紅瞳の秘預言64 守護

「ぐあおおおおおおおおおおおおおっ!」
「!?」

 突如空から響き渡った唸り声に、その場にいた全員がはっと顔を上げる。その中にあってアリエッタが苦々しげな表情になり、ミュウが全身の毛を逆立てた。

「イオン様! リグレットが、兵隊連れて港行った!」
「ラルゴさんが、こっちに来るですのー!」
「やはり、早いですね」

 1人と1頭の言葉が、場の雰囲気を一気に緊張させる。ジェイドはぎりと歯を噛みしめ、眼鏡のブリッジを指先で直した。
 『前回の世界』でも、リグレットはほぼ同じタイミングでシェリダンを襲撃して来た。あの時はラルゴはいなかったはずだが、その程度は誤差の範囲に入るだろうとジェイドは考えている。

「全くヴァン師匠、ほんとに手回し良いんだよなあ」
「兄さんの大馬鹿……」

 顔をしかめるルークの横で、ティアが手にしている杖の先を地面に叩きつけた。彼女とて、兄が受けた苦痛とそれに伴う怨嗟が理解出来ない訳では無い。だが、それが世界を破壊する理由に繋がると言うことは、どうしても納得出来なかった。
 だが、思考を巡らせている暇は無い。既に対立している六神将たちは動きを見せており、こちらも急がなければならない。

「警戒している部隊に情報を流すぞ。技術者たちは建物の中に入って戸締まりを」
「ちょっとちょっと! あたしらだって譜業兵器あるんだから、まだまだ行けるわよ!」

 場数を踏んでいるせいか素早く気を取り直して指示を出したアッシュに、タマラが噛みつく。その老女の肩を押し戻したのは、横から伸ばされたサフィールの手だった。
 彼女たちが防戦のために外へ出ては、ジェイドの『記憶』にある光景が再現されてしまう。そんなことを銀髪の学者が許すはずは無かった。

「やめときなさい。相手はヴァン総長の理想に焦がれ、付き従っている者たちです。貴方たちなんぞ剣の一振りで終わりですよ」
「貴方がたの知識と技術は、今後の世界のためにも失われてはならないもの。どうか守られてくださいませ。我がキムラスカの兵士たちが、この街を守っている理由を忘れないでいただきたいのです」

 『記憶』の光景を知らないナタリアも、胸に手を当てながら説得の言葉を紡ぐ。「でもねえ」と反論の言葉を口にしようとしたタマラだったが、金属音の混じった足音にぴたりとその動きを止める
 やって来たのは、キムラスカ兵の1人だった。早足で駆け寄って来ると、ルークたちを見つけぴしりと敬礼をする。

「『黒獅子ラルゴ』の部隊を確認しました。ナタリア殿下、アッシュ様、ルーク様、お急ぎください。ここは我らが守ります」

 兵士の報告に、不満げなタマラを除く全員が頷いた。サフィールは小さく肩をすくめてから、彼女を兵士に預ける。

「彼女をお願いします。シェリダンは頼みましたよ」
「私からも頼みます。無用の血を流すことはなりません。良いですね?」
「はっ!」

 サフィールと、そしてナタリアの言葉を受けて兵士は姿勢を正す。そうしてタマラを促し、その場を離れて行った。彼らの背を見送ってから、アニスは自分の背中にぶら下がっている母お手製の人形をむしり取る。少しでも、足は速くなった方が良い。

「みんな、行こう! イオン様!」
「お願いします、アニス」

 導師が頷くと同時に、トクナガがそのボディを巨大化させる。後頭部にアニスがしがみつき、イオンは譜業人形の腕の中にそっと抱えられた。アリエッタはふわりと着地したグリフィンの背に飛び乗って、周囲を警戒するために空へと舞い上がる。そうして彼らは、ガイを先頭にシェリダンの港へと走り出した。

「ジェイド」

 当然のように肩を並べて最後尾を走りながら、サフィールが親友の顔をちらりと伺う。視線だけを自分に向けたジェイドに、平然とした表情を見せつつ言葉を続けた。

「大丈夫ですよ。ジェイドのおかげで、こちらの備えも万全です」
「……ええ」

 ほんの僅か、ジェイドの顔が伏せられる。サフィールは、意図的にそれには気づかないふりをした。一緒に気分を落ち込ませても、何の解決にもなりはしない。

「ピオニーだって、このことは知ってるんでしょう? 彼のことですから、何かの手を打っていてもおかしくはありませんよ」
「そうだと良いんですが」

 サフィールが更に続けた言葉は、多分に楽観的な推測を含んでいた。対してジェイドは悲観的な推測しかすることが出来ず、故に出てくる言葉はごく少ないものでしか無い。
 だが、この2人は知らない。
 当然のようにピオニーが、この状況に対して手を打っていたことを。


 アリエッタとミュウの警告通り、ラルゴの部隊はシェリダンの街へと迫りつつあった。そもそもヴァンに心酔している者や預言に絶望した者などをまとめた兵士の数は、神託の盾時代から見てもさほど減っているようには思えない。

「預言の無い世界を作るため、多少の犠牲は付きものだ。進め!」

 ぶうんと大鎌を振り回し、長であるラルゴが声を張り上げた。鎧を身に纏った兵士たちは一斉に踵を揃え、それから足を踏み出そうとする。

「無数の流星よ、来たれ」

 その兵士たちの視線を空へと振り仰がせたのは、涼やかに響き渡った詠唱の声だった。一瞬置いて周辺が突如暗くなり、続けて流れ星がスコールのように降り注ぐ。幻影では無く本物の流星たちが敵を襲う譜術は、禁譜の1つメテオスォーム。
 無論、直撃を受けた兵士たちが無事であるはずは無かった。落下してくる質量は着用している兜や鎧ごと、兵士の骨をへし折りあるいは陥没させる。その流星雨は広範囲に降り注ぎ、鎌を振り回して自身を防御するラルゴを中心とした円を描いていた。

「ぐぎゃっ!」
「がっ!」
「ごふっ……」

 そして、数十秒降り注いだ質量は前触れも無く突如停止した。ラルゴの周囲には数百にも及ぶ兵士が倒れ臥しており、その更に周囲には余波を受けて呻く兵士たちの姿がある。まともに動くことの出来る兵士は、ラルゴ自身を除くとほとんど存在していないだろう。

「久しぶりだったけど、結構上手く行ったわねえ。まだまだ捨てたもんじゃ無いってことかしら」

 禁譜の詠唱を行った同じ声が、楽しそうに流れる。そうして声の主が、地面にめり込んだ小さな隕石の上にふわりと降り立った。その背には、モノクロームの翼がばさりとはためいている。

「こんにちは、『黒獅子ラルゴ』。ふふ、さすがに貴方は倒せなかったわねぇ」

 全身をマントで包み、その顔すらも目元以外は布を巻き付けて隠している。だが声とその優雅な仕草が、相手が女性であることを示していた。その手に携えられた異形の剣が、どくんと鼓動を打つように蠢いている。

「何者!」
「誰でも良いじゃ無い。はっきりしているのは貴方の敵だってことよ」

 武器を構え問うたラルゴに対し、彼女は平然と軽口を叩く。まともな会話をするつもりは、最初から彼女には無い。どうせ平行線を辿るだけだ。ラルゴ自身それは分かっていたのか、「確かに」と唸りながら頷いた。そうして彼は、にやりと笑みを浮かべる。

「かなりの手練れと見た。だが、邪魔だてするならば容赦はせん」
「それはこちらの台詞よ? 砂漠の獅子王」

 意図的に現在の二つ名では無く、バダックの名を使っていた頃の呼称を口にする。と、目に見えてラルゴの態度が変化した。眉をつり上げ、その全身からは怒気が吹き出す。

「その名を、どこで聞いた」
「聞いてどうするの? 未来に生きるのは構わないけれど、そのために過去や現在を疎かにするなんてね。ばっかじゃない?」

 わざとラルゴを怒らせるように、彼女は嘲笑じみた口調で言葉を紡いだ。そうして背後から斬りつけようとした兵士の1人を、魔剣の一閃で斬り伏せる。こっそりと応急処置を済ませ、いつの間にか彼女を囲むように動いていた生き残りの兵士たちは、それだけで持ち直していた士気をあっさりと砕かれた。
 布で隠された唇の端を歪めると、短い牙が剥き出しになる。肉食獣のように赤い瞳が、布の隙間から禍々しい光を帯びて敵将を睨み付けた。

「私の大事な人たちを、悲しませるようなことはさせないわ。そんな愚か者は、私が食らってあげる」

 ばさり。
 マントと共に背の翼を広げ、ゲルダは己の全身に音素を纏い付かせる。彼女の思いに共鳴したかのように、6種の音素たちはその招きに応じ空間に集まり始めた。


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