紅瞳の秘預言62 理解

「生まれながらの王族など、本来どこにも存在しません。己こそがそうあろうと努力した者だけが、冠を戴くに相応しい品格、品性を得られるんです。そこに血脈は意味を持たない……違いますか」

 ナタリアもそうだが、ジェイドにとってはピオニーも同じ存在である。戴冠以降、彼は己が持つ全てを駆使してマルクトを、引いてはオールドラント全体を守るための皇帝であろうとした。ジェイドの持つ『記憶』を知り、2つの預言を回避するために助力してくれているのも自らの民を守るためだ。それはもし、ピオニーが先帝の血を引かぬ存在だったとしても変わりはしなかっただろう。そうで無ければジェイド自身、彼の懐刀としてその力を振るうことも無かったであろうから。

「カーティス大佐のおっしゃるような品性が私にあるのか、それは分かりません。ですが、私は陛下のお傍で王女として、国を愛すべき者として18年の間育てられました。その年月に賭けて、誇りを持って宣言しますわ」

 胸の前で両手を組み、祈るように謳うナタリア。真っ直ぐ王を見つめるその瞳には、強固な意志の光が宿っている。謁見の間周囲を警護している兵士たちが、思わず跪くほど。
 インゴベルト王の娘として、キムラスカの王女として18年の間生き、民に慕われる少女は凛と声を張り上げた。

「私はこの国と陛下を……お父様を愛するが故に、マルクトとの平和と大地の降下を望んでおります」

 暫しの間、2人は見つめ合ったまま動こうとしなかった。大臣も、大詠師も、少女の仲間たちもじっと口を閉ざし、王の決断を待っている。
 しん、と静まりかえった空間にやがて、声が響いた。

「──良かろう。その提案、受け入れようぞ」

 ゆったりと頷いて、インゴベルト王が発したその答え。ルークが反射的に表情を明るくしたのとは対照的に、アルバインとモースが焦りの表情を浮かべる。中でもモースのそれは、追い詰められた獲物のように血色を失っていた。

「伯父上!」
「なりません、陛下!」
「こやつらの戯れ言に耳を貸すなど……」
「黙れ、モース!」

 だが、焦燥混じりのモースの叫びをインゴベルト王は途中で遮った。ぎろりと睨み付けるその両目は威厳に満ちあふれ、大詠師はその迫力に押されたかのように数歩後ずさる。その彼を追うように、なおも王の言葉が放たれた。
 ジェイドが待っていた、きっとナタリアも焦がれていただろう言葉。

「我が娘の言葉を戯れ言などと愚弄するな!」
「──ぁ」

 我が娘。
 王は、はっきりとそう言った。この場にいる全員が、その言葉を受け止めた。

「……おとう、さま」

 震える唇が、やっとのことで言葉を紡ぐ。その声に引かれたかのように王は玉座を立ち、足を踏み出した。

「分かってはいたのだ……王という者は、何よりも国を愛し国を憂う者で無ければならぬ。わしは預言に溺れ、すっかりそれを忘れていたよ」

 憑き物が落ちたようにほっとした表情を浮かべ、インゴベルトが段を下りて来る。そのままナタリアの前にまで歩み寄り、娘の白い手を自身の両手で包み込んだ。

「それに、何よりも……血の繋がりだけが親子の絆では無いのだ。シュザンヌも、アリエッタ殿もそう、教えてくれた」

 王に視線を向けられて、桜色の髪を持つ少女はにこっと無邪気に微笑んだ。自分の言葉が王に伝わったことが、単純に嬉しかったのだろう。

 例えレプリカであろうと、この子は私の息子です。
 生まれてから7年の間ファブレの屋敷で育った、紛れもない私の息子です。

 アリエッタ、ライガのママに育てられた。
 ママとアリエッタは血は繋がって無いけど、でもママはママ。

 血の繋がらぬ子を慈しみ育てた母親と、魔物の母に愛情豊かに育てられた娘。
 『前の世界』では聞かれることの無かった彼女たちの言葉が、インゴベルト王の心に響いた。それ故に彼は、ジェイドが『知る』よりも早く己の思いを定めていたのだろう。
 父王の言葉をじっと聞いていたナタリアの目から、ぽろりと一粒涙が落ちる。気丈で責任感の強い彼女のこと、これまではずっと我慢していたに違いない。

「私は、王の娘で無くても良いのです! それよりも何よりも、お父様の娘で無いと言われたことが一番、辛かった……!」

 涙が流れてしまったことでたがが外れたのか、ナタリアは自身の思いを泣きながら吐き出した。その細い両肩にそっと手を掛けてインゴベルト王は、父親の優しい笑みを浮かべて頷いてやる。

「我が血を引かずとも、そなたはわしの娘だ。初めて立ち上がった時のことも、わしを初めて父と呼んでくれた日のことも、良く覚えておる。忘れることなぞ出来ぬ」
「……お父様っ!」

 思わず、父の胸にすがりつくナタリア。愛娘の身体をしっかりと抱きしめて、インゴベルト王もまた涙を一筋流した。


 ナタリアをその場に残し、謁見の間を辞した一行はほっとした表情で廊下を歩いている。その中でルークは、退室したときからずっとジェイドに張り付いている。その肩に乗ったミュウも一緒だ。

「何ですか? ルーク」

 レンズの奥の目を僅かに丸くして、ジェイドは問う。サフィールのように腕を取ったりはしないものの彼の隣をキープするように歩いているルークは、ジェイドの顔を見上げて少しだけ眼を細めた。

「……俺さ。自分がレプリカだって分かったとき、すごく辛かったんだなって今になって気がついた」

 インゴベルト王の娘で無いと言われ、衝撃を受けたナタリアを見ていてルークは今更ながらにそう感じたのだろう。あの時のルークはどこかに感情を置いて来たようにぼうっとしていたから、自身の気持ちに気づくことも出来なかったのだとジェイドは推測する。
 推測することしか自分には出来ない、と彼は信じているから。

「ああ……衝撃が大きすぎて、気づけなかったんでしょうね」
「うん、そうなんだと思う。感覚、鈍ってたんだなあ」

 ちらちらとこちらを伺うガイやティア、アニスの視線が柔らかい。この2人の親と子と言う関係がすっかり定着してしまっているからだろう。サフィールまでが保護者然とした表情でこちらを伺っているのには、さすがにジェイドも呆れるしか無いのだけれど。

「な、ジェイド」
「はい」

 改めて名を呼ばれ、ジェイドは指先で眼鏡の位置を直しながらルークの顔を見る。どこか照れたように鼻の下を擦りつつ、朱赤の髪の少年は感謝の言葉を口にした。

「ずっと俺のこと、見捨てないでいてくれてありがとな」

 ここにいると、馬鹿な発言にいらいらさせられる。

 貴方も来るんですか?

 ずきんと、胸の奥が痛む。
 自分に掛けられるはずの無かった、感謝。
 受ける資格など無い言葉を掛けられて、思わず視線を逸らした。

「ジェイド? どうしたんだ?」
「……いえ」

 不安げな表情で顔を覗き込まれ、ジェイドは慌てて首を振った。この子どもには、知られてはならない。
 『前の世界』では最初にルークを見捨てたのだと、そう口にすることは出来ない。自分とごく少数の知己を除いて『前の世界』についてを知る者はいないし、知らせてはならないと思っているから。
 だからルークには、ジェイドの沈んだ表情の意味が分からない。分からないけれど、何となく寂しいのでは無いかと少年なりに考えた。それは、空色のチーグルも同じだったらしい。
 ふっとルークの肩から重量が消えた。ミュウは器用に2人の身体を飛び移り、ジェイドの肩に座り込むとくすんだ金髪にしがみついた。

「何です? ミュウ」

 突然肩に掛かった重量が、ほんの僅か痛みをジェイドに与える。それには気づかないふりをして、ジェイドは問うた。今朝もそうだったけれど、このチーグルの仔が自分を気に掛ける理由が彼には理解出来ない。
 もっとも、ミュウの方にはそんなに難しい理由がある訳では無い。にこにこ無邪気に笑いながら、素直な気持ちを言葉にして見せた。

「何でも無いですの。ミュウが少し甘えたいだけですの」
「……構いませんが。おかしな子ですね」

 少し困ったように笑って、ジェイドはミュウの頭を柔らかく撫でてやる。すりと頬にすり寄せられた短い毛並みの感触に、何故かほっと息をつくことが出来た。
 それでも、胸の奥に突き刺さるような痛みは消えないけれど。


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