紅瞳の秘預言63 調印

 ユリアシティ。
 外殻大地全域が上空に引き上げられた後も魔界に存在しているこの街には、現在その外殻大地を統べる3つの勢力の長が勢揃いしようとしていた。
 キムラスカ・ランバルディア王国国王インゴベルト6世は娘ナタリア、妹婿であるファブレ公爵を伴いノエルのアルビオールでこちらへと向かっている。
 マルクト帝国皇帝ピオニー・ウパラ・マルクト9世は懐刀であるジェイドとその補佐たるサフィールと共に、ギンジのアルビオールによる小旅行を楽しんでいる。
 ローレライ教団導師イオンは導師守護役であるアニスと六神将アリエッタを連れ、一足先に入り創世暦時代の書物に幾つか目を通していた。預言に背くものとされ禁じられた書物たちではあるが、既に預言が意味を成さなくなっているこの世界でそれらは重要な道標でもある。
 彼らは先のルグニカ平野で行われた会戦の休戦会議を名目として、和平条約を結ぼうとしている。そのためにこの地を選んだのは、ジェイドの『記憶』同様にルークであった。元から魔界に存在する街を権力者たちに見せることで、現在の魔界の状況を把握して貰うという意味合いもそこには存在する。充満した障気自体は外殻大地を降下させれば押さえ込めるものだが、その後にプラネットストームを止めなければいずれ世界はこうなるのだと言うことを、ジェイドは彼らに知って欲しかった。創世暦時代の先人たちですら、障気を止める術を持たなかったがために大地を上空へ引き上げると言う方法を取ったのだから。
 目先のエネルギー枯渇を憂う愚か者が、世界の未来を奪うことにならないように。
 先に魔界へと降下した自治都市ケセドニアからは、オブザーバーとして商業ギルド長アスターに会議参加して貰うことになっている。これも『記憶』と同じく、イオンの提案によるものだ。

「この辺は変わらないんですよねえ。私が口出しすべきでは無い事柄でしたから、口を挟まなかったんですが」
「一個の人格を持った人間の思考ですもん。状況が変わっても、そうそう変化は無いですよ」

 アルビオールの窓からは、液状化した魔界の表面が障気に霞んで見える。その光景を見下ろしつつ『記憶』と現状を照らし合わせて溜息をついたジェイドに、サフィールはにこにこ笑いながら答えた。

「そうだそうだ。サフィールだって、説得したかしないかでジェイドの重要性が変わってる訳でも無いだろう?」

 2人の会話を聞きつけたのか、ピオニーがひょっこりと顔を出して来た。さすがにそろそろ、変わり映えのしない魔界の空は飽きたのだろう。これがユリアシティに到着する頃になれば、また子どものように顔を輝かせるのだろうが。

「分かってるんでしたら、親友同士の会話に割り込んでこないでください」

 途端、サフィールの笑顔がむっとした表情に変化する。かなり分かりやすい感情表現に、明るい金の髪を持つ皇帝は苦笑しながら肩をすくめた。

「何だよ、俺も混ぜろよー。ジェイドの『記憶』のことなら、俺の方が先に知ってたんだぞ」
「そりゃ四六時中……とは言いませんが、しょっちゅう一緒にいたら当たり前です! ジェイドの変化に気づかない方がおかしいんですよ!」
「そんなにジェイドが大事なら、ダアトに出奔しなけりゃ良かったんだろうが」
「だってあの時は、その方がジェイドのためになると思ったんです!」

 ジェイドを挟む形で、2人の友人が言葉を交わし続ける。サフィールはかなり本気で怒っているようだが、ピオニーの方はあくまでも友人との会話を楽しんでいる雰囲気だ。そんな2人をしばし見比べていたジェイドだったが、小さく溜息をつくと割って入ることにした。いつまでも口論を続けている場合でも無いだろう。

「陛下もサフィールもやめてください。私はそこまで重要な人間では無いんですから」
「は?」
「え?」

 不意に上げられた声に、ピオニーとサフィールは同時に口を閉ざした。くるりと振り返った先には、困ったように微笑むジェイドの端正な顔がある。
 一瞬後、サフィールが眉根を寄せた。ピオニーと違いグランコクマから長く傍にある彼は、ジェイドの言葉の意味にいち早く気づいたのだ。

「あ、こら。自分を卑下するのはやめてくださいよ。もっと自信を持ってくださいな」
「……済みません」

 額に掛かる前髪をサフィールの細い指で掻き上げられながらも、ジェイドの表情は変わらない。昔、サフィールがマルクトを出奔する以前にはまるで浮かべることの無かった、寂しげな笑顔。

「全くもう。そんなんじゃあ、子どもたちも心配するわけですよ」
「私が頼りにならないからでしょう」

 髪を弄くっているサフィールの溜息混じりの言葉に、ジェイドはほとんど感情を乗せずに応える。それから、シートベルトを外してするりと立ち上がった。

「ちょっと、ギンジを手伝って来ます。お2人はごゆっくりどうぞ」
「あー、うん」
「はあ」

 どこか気の抜けたような返事をしてしまった2人に小さく頭を下げて、ジェイドはそのまま飛晃艇の前方にあるコクピットへと足を進めて行った。その背をじっと見つめていたピオニーは、露骨に顔をしかめると明るい金の髪を無造作にがりがりと掻く。その口から吐き出された「……何だあれ」と言う言葉に、サフィールは皇帝の顔を見直した。

「『記憶』入ってからこっち、精神的に弱ってる感はあったけど……何か、酷くなってねえか?」

 不機嫌そうな表情で、口を尖らせているピオニー。だが、その彼が口にする言葉は、今のジェイドを示すには端的で正確なものだとサフィールは思う。
 だから、つい頷いた。ついでとばかりに不満が口を突いて出てしまうのも、仕方の無いことだろう。

「ええ。ローレライが余計なことしてくださったおかげでね」
「余計ねえ」
「……こう、ある程度は『覚えて』いる通りに歴史が進んでいるわけでしょう。ですから、この先にありそうな嫌なこととか思い出しちゃうんじゃ無いですか?」
「ま、確かにそうかもな。俺だってアスランを失うなんて先に言われてっから、気が気じゃ無いぞほんとに」

 乱れた髪はそのままに顎に手を当てて、ピオニーは小さく頷いた。
 ジェイドの『記憶』に関する大半はアスランにも伝えてはいるが、さすがに彼自身の死を伝えてはいなかった。その状況に彼を追い込むのはヴァンがフォミクリーによって生み出したレプリカの軍隊だから、重要な技術者であるサフィールがこちらに着いている以上その事態を繰り返す可能性は低い。無論、その可能性が高くなった場合にはそれなりに手を考えているのだが。
 そもそも、サフィールがディストの名を捨ててジェイドの補佐を務めているのは、その『記憶』があったからこそだ。それをピオニーは、わざわざ言葉に出す。

「とは言え、その余計なことが無けりゃお前さんは今、ここにはいない」
「そうなんですけどねえ」

 ピオニーとは視線を合わせること無く、サフィールは背もたれに身体を預けた。癖の無い銀髪をぐいと掻き上げて、はあと息をつく。

「あそこで説得されてなきゃ、今頃焔たちには大爆発の兆候が起き始めていましたね。私は相変わらずヴァン総長の下でネビリム先生の復活に邁進してたんでしょうし……それでジェイドを怒らせて、彼の望まない解決へと進んで行くはずだった」

 目を閉じて、ジェイドから伝えられた『記憶』に刻まれた事柄を復唱する。一度言葉を切った後瞼を開き、彼はピオニーの顔を正面から見つめた。

「何で、ジェイドだったんでしょうね」
「何が」

 サフィールの言葉も、それに対するピオニーの答えも、言葉が最小限以下にしか使われていない。それでも2人は、何と無く互いの言いたいことを理解することが出来ていた。
 そうして、サフィールはピオニーの疑問に対する答えを提示するために言葉を紡ぎ直した。

「ローレライなら、自分の同位体であるルークやアッシュを利用するって手もあったはずです。導師やティア、ナタリア王女も第七音譜術士ですから、あの子たちと言う手段もあります。何で、第七音譜術士でも無いジェイドを選んで『未来の記憶』を持たせたんでしょう?」

 それは、サフィールがジェイドから『記憶』について聞かされた当初から持っていた疑問だった。『未来の記憶』は預言のようなものだと彼は考えており、故に第七音譜術士……特に預言士の能力を持っているイオンやユリアの子孫であるティアの方が『記憶』を持つに相応しいのでは無いかと思っている。
 何故、第七音素を操ることの出来ないジェイドにその役割が託されたのか。
 ローレライが何を考えているのか、サフィールにはそれが分からない。

「それは、ローレライが選んだのか?」
「え?」

 一方、ピオニーの方は少し思考の方向が異なった。ローレライに、選択の余地があったかどうか……そんなことを考えていた自身の意見を言葉にし、サフィールにぶつける。

「考えたくは無いがな、『選ばざるを得なかった』のかも知れんぞ。何しろジェイドだ、『前の世界』で何をしでかしたか分からん」
「……まあ、ねえ」

 その意見には、サフィールも納得せざるを得ない。何しろ、『前回の世界』を『覚えて』いるのは唯一ジェイドのみなのだ。その彼から情報を知らされている自分たちには分からない、何らかの事情があったのかも知れない。
 2人は互いに顔を見合わせて、大きく溜息をついた。自分たちの会話を前方でギンジのサポートをしているジェイドに聞かれなかったか、と一瞬サフィールが巡らせた視線には、くすんだ金髪と青い背中が映っているだけ。
 ピオニーとサフィールは、第七音素の素養を持つ子どもたちが見ている『夢』を知らない。その『夢』を知ってさえいれば、ローレライがジェイドを選択するに及んだ経緯には気づいたのでは無いだろうか。
 彼が、『前の世界』で何をしでかしたのか。


PREV BACK NEXT