紅瞳の秘預言62 理解

 ぱちり、と目が覚めた。
 夕食を取った後部屋に入り、ベッドに倒れ込んだところまでは微かに覚えがある。だがそこで意識は途切れ、たった今までジェイドは自分がずっと眠っていたのだと言うことに気がついた。

「……疲れていたんですかね。私は」

 顔に指をやると眼鏡の感触が無い。恐らくはサフィール辺りが外してくれたのだろうと思いながら、むくりと上体を起こそうとして……ふと、明るい空色がジェイドの視界に入った。

「……?」

 よく見ると、その空色は枕元で丸くなってすーすーと寝息を立てている。筒状の大きな耳が時折ぴくりと動くのは、周囲の物音を拾おうとしているからだろう。

「ミュウ?」
「……みゅ?」

 名を呼ぶと、反応して空色のチーグルがもそもそと起き出した。大きな目を手で擦って、それからジェイドの顔を見上げる。ふわあ、と1つあくびをすると、その意識ははっきりしたようだ。

「みゅう。ジェイドさん、おはようございますですの! しんどいの、大丈夫ですの?」
「おはようございます。……え、ええ、大丈夫ですよ」

 にこにこと笑いながら挨拶をするミュウに返しながら、ジェイドはくるりと自分が眠っていたベッドの周囲を見回した。そこに朱赤と銀の髪を見て、ぽかんと目を見開く。

「あの、これは……」
「ご主人様もディストさんも、ジェイドさんがしんどくて大変じゃ無いかって心配してたですの。だからご主人様、ガイさんとアッシュさんにお話ししてこっちのお部屋でお休みしたですの」

 耳を大きく揺らしながら、ミュウは笑顔を崩さない。対してジェイドは、つい自分の整えられていない髪を軽く掻いた。
 2つ並んだベッドの片方は使用されないまま放置されていた。そうして、ジェイドのベッドの両側にサフィールとルークがもたれるようにして眠っている。

「ミュウもジェイドさん心配だったですの。だからご主人様にお願いして、一緒にお休みしてたですの」

 ちょこちょことジェイドの膝によじ登り、チーグルはみゅうと小さく鳴き声を上げた。恐らくはまだ眠っている2人に遠慮してのことだろう。その身体を腕の中に抱き上げてやりながらジェイドは、サイドテーブルに置かれていた眼鏡へと手を伸ばした。

「余計な心配を掛けてしまったようですね。済みません……年のせいか、ちょっと疲れが出たようです」
「みゅうう。余計じゃ無いですのー」

 掛けた眼鏡の位置を直しつつ苦笑を浮かべたジェイドの胸を、小さな手がぺちぺちと叩く。不思議そうに真紅の瞳を丸くした彼を見上げてミュウは、寝る前に銀髪の学者が口にしていたことを思い出して言葉に紡いだ。

「えとえと、起きたらシャワー浴びてくださいですの。ディストさんがそう言ってたですの。その間にボク、ご主人様たち起こすですの」
「……そうか。私、湯も浴びずに寝てしまったんですね」

 彼の言葉を聞いて、ジェイドは小さく頷いた。上のジャケットだけを脱いだような記憶は朧気にあるのだが、そのままの姿で眠っていたようだからそうなのだろう。

「ルークとサフィールをお願いします、ミュウ」

 ふわふわとその頭を撫でてやってからベッドの上に下ろし、ジェイドは2人を起こさないようにそっと歩き出す。シャワールームに入っていくその背中を見送りながら、ミュウはこきっと首を傾げた。

「みゅうう。ジェイドさん、どうして自分が余計なんですの? ボク、分かんないですの」

 それから腕を組み、少しだけ考える。それでも分からなかったので幼いチーグルは、己の主とその友を起こすことにした。難しいことを考えるよりも、主たちと共に空っぽの自分の腹を満たす方が先決だ。


 身を整え、朝食を摂った後一行は再び登城した。謁見の間に招き入れられた彼らの前には玉座に腰を下ろしているインゴベルト王と、その両脇を固めるようにアルバインとゴールドバーグの姿がある。さらには、殺気立った目でこちらを睨み付けているモースの姿も。
 その中、ナタリアを先頭に一行は王の前まで歩み出た。膝を突くことはせず、頭を下げるだけに留める。最後尾にその身を置くジェイドは王の顔を見上げ、ふと違和感を覚えた。

 『前回』よりも、若く見えますね。

 『記憶』の中にあるこのときのインゴベルト王は、一夜にして数年を過ごしたかのように疲れ切った表情をしていた。その疲労が、今この場にいる彼の顔には見えない。それどころか、ある種の覚悟を決めた表情に見える。その理由も分からないままジェイドは、始まる会話をじっと聞くことにした。

「昨晩、預かった書状には目を通させて貰った。ユリアの第六譜石とそちらの主張は食い違うようだが、これはどう言うことか」

 王の言葉はしっかりとしていて、ジェイドの持つ違和感を増幅させる。と言うよりは、『前回』と『今回』の食い違いをジェイド自身が昇華しきれていないだけなのだろうか。
 ここに至るまでに起こった様々なズレが、インゴベルト王の態度にも表れているのだとすれば。
 彼には、最後の一押しなど必要無いのかも知れない。

「預言はもう、未来を示す役には立ちません。俺が……私が生まれたことで、既に7年前から狂い始めています」
「レプリカ、か」
「はい」

 王とルークのやり取りが淡々と続く。レプリカと呼ばれた時、少年がぎゅっと拳を握りしめるのをジェイドはぼんやりと見つめていた。自分の隣に立ち、ちらちらとこちらを伺っているサフィールの視線には全く気づかないままで。

「第六譜石の終わりがたに記された預言が成就していないことからも、それはお分かりいただけるかと思います」
「鉱山の街の下りだな」

 口を挟んだイオンに、インゴベルト王はゆったりと頷いた。そうして、2人並ぶ焔を真っ直ぐに見据える。預言が絶対ならば、この2人は今この場にいるはずが無い。それを王が理解してくれていることに、ジェイドたち一同はほうと胸を撫で下ろす。
 一度目を閉じた後、毅然と顔を上げてイオンは言葉を続けた。自分たちの行動が、誰の助力を受けてのものなのか。それを、権力者たちに知らしめるために。

「それに、ローレライも始祖ユリアも、第七譜石の預言を成就させてはならぬと言う意見で一致しております」
「……な!?」
「それは、どう言う……!」

 アルバインが顔色を変え、ゴールドバーグが足を一歩踏み出す。モースはイオンを睨み付け、ぎりと歯を噛みしめた。彼にしてみれば、お飾りのレプリカが何をほざいているのかと言いたいのだろう。まさかこの場で、導師が実はレプリカであるなどと口にすることは出来ないけれど。
 対してイオンは余裕のある笑みを浮かべると、ルークを守るように寄り添っているティアへと視線を向けた。そっと手を差し伸べ、彼女を促す。

「ティア。あれを」
「はい」

 彼女も事前に話を通されていたのか、当然のように頷く。ゆっくりとインゴベルト王の直近まで進み出て、掌に載るほどの石を取り出した。

「御前を失礼します、陛下。どうぞ、これを」

 アルバインが手を伸ばすより早く、インゴベルトがその石を取り上げた。表面に刻まれた古代イスパニア語をざっと一瞥したところで、顔色が変わる。

 かくして、オールドラントは障気によって破壊され塵と化すであろう。
 これが、オールドラントの最期である。

「……これは?」
「ユリア・ジュエが残した最後の譜石、その一欠片にございます」

 青ざめた顔で問う王に、下がりながらティアは淡々と答えた。
 第七譜石最後の一文を刻み込まれたその欠片を、イオンはそれを最初に拾ったティアに託していた。彼女の先祖でもある始祖ユリアが、どんな思いで最後の預言を詠み上げたのか。そうして、誕生した第七譜石をホドに隠匿したのか。
 それを、彼らにも知って欲しくて。


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