紅瞳の秘預言62 理解

「馬鹿な! 一体、どこで手に入れたと言うのだ!」

 モースが拳を振り上げ、喚く。第七譜石捜索の任務は自身がティアに与えたものであり、それをこんな形で報告されるとは思っていなかったのだろう。
 だが、モースの問いに答えたのはティアでは無くジェイドだった。薄く笑みを浮かべ、感情の無い言葉を紡ぐ。

「そもそも、第七譜石はホドにありました。極秘の内に、ユリア・ジュエの子孫が守って来たようですね」
「っ!」

 大詠師が怯んだところを見ると、ジェイドの言葉の意味を受け取れない男では無かったようだ。元々ホドに存在していたのであれば、捜索しても発見出来ぬ理由は明白。

「では、ホド消滅の折にその譜石は……」
「この外殻大地より3万キロメートル落下し、地核振動により液状化した魔界の海に沈みました。私たちが一度アクゼリュスと共に魔界に降り、タルタロスと共に戻って来る過程でローレライはその譜石を私たちに託してくださったんです」

 眉をひそめたインゴベルト王に、ティアが説明する。砕けた譜石の一部は今こうやってインゴベルトの手にあるが、それ以外の大部分は今もマルクトのどこかに存在するはずだ。シェリダンで改修を受けているタルタロスには既に無かったようだから、ピオニーが上手く取り計らってくれたのだろうとジェイドは思う。あるいは平和条約締結の折にでも引っ張り出すつもりかも知れないが……あの皇帝ならば、そのくらいのことはやりかねない。
 が、ユリアの遺した譜石が自らの手元に無いことがモースには不満だったようだ。鼻息も荒く、床をだんだんと蹴りながら悪態を吐き出す。

「おのれ……秘匿した上に証拠を隠滅だと……やはりマルクトの陰謀か……!」
「モース様がそんな風に考えるから、ローレライは第七譜石をキムラスカに見せたく無かったんじゃ無いかなあ? キムラスカに持って来てたら、確実にモース様がぶーぶー文句たれるもん。今の100倍くらい」

 歯がみしたモースの顔をジト目で睨み付け、アニスは意図的に子どもっぽい口調で反論して見せた。ついでにあかんべーの1つもおまけすることで、モースを挑発する。

 真面目に大詠師してれば、恥をかくことも無かったのにねえ。
 パパとママを人質に取ってくれたお礼は、まだし足りないんだからね?

 癖のある黒髪を2つに束ねたこの少女が、腹の底で黒い笑みを浮かべていることには誰も気づかない。彼女がどれだけ両親を愛しているか、その愛情の裏返しとして。

「なっ……」
「第一。ローレライ自身は、自分が持つ預言には無い外殻降下の手助けをしてくれていますよ?」

 アニスへと踏み出しかけたモースの足が、銀髪の学者の言葉にぴたりと止まった。ジェイドをモースやアルバインの視線から庇うように進み出て、サフィールは楽しそうに微笑んでいる。「ですよね? 導師」と彼から話を向けられたイオンは、しっかりと頷いて言葉を続けた。

「ヴァン・グランツの企みによりアクゼリュスが崩落の危機に晒されたとき、ローレライがアッシュを通じて我々に話しかけてくれました。我々が生命を長らえたのも、アクゼリュスの街が魔界にて存続しているのも、彼のおかげです」

 少年の言葉は、その状況を知っている者にしてみれば事実を述べているに過ぎない。だが、そうで無い者にしてみればあり得ない状況の捏造にしか聞こえないだろう。存在すら確認されたことの無い第七音素意識集合体ローレライが、彼らに話しかけて来たなどとは。
 自身第七音素の素養を持たぬために預言を詠むことの出来ない大詠師モースは、真偽の確認すらしようともせずただ大声を張り上げた。

「馬鹿な! ユリアの預言は成就されねばならんのだぞ! さあ、第七譜石をここに持って来い!」
「成就してしまえば、オールドラントはもう100年も保たねえ! 伯父上にお聞きすれば良い、その譜石に記された一文が示している!」

 しかし、負けず劣らずの大声でアッシュが反論してみせる。レプリカでは無く、真紅の髪を持つ正真正銘キムラスカ王族である彼の言葉には、さすがに血統を重視している大臣たちやモースも口を閉ざすしか無い。アッシュ自身は、それを意図した訳でも無いのだろうが。
 その中にあってインゴベルト王は、じっと譜石の欠片に刻まれた預言を見つめていた。そうしてイオンに視線を移すと、ぼそりと言葉を落とす。それは問いと言うよりは、どこか確認にも思える言葉。

「だが、この一文だけでは星の終焉がいつになるかは分からぬ。導師イオンよ、この前にはどのような文が記されていたのだ?」

 少なくともこの王は、こちらの話を聞いてくれるつもりはある。そのことに、イオンはほんの僅か唇の端を上げた。会話、交渉と言うものは、互いの言葉を聞かなければその前提すら成り立たないもの。

「マルクトは数年の内に滅ぼされ、そこから数十年の間キムラスカは仮初めの繁栄を迎える。そう、譜石には刻まれていました」
「仮初め……つまり、その後は」
「滅んだマルクトに蔓延した死の病が、キムラスカをも汚染します。最終的にオールドラントはその全体が障気で汚染され、破壊される……そう、ユリアは詠みました。私もこの目で、譜石を確認しておりますわ」

 イオンが、続けてナタリアが、第七譜石に刻まれた預言を思い出しながら告げる。キムラスカの上層部は未だ知らぬことだがそのホド出身者であるガイが冷たく周囲を見渡し、言葉を繋いだ。

「だから、その預言は隠された。ユリアが身を引き、子を成したホドの地にその譜石を安置して。こんな預言が表に出れば、確実に世界は混乱に陥る。ユリアはそれを危惧したんだ」
「ば……馬鹿な馬鹿な馬鹿な! そのような預言が、ユリアの預言であるはずが無い!」

 ごくりと息を飲む一同の中にあって、モースだけは更に叫ぶ。彼にしてみればユリア・ジュエの詠み上げた預言に破滅の未来が記されていることなど、あってはならないのだ。
 しかし、その浅ましい姿にサフィールはくくっと喉の奥で笑う。するりと腕を組み、意地悪そうにレンズを光らせた。

「……分かりやすい実例、ありがとうございます。大詠師」
「モース、ユリアに会ったこと無いのに、どうしてそう言えるの?」

 そうして、不思議そうにアリエッタが首を傾げる。無論アリエッタ自身もユリアと直接対面したことは無いけれど、モースのように会ったことも無い相手について断言などはしないし出来ない。だから少女は、モースが何故そんなことが出来るのか不思議でならないのだろう。

「最悪、この欠片から私が詠み直しても良いのですよ? 何度詠もうが、同じ文言しか出て来ませんけれどね」

 そうして、イオンが吐き捨てるようにモースへとぶつけた言葉に、ジェイドの目が見開かれた。
 『記憶』の世界でモースは、第七譜石の預言を信じることが出来なかった。故にイオンに預言の詠み直しを強制し、それが導師の身体を音素乖離へと導いた。『今の』イオンがその『記憶』を知るはずは無いし、もしその覚悟があるのだとしてもさせるわけには、いかない。
 イオンが口を閉ざしたところを見計らい、ナタリアが一歩足を踏み出した。この場に彼女が訪れたその理由を告げ、王の同意を得るために。

「陛下。今はもう、キムラスカとマルクトがいがみ合っている時では無いのです。互いに手を取り合い、世界と民を守るために力を合わせなければなりません。預言に胡座をかき、贅沢を貪るのが王族の務めなのですか? 国を守り、民を守るために王族と言うものは存在するのではありませんか?」

 王を父と呼ぶこと無く、ナタリアは淡々と言葉を紡ぐ。インゴベルト王はじっと金の髪を揺らす少女の顔を見つめていたが、やがて重々しく口を開いた。不安げでは無く、彼女の言葉を真正面から受け止めようとするその視線は、ナタリアに力を与えているように見える。

「……そなたは、わしに何をしろと言うのだ?」
「マルクトと平和条約を結び、戦争を終わらせてくださいませ。そして、外殻大地全体を魔界へ降下させることについての許可を戴きたいのです」

 ナタリアの言葉を聞いた途端、アルバインが大声を上げた。続けてモースも、鼻息荒くまくし立てようとする。眉をひそめたアッシュを、イオンが手を伸ばすことで止めた。

「何を申すかと思えば! マルクト帝国は長年敵対して来た相手ですぞ。そのようなことを口にするとは、そなたらはやはり売国奴!」
「陛下、騙されてはなりませんぞ。きゃつら、マルクトに鼻薬でも嗅がされたに違いありません。所詮は王家の血を引かぬ偽者の戯れ言……」
「黙りなさい。血脈だけにこだわる愚か者」

 導師の鈴のような声に、今だけは怒りの感情が籠められる。びくりと身体を震わせて口を閉ざしたモースを、イオンは冷たい眼差しで見つめた。例え自身を生み出した存在であるとは言え、愚かな台詞を吐き出した男に対し既に敬意と言ったものは失せている。
 つまらなそうな目でモースとアルバイン、そして無言のままのゴールドバーグをじろじろと見ながら、ルークが吐き捨てた。

「敵対してたのはお偉方ばっかだろ。エンゲーブの野菜が無けりゃ、キムラスカだって困ってただろうにさ」
「シェリダンやベルケンドの音機関が無ければ、マルクトも困ってますよ。軍事的にでは無く、日々の生活においてね」

 サフィールが肩をすくめ、朱赤の焔に同意する。長きに渡り敵国として存在した2つの国ではあるが、生活面においては相互に依存している部分がある。だからこそ両国に跨る形で自治都市ケセドニアが存在し、ダアトを仲介しての三角貿易も成り立っている。そのことを思い出したかのようにむすっと口を閉ざしたアルバインに一度だけ視線を投げて、ジェイドは口を開いた。


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