紅瞳の秘預言 65 記憶

 シェリダンの港に辿り着いたルークたちの前で、激しい戦闘が起こっていた。
 きんと鳴り響く金属音は、同じ鎧を纏った神託の盾兵同士が剣をぶつけ合った音。ただ、よく見ると片方の兵士の兜と片腕には黒い塗料で何やら殴り書きがしてある。そうして、落書きをしてある方の鎧を纏う勢力が押し気味であることは何と無く把握出来た。

「一体これ、どういうことだ?」
「知るか、急ぐぞ」

 自分に斬りかかってきた兵士を鞘に入ったままの刀で殴り飛ばして、ガイが眉をひそめる。別の兵士を烈破掌で弾き飛ばし、アッシュが吐き捨てた。と、こちらへ駆け寄って来る兵士に気づき反射的に手が剣の柄へと伸びる。

「ご一行! こちらへ!」

 が、その兵士は素早く手を差し伸べ、道を示す。その鎧兜には、やはり黒い塗料が付着していた。どうやら、殴り書きをしてある方の兵士がこちらの味方勢力であるらしい。

「ご協力、感謝します」

 一瞬だけ考えて、全員が状況を把握した。代表してティアが短く礼を述べ、兵士が指した道を進んで行く。が、その前に殴り書きをされていない鎧を纏った兵士たちがわらわらと出現した。

「うあー、もー邪魔ぁ! そこをどけってのー!」
「邪魔をするなですのー!」

 トクナガの背中からアニスが叫ぶ。だが譜業人形の腕の中にいる導師を見つけたのか、兵士たちはかえって威勢良くこちらへと剣を向けて来た。危ないと言うことで少年の腕の中に預けられたミュウが、威嚇のために毛を逆立てる。
 応戦しようと剣を抜きかけたルークが、視界の端に黒い姿を見つけてぴたりと動きを止める。その視線につられたのか兵士たちがトクナガから目を逸らした瞬間。

「邪魔する奴は吹っ飛びな! タービュランスっ!」

 些か乱暴な詠唱と共に、激しい風が兵士たちを文字通り吹き飛ばした。その風を追うように横道から飛び出した漆黒の影が、どうにか耐えきった兵士たちに刃を振るう。と同時に殴り書きをされた鎧を着用している部隊が現れ、ルークたちを守るように素早く隊列を組んだ。

「よう、あんたたち。思ったより早かったね」

 血のついた剣を軽く振るってから、漆黒の影はやっとルークたちに視線を向けた。ぶっきらぼうな言葉遣いも嫌味にはならない彼女は隻眼の神託の盾第六師団長、カンタビレ。

「カンタビレ!? と言うことは……」
「落書きした方があたしの部下、してない方がリグレットの部下」

 アッシュの言葉に眼を細め、彼女は種明かしをして見せた。『落書きをされていない』方の兵士たちをとりあえず一掃したせいで、停泊しているタルタロスに至る道はすっかり開けている。

「神託の盾ごっそり持って行かれたからね、武装もそのまんまだろと思ってたら案の定さ。同士討ちは御免だからねえ」

 からからと笑ってからカンタビレは、表情を引き締める。周辺に視線を巡らせたところを見ると、敵兵の気配を感じ取ったのかも知れない。

「ほら、ここはあたしらに任せて急ぎな。時間が惜しいんだろ?」
「済みません、お願いします」

 ジェイドの返答ににいと唇の端を歪める。青い背中をぽんと押して、その視線はもう彼らを振り返ろうともしなかった。「ほら、行きますよ!」とサフィールが掛けた声に、一同は慌てて止まっていた足を再び動かし始めた。その数秒後にはリグレット側の兵士がなだれ込んで来て、再び乱戦が始まる。その中を、イオンを抱えたトクナガとその横についたアリエッタを先頭に一同は走り抜けて行く。
 本来ならばアリエッタも、『兄弟』や『友人』たちの力を借りたかった。けれどこの混戦状態の中、魔物を走らせるのは得策では無い。相手は敵だけでは無く事態を把握出来ない味方かも知れないし、多すぎる人間の興奮状態や流血に魔物側が異様に興奮して暴れる可能性もある。それを、サフィールはあらかじめアリエッタに教えておいた。

 ご兄弟やお友達が、余計な傷を負ったりするのは嫌でしょう?
 みんなも悲しみますから、ここは抑えてくださいね。

 すっかりアリエッタの親のようになってしまったサフィールの言葉に納得して、アリエッタは今回ライガの兄弟たちには来て貰っていない。空を飛ぶことの出来るフレスベルグとグリフィンには念のため、空から警戒して貰っている。だからアリエッタは、自分の足で走っていた。
 だが、彼女は長距離の全力疾走には慣れていない。そのせいで足をもつれさせ、転んでしまう。

「きゃっ!」
『アリエッタ!』

 トクナガの腕の中からイオンが、後頭部にしがみつきながらアニスが同時に叫ぶ。だが、譜業人形が足を止めることは無い。後ろから仲間たちが追って来てくれているし、敵方にイオンを奪われる訳にはいかないから。無論アリエッタ自身もそれは分かっているから、必死に起き上がろうと片膝を立てた。
 が、その背後、少し離れた所に神託の盾兵士が現れた。殴り書きをされていないその兵士は既に手を音素で光らせて、アリエッタ目がけ譜術を叩き込もうとする。

「ちっ!」

 視界の端にその姿を捉えたガイが、素早く兵士へと駆け寄って海へと蹴り落とす。だが譜術はその寸前に解き放たれ、桜色の髪をなびかせる少女を襲った。
 けれど。

「危ないっ!」

 譜術の直撃を食らったのは、アリエッタを抱え込むように飛び込んだティアだった。弾き飛ばされそうになりながらもしっかりと腕の中に少女を抱きしめて、そのままがくりと地面に倒れ込む。

 ガイ、危ない!

「……っ!」

 青年の脳裏に、懐かしい少女の声が木霊した。それと同時に封じられていた記憶の扉はあっさりと解き放たれて、ガイに古い光景を次々と見せつけて行く。

「ティアっ!」

 その目の前をルークが駆け抜けても、ガイはぼんやりと立ちすくんでいた。もうずっと先方を走っているアニスたちは気づかなかったけれど少し後を走っていたアッシュやナタリア、そして殿を務めていたジェイドやサフィールはすぐその様子に気がつく。

 ここで、ですか!

「サフィール、アッシュ、先行してください!」

 即座に声を上げたのは、事態を理解するのが一番早かったジェイドだった。そのまま右の手に槍を実体化させ、無防備な状態のガイを狙って駆け寄ってくる兵士たちを次々になぎ払う。

「! 分かりました!」
「分かった。行くぞ、ナタリア」
「え……はい!」

 ジェイドの声に反射的に頷いたサフィールと、ナタリアの名を呼びその手を握りしめたアッシュは足を止めること無く、そのまま道を駆け抜けた。
 次の瞬間、青の姿を中心にセイントバブルが炸裂してリグレット側の兵士たちが根こそぎなぎ倒される。カンタビレ側の兵士たちは一瞬呆気に取られていたが、すぐに気を取り直し敵の排除を再開した。ほんの僅かな時間でジェイドが自分たちを味方認識してしまったらしい、と言うことに意識は向いていない。
 一方ルークは、おろおろしながらティアを抱き起こす。その下からむくりと起き上がったアリエッタも、不安げな顔でティアを覗き込んだ。彼らには味方認識の譜が既に打ち込まれており、故にジェイドの譜術が彼らに影響を与えることは無い。

「ティア、大丈夫か?」
「ティア、痛くない?」
「え、ええ……だ、だいじょうぶ」
「良かった」

 痛みを抑えながら笑って答えるティアの言葉を素直に受け止めて、アリエッタはほっと息をついた。だがルークの方は不安げな表情を隠さず……そのまま彼女を横抱きにして、ぐいと立ち上がった。顔の温度が上がるのを、少年は自覚していない。

「きゃ!」
「こ、このまま行くからなっ! 治療は後でだ! アリエッタも来い!」
「うんっ!」

 思わずルークの首元にしがみついたティアの髪から、ふわりとシャンプーの香りが漂う。一瞬だけその香りに気を取られた後、ルークはぶるりと頭を振るって駆け出した。その後を追うアリエッタの、軽い足音を耳にしながら。


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