膝の上で、激痛から気を失ったあの時の表情を。
 だが、今それを口にしてルークに不安を抱かせるつもりはサフィールには無い。そうしないとジェイドが悲しむから……だけでは無く、自身の造り上げた譜業から生まれた朱赤の焔は自分にとっても我が子なのだから。

「ざっと見ましたけど、身体に異常がある訳では無さそうですから安心なさい」
「そだな。ジェイドに何かあったら、ディストがそこまで落ち着いてるわけねえもんな」
「当然です」

 だから、こうやって子どもを安心させるために彼は言葉を紡ぐ。ほっとしたように微笑んだルークの表情を見て照れくさくて、つい視線をそらせたけれど。

 しばらくの間、2人はじっとジェイドの寝顔を見つめていた。微かな呼吸の音だけが、室内に流れて行く。
 静寂に耐えきれなくなったのか、ルークがぽつりと呟いた。

「伯父上、OK出してくれるかな」
「外殻大地降下計画ですか?」

 何を、では無くそのものずばりを問い返して来たサフィールに、ルークはこくりと頷く。朱赤の髪を軽く撫でてやりながら、『知って』いるが故の答えを言葉にして返した。

「大丈夫ですよ。自分の国が滅ぶのを黙って見ているほど、インゴベルト陛下も馬鹿じゃありません。障気は地核振動を止めた後に外殻大地を降ろせばその圧力で封じ込められますから、問題にもなりませんし」

 ま、その後プラネットストームを止めることになりますけど。
 この辺はこっちで上手いことやっちゃいましょう。
 これ以上、ジェイドに負担を掛けまくることは無いですもんね。

「ピオニーはとっとと話進めたがってるでしょうからね。こっちの話が通り次第、グランコクマに飛びます」

 ジェイドの『記憶』通りに進むのであれば、インゴベルト王はこちらの提案を受け入れてくれる。よほどのことで無ければ、世界を破滅に導く道をかの王が取ることは無いだろう。その程度にはサフィールは、インゴベルト王の人となりを信じている。

「ルグニカ平野の戦争はどうなるんだ? なし崩しに休戦状態になってるらしいけど」
「その辺の話もついでにやっちゃうんじゃ無いですかねえ。外殻大地降下について両国が協力するってことは、つまり起きちゃってる戦争を止めることが前提になるでしょ? 戦争してる2国がそのままの状態で手を取り合って世界平和、なんて無茶は出来ませんよ」

 既に魔界に降りた大地の上にいるアスランやジョゼット、アルマンダインやアスター。状況が状況だし、そろそろ物資も心許なくなってきているはずだ。形式上はともかく、実質的に戦争どころでは無いだろう。

「その辺は権力者に任せておきなさい、世界を守りたいのはお互い様なんですから、動かないはずがありません。互いに国民を大勢巻き込んじゃってますし、さっさと決着をつけたいのはどちらも一緒です」
「そっか。うん」

 故にそう言い聞かせてやると、ルークは納得の表情で頷いた。
 艶やかなジェイドの髪を一房指に絡め、なおもその場から動こうとしない少年にサフィールは、立ち上がりながらたしなめるように声を掛けた。

「もう寝なさい。明日はまた登城しなくちゃならないんですから」
「……ここで一緒に寝ちゃ、駄目かな?」
「……」

 恐らく自分は変な顔をしているのだろう、とサフィールはルークの見開かれた目を見てそう感じた。つい、ジェイドがやるのと同じように眼鏡の位置を指先でずらして自分の表情を隠す。
 まあ、睡眠をちゃんと取るのならどこで取っても良いだろう。ジェイドだって、目が覚めたときにルークがいたら喜んでくれるかも知れないし。

「構いませんが。ガイやアッシュと同室だったでしょ? ちゃんと話をしてらっしゃい。何かあったのかと心配されるかも知れませんよ」
「うん、分かった」

 サフィールの言葉を許可と受け取って、ルークは素早く立ち上がる。一度ジェイドの肩を上掛け越しに軽く叩いてから、「すぐ戻るね」と言う言葉を置いて部屋を出て行った。

 ぱたん、と音がして扉が閉じる。それを確認してからサフィールは、ジェイドの眠るベッドの横に膝を突き直した。幼馴染みは全く反応を見せないまま、浅い寝息を立てている。

「ジェイド。多分ルーク、何か気づいてますよ。子どもって敏感なんですから」

 そっとサフィールが耳元に囁きかけても、答えは返って来ない。
 彼らは、第七音素の素養を持つ子どもたちがジェイドの『記憶』を『夢』として見ていることを知らない。だが、ルークがジェイドのことを案じていることだけははっきりと分かる。
 だから恐らく、何らかの情報を子どもが得ているのだろうとサフィールは推測する。彼らがこちらにそのことを話さないのには、それなりに理由があるのだろうとも。
 自分やピオニーだけで無く守るべき子どもにも心配されているのに、この幼馴染みは何も知らずに眠っている。ぐったりと疲れ切って、誰の声も届かない世界へと意識を沈めてしまっている。
 せめて、明日の朝この人が目覚めてくれるようにと祈りながら、サフィールはそっと手を握りしめた。

「1人でいなくなっちゃ嫌ですよ。ローレライにだって、連れて行かせません」

 枕元で呟き続けるサフィールの言葉は、眠り続けるジェイドには届かない。
 まるで幼馴染みの言葉を聞きたくないとでも言うかのように、彼はずっと意識を闇に落としたまま朝まで目覚めることは無かった。


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