紅瞳の秘預言63 調印

 ピオニーの到着から少し遅れて、インゴベルト王がユリアシティに降り立った。付き添いとしてやって来たファブレ公爵の顔を見て、ルークは一瞬びくりと身体を震わせた。自身がレプリカであると知ってから初めて父と顔を合わせるのだから、無理も無いのだろうが。
 と、並んで立っているアッシュがすっと足を踏み出した。ルークを半ば背に庇うように立ち、ファブレ公爵を真っ直ぐに見つめる。

「……父上」
「ルーク、か」

 シュザンヌやインゴベルトから話は聞いていたのだろう。アッシュの顔を見て一瞬目を見張り、公爵は生まれたときに彼に付けられたその名を呼んだ。

「……いえ、俺はアッシュです。母上にもこの名を使う許しを得ました」

 だがアッシュは首を振り、自身の現在の名を名乗る。そうして身体を横にずらし、そこにいるルークの背に手を回した。軽く押されて、ルークは父の前に歩み出る形になる。

「……あ」
「大丈夫だ」

 思わず目を逸らしかけたルークに一言だけ耳打ちし、アッシュは改めてファブレ公爵と向き直った。2人並ぶ姿は、父の目には仲の良い双子の兄弟に映る。

「ルークは……父上と母上の元で7年育てられた、俺の弟であるこいつの名前です。父上にも、それを了解願いたい」

 そうしてアッシュがぶつけて来た言葉に、公爵ははっと顔を上げた。朱赤の髪を持つ息子は、全くの無垢から7年の間ファブレの屋敷で育ち、自身を父と呼んだ。その7年を無くすことは出来ない。
 例え、鉱山の街で死なせるために育て上げたのだとしても。

「……そう、か。そうだな……このルークも、私の息子だな……」

 別れが分かっていたために自分は息子から目を背け、愛情が湧かぬように振る舞って来た。それを今更ながらに、公爵は悔やむ。
 預言に翻弄され、我が子を生け贄として捧げようとしていた己の愚かさを。

「……ルークよ」
「父、上」

 それでも、この子は自身を父と呼んでくれる。それだけが嬉しくて、公爵は胸を詰まらせた。必死で搾り出すことが出来たのは、一言だけ。

「今まで、構ってやれなくて済まなかったな」
「……はい」

 返事も一言だけ。だが、それでも互いの気持ちは通じ合っただろう。
 何故なら、ファブレ公爵もルークもほっとしたように表情を緩め、息をついたのだから。


 やがて、集会所の会議室で和平のための会談が持たれた。2通の調印書にピオニーとインゴベルトがそれぞれ署名を入れ、交換する。2国の長の名が並んで記された調印書を確認し、テオドーロ市長はゆったりと頷いた。

「結構です。それではこれをもって、和平条約の締結と致します」
「ちょっと待った」

 ジェイドの『記憶』通り、ここでガイが歩み出た。その真意をジェイドと、彼から教えられたピオニーとサフィールは知っているから、動揺することも無く金髪の青年に視線を向ける。
 対して子どもたちとキムラスカ陣営は、一瞬ざわりとざわめいた。青の視線は真っ直ぐにインゴベルト王を見つめており、そこには静かな怒りが充ち満ちている。それに気づいてか、2人の焔の子どもたちが青年の名を呼ばわった。

「おい、ガイ!」
「ガイ?」
「悪い。大事なことなんだ……少し黙っていてくれ」

 冷たい光を宿した瞳に、ルークは踏み出しかけた足をぴたりと止めた。アッシュは腕を組み、不機嫌そうに顔をしかめている。どうやら、ガイの言動を見て判断することにしたらしい。

「今のと同様の決めごとが、ホド戦争の直後にもあったよな。今度は守れるのか?」
「ホドの時とは違う。あれは預言による繁栄をキムラスカにもたらすため……」

 ジェイドが『覚えて』いるのとほぼ同じ言葉が行き交う。彼の目の前で愛用の片刃の剣を抜いた青年は、その刃をインゴベルト王の首筋に突きつけた。

「そんなことで、ホドを消したのか。あそこには俺の母上のようなキムラスカ人もいたんだぞ」
「ガイ! 何をするのです!」

 ナタリアが悲鳴を上げる。既に彼自身の口からその出自を知らされている子どもたちですら、その行動には一瞬息を飲んだ。今初めてその言葉を聞いたインゴベルト王やファブレ公爵の顔から色が失われても、致し方あるまい。

「お前の、母親……?」
「ユージェニー・セシル。和平の証として、あんたがホドのガルディオス伯爵家に嫁がせた人だ。忘れたとは言わせないぜ」

 自身の母の名をこうやって堂々と口にするのは、きっとホドが消えてから初めてだっただろう。ぎりと歯を噛みしめて、ガイはインゴベルト王を睨み付ける。その姿を、ピオニーはじっと見つめていた。

 ったく、クソ親父めが。あんたの陰謀が尾を引きずってこんなことになったんだぞ。
 まあ、尻拭いくらいはしてやるけどな。マルクト皇帝として。

 自身が即位する前の話ではあるけれど、帝国を統べる長として責任を取らなければならないことくらいピオニーにも分かっている。ジェイドは自身の責任だと言うだろうが、彼に非人道的な研究を命じたのはマルクトの皇帝なのだから。

「ガイ。復讐が目的なのであれば、私を刺しなさい」

 ファブレ公爵が、すっと席を立った。自分を指し示し、青年と真っ直ぐに向き合って真実を口にする。

「ユージェニー殿を手に掛けたのはこの私だ。マルクト攻略の手引きを拒否されたのでな」
「父上! 本当にっ!?」

 顔色を変えたルークに、公爵はゆっくり頷いた。ルーク、と小さく名を呼んでその肩を引き戻したアッシュと、渋々引き下がる弟の顔を一度だけ見比べてから父親は、言葉を紡ぐ。

「勝つためならば手段は選ばない……それが戦争なのだ、ルークよ。お前を……お前たちを亡き者にすることで、ルグニカ平野の戦を起こしたように」

 今目の前には、息子たちが2人とも生きている。だが、預言にただ盲従していたならばこの子たちのどちらかを……否、2人とも失っていたのかも知れない。
 そうまでして始められた戦の末に、本当にキムラスカの繁栄が存在したのだろうか。
 ファブレ公爵には、それを判断することは出来ないでいる。何しろ今目の前には、その預言に運命を左右された末義兄たる国王に対して刃を向けた青年がいるのだから。

「母上はまだ良いさ。何もかもご存じで嫁がれたのだろう? だが、他の者を巻き込む理由があったのか。屋敷の者を殺戮し尽くして、ホドの大地そのものを消し去って」

 完全に怨嗟に飲み込まれた訳では無いけれど、ガイの言葉には重みと冷たさが充満している。だが、今の言葉は……少なくとも最後の1つについては、相手が違う。

「ホドそのものの仇を討ちたいと思うのならば、お前は刃を向ける相手を間違えているぞ。ガイラルディア・ガラン」

 その過ちを正すべく、凛とした声が響いた。一斉に視線が集中する中、発言の主であるマルクトの皇帝はゆったりと構えている。海の色の瞳には力強い光が宿っており、既に彼がホドの真実を明かす覚悟を決めていると言うことがジェイドやサフィールには理解出来た。

「陛下?」
「いずれ分かることだ……ああいや、お前たちは薄々分かっているんだろう? ジェイドが少しだけ、話をしたそうだからな」

 ぽかんと目を見開いたガイに、ピオニーは普段よりも少し落とした声のまま言葉を続ける。一度室内に視線を巡らせた後、恐らくは自分とジェイドに言い聞かせるようにゆっくりと、事実を言葉にして吐き出した。

「ホドを消したのはキムラスカでは無い。──我がマルクトだ」

 ホドにあった研究所の所長は、私でした。ホドの崩壊は私のせいでもあるんです。


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