紅瞳の秘預言63 調印

「まさか、本当に……?」

 呻くように呟かれたガイの言葉に微かな顎の上下で肯定を示し、ピオニーは真紅の瞳を持つ懐刀へと視線を向けた。彼の『知って』いる通りに、ここは話を進めるべきだろう。

「ホドには軍の研究所があった。そこでフォミクリーの研究がされていた。そうだったな、ジェイド」
「はい」

 小さく頷いたジェイドの顔からは、表情が失われている。その姿に『夢』の中で見たぼろぼろの彼が重なって、ティアはぞくりと背筋を震わせた。それには気づかないまま、ジェイドは淡々と言葉を紡ぐ。

「戦争が始まると言うことで、ホドで行われていた譜術実験についてはほぼ全てを引き上げました。ですが、フォミクリーについては装置が大がかりだったこともあり、時間が足りず間に合いませんでした」
「前皇帝……俺の父は証拠隠滅も兼ねて、キムラスカ軍を巻き込む形でホドを消滅させる決定を下した。機密は守れ、敵も消せる。一石二鳥だとな」

 悪意の籠もった言い方は、ジェイドに罪を重ねさせた父へのせめてもの報復と言ったところだろうか。ピオニーが引き取った言葉に、更にジェイドが続く。

「当時のフォミクリー被験者を装置に繋ぎ、その二者間で人為的に超振動を起こしたそうです。あの地にセフィロトが存在したことは知られていませんでしたが、結果としてホドを支えていたセフィロトツリーは消滅し、あの地は崩落した」
「酷い……被験者の人がかわいそうだよ……」

 アニスの呟きに、一瞬だけ真紅の瞳が臥せられた。当時の自分には、誰かをかわいそうだと哀れむ心すら存在しなかったことを思い出したからだろうか。

「それで、直後に大津波が引き起こされた訳だな」
「……アリエッタの故郷も、巻き込まれた」

 インゴベルトの言葉を聞いて、イオンの背を守るように立っているアリエッタがぎゅっとぬいぐるみを抱きしめた。視界の端で彼女の表情をちらりと確認してから、サフィールはふんと鼻息を荒くする。

「先代皇帝は、それをキムラスカ軍の仕業だと言ってマルクト国内の反戦論をもみ消したんですね。あの方、ピオニーと違って主戦派でしたし」
「それで……その被験者はどうなったんだ?」
「辛うじて生き長らえました。ここにおられる皆は、ほとんどが顔を合わせているはずですよ」

 『前回』は、それが誰であるかを知らなかった。けれど『今回』は、全て知ってしまっている。だからジェイドは、ルークの問いにそう答えた。途端、室内にざわめきが満ちる。

「えっ?」
「俺たちも、そいつを知っていると?」

 目を瞬かせるナタリアと、眉根を寄せるアッシュ。彼らの視線を一身に受けて、ジェイドは一度大きく息を吸い込んだ。

 自分の罪を罪と認めて告白することが、こんなに辛いとは思いませんでした。

「ええ。当時11歳でしたから……現在は27歳になっていますね。名前は──ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ」
「え……」
「なっ……」

 歌うように告げられたその名に反応したのは、ティアとガイの2人。そしてルークもまた、その名をどこかで聞いたような気がして目を瞬かせた。沈みかけた意識の中で微かに聞こえたその名を呼んだのは……やはり、ジェイドだったように思う。あれは確か、激しく揺れるアクゼリュスのセフィロトでだったか。

「ヴァン……デスデルカ? え?」

 うろついていたルークの視線が、ティアのそれとぶつかった。少女は豊かな胸の上で拳を握り、こくりと唾を飲む。そうして、殊更落ち着かせようと意識した低い声で言葉を紡いだ。

「……私たちのグランツという姓は、お祖父様の籍に入ってからのものなの。私の本名は……メシュティアリカ・アウラ・フェンデ」
「フェンデ……って」

 ルークはその名をオウム返しのように呟いて、次の瞬間息を飲んだ。
 ティアが本来名乗るはずだった姓は、フェンデ。
 同じ姓を持つ、現在27歳の、『ヴァンデスデルカ』。

 師匠、確か27って言ってたよな。

 思い当たる節など、1人しかいない。ルークは振り返り、ジェイドに確認を取る。

「じゃあ、もしかして……ヴァン、師匠?」
「はい。ホドを消滅させるために利用された被験者は、間違い無く彼です」

 ほんの僅か頷いて、ジェイドはルークの問いを肯定した。『前回』はガイとティアの証言によって初めて知った事実だったけれど、今のジェイドは全てを知っている。故に、さほど驚くことも無く彼は答えることが出来た。

「フォミクリーを良く知っていたのも当然、ですね……自身が被験者だったのですから」
「ヴァンが旦那を憎んでるのも、それが理由か。自分に実験を強制した上にホドを破壊させた研究所のトップが、旦那だったから」

 イオンがぽつりと呟き、ガイが言葉を続けた。が、サフィールが怒りを露わにしてだんと足音も高く床を踏み鳴らす。

「ちょ、何言ってんですか。あれはほとんど名義貸しだったじゃ無いですか! ジェイドは基本的にグランコクマ近辺で任務についてたんですよ、実質的にあの研究所でやられてた研究にジェイドはほとんど関与していません! 私はずっとジェイドと一緒に研究してたんですから、それは確かです!」

 だんだんと拳でテーブルを叩きながら、サフィールは激しく主張した。それはまるで、少し知恵のついた子どもが自分の友人を庇うために叫んでいるようで。
 だからジェイドは、やんわりと首を振った。手を伸ばしてサフィールの口の前に開き、彼の言葉を止めさせる。

「でも、あの研究所で行われていた実験計画を立て、許可の印を捺したのは他の誰でも無い、私ですから。ジェイド・カーティスの名において、ホドでの研究は行われていたんです。だから、全責任は私にあります。先代の皇帝陛下でも、現地で研究をしていた私の部下でも無く、私に責任があるんです」

 泣きそうな瞳でそんな台詞を紡いだ後、彼は口を閉ざした。重い静寂が、会議室の空間を支配する。

 ホドにあった研究所の所長は、私でした。ホドの崩壊は私のせいでもあるんです。
 だから、恨むなら私にしてください。

 ずっと前、ジェイドが自分に掛けた言葉がガイの中に蘇る。あの言葉がきっかけで、カースロットに穢された自分は彼を殺そうと刃を振るったのだった。
 くすんだ金髪を持つ軍人が口にした言葉の意味を、ガイはやっと理解した。

 そう言うことだったんだな、旦那。
 だからって、ホドの崩壊そのものがあんたの責任って訳じゃ無いだろう?
 何で、自分に無いはずの責任まで取ろうとするんだよ。
 ヴァンデスデルカの逆恨みじゃないか。

 そんな旦那に、俺は刃を向けたのか。

 抜かれたままの刀が揺れる。向ける先を失った刃は、そのまま力無くぶら下げられた。それに気がついて、イオンが青年に視線を向けた。

「ガイ。ひとまず剣を収めては貰えませんか? ここにいるほとんどの人間を殺さなければ、貴方の復讐は終わらない」

 少年の言葉に、はっとガイは意識を引き戻す。それから「そうだな」と頷いて、彼は鞘に刀を収めた。軽く肩をすくめ、ゆっくりと引き下がる。

「……正直、とうに復讐する気は失せてたんだがね。二度と、俺のような人間を生み出さないで欲しかっただけなんだ」

 テオルの森でジェイドに斬りかかった時のように、理性を失ってしまっている訳では無い。真実を理解した今となっては、彼らを血祭りに上げる意味も無い。
 復讐が生み出すものは新たな憎しみと復讐者だけ。
 だからガイの中からは、とうの昔に復讐心などと言うものは消えていた。実際にはその欠片程度は残っているのかも知れないが、少なくとも目の前にいる仇たちを殺戮し尽くそうなどと言う思考は彼の中には無い。
 そして、もうひとつ。

「それと、ジェイドの旦那。あんたみたいに逆恨みで傷つけられるような人間も、もう出て欲しく無いんだよ。悪かったな」

 真紅の瞳をレンズの奥で瞬かせている軍人に、青年は言葉を掛けた。ガイはガイなりに気を使っての言葉だったのだけれど、それに対するジェイドの反応に彼は眉をひそめた。

「……? どうして私に?」

 ジェイドは、何を言っているのか分からないとでも言うかのように不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げていた。
 その表情は、言葉を理解することすら出来なかった頃のルークに良く似ていた。


「インゴベルト陛下」

 騒動はあったものの無事条約調印を終え、退室しかけたところでインゴベルト王は背後から呼び止められた。振り返った視線の先には、2人の少女を守り役として従えた緑の髪を持つ導師の姿がある。

「何か? 導師イオン」
「少し、お話とお願いがあります。……ヴァンの行動について」
「……伺いましょう」

 真剣な眼差しで言葉を投げかけてきたイオンに、インゴベルト王はほんの僅か考えた後で頷いた。その答えに、イオンは薄く笑みを浮かべる。

 まずは地核振動の停止と外殻降下ですね。
 ヴァンがこちらを妨害するつもりならば、兵士を率いてシェリダンを襲撃する可能性が高い。

 僕だって、終末の預言と戦って見せます。
 皆が笑って未来を迎えるために。


PREV BACK NEXT