紅瞳の秘預言 65 記憶

「ガイ!」

 そうしてジェイドは、槍を腕に戻さないままガイの元へ駆け寄った。何度か肩を揺さぶっても反応が鈍い青年の頬を軽く叩くことで、彼の意識を浮上させる。

「……旦那……っ」
「大丈夫ですね?」

 意図的に感情を抑え、短く問う。ガイが小さく頷いたことに安心して、ジェイドはその背中を抱えた。
 急に空が暗くなったような気がして、2人は視線を上に向けた。その前にふわりと降り立ったのは、青い鳥の魔物。彼らにしてみればすっかり見慣れた、旅の仲間である。

「くおう!」
「フレスベルグ!」

 一声鋭く鳴いてから、魔物はその腕にジェイドとガイをひょいと抱え込んだ。そのまま何度か翼をはためかせることで、再び空へと飛び上がる。この魔物がこうやって動くのは、『友人』である少女の指示があったからに他ならないだろう。

 済みません、アリエッタ。ありがとう。

「……姉上……」

 ジェイドは心の中で、アリエッタに感謝の言葉を述べた。ぽつりとガイが呟いた言葉を、聞いていないことにして。


 神託の盾第六師団は、教団を離反した元兵士たちと睨み合っている。先頭に立っているカンタビレは、敵兵士を従えているリグレットの苦々しげな表情を薄笑いを浮かべて見つめていた。その余裕綽々の表情が、余計にリグレットの感情を逆撫でするものであることは承知の上である。

「カンタビレ! 貴様……どこまで邪魔だてする気だ」
「あんたたちが馬鹿やる限り、どこまでもだねえ。って言うか、本気かい?」
「預言に蝕まれたこの世界を守って、未来などあるものか」

 銃口を突きつけられたところで、カンタビレの態度が変化するわけでは無い。平然と、白い目で元は同僚だった彼女を見つめている。ぎりと奥歯を噛みしめ、譜業銃を構え直したリグレットに小さく溜息をつき、小指で耳の穴をくりくりと弄くる。取れた耳垢は、ふうとつかれた一息で空に舞った。

「その預言に蝕まれてるのは、あんたやヴァン・グランツの方さ。預言を覆すのが難しいから世界を壊す? 馬鹿馬鹿しい、そんだけ預言の影響力が強すぎるんだってことだろうが」
「だからこそ我々は、預言に縛られない世界を作ろうとしている」

 リグレットにぶつけたはずの言葉に、別の方角から答えが返される。リグレット側の兵士たちがざっと開けた道から姿を現したのは、白い詠師服を纏ったヴァン・グランツ。その堂々たる姿に、一瞬カンタビレも息を飲んだ。が、背後で奏でられた金属音が彼女を現実に引き戻す。

「閣下。おいででしたか」
「おや、大ボスのお出ましかい」

 リグレットは銃を下ろし、音も無くヴァンの横に控えた。カンタビレは軽く腕を振り、今にも斬りかかって行きそうな様子の部下たちを抑える。
 この状況でヴァンを相手に戦を仕掛けて勝てないとは思わないが、恐らく被害は甚大なものになるだろう。自分たちだけならば未だ良いが、この港で働いている一般人たちを巻き添えにする恐れは十二分にある。
 導師イオンや焔の子どもたち、そして紅瞳の譜術士はきっとそんな結果は望まない。

「無謀だったな、リグレット。第六師団を正面から相手に回すとは」

 敵であるカンタビレとその部下たちを前にして、あくまでもヴァンは余裕のある態度を崩さない。副官の彼女に視線を向けもせず、言葉を冷たく吐き出す。それに対し、リグレットは僅かに顔を伏せるのみだ。

「は、申し訳ありません。閣下」
「シェリダンを襲撃するはずだったラルゴも何やら動けていないようだ。この出兵、無駄足だったようだな」
「いえ。シンクが間に合ったようです」

 つまらなそうに言葉を続けたヴァンに返されたリグレットの言葉に、カンタビレが眉をひそめた。そう言えば、ヴァン側についている六神将はその3名だったはずだ。その中でもシンクは『烈風』の二つ名の通り素早い動きと隠密行動が得意である。

「……タルタロスに潜り込ませたのかい?」
「貴公は知らずとも良いことだ」

 ヴァンの言葉はカンタビレの問いに対する返答にはなっていない。だがつまり、それは彼女の問いを肯定していると言うこと。
 だが、その答えを聞いたところで漆黒の詠師は肩をすくめた。軽く頭を振り、薄い笑みを浮かべてヴァンの顔を見つめ直す。

「ま、そりゃ確かに。知ったところであたしに何が出来るでも無いし」

 そうして、抜き放ったままの剣の切っ先をヴァンに向けた。彼女の顔から笑みは失せ、隻眼が鋭く敵将を睨み付ける。

「で、このまま続けるかい? あんたたちはタルタロスを止められなかったけど、シンクを放り込むことには成功したんだ。無駄な睨み合いを続ける理由が無いだろう」
「言わせておけば……」

 ヴァンを庇うように踏み出して、リグレットは端正な顔に憎悪の表情を露わにする。ヴァン本人はふんと小さく息をつき、感情の籠もらない言葉を口にした。

「引け、リグレット。カンタビレの言う通りだ」
「……はっ」

 当然のように命令を放つヴァンと、ヴァンの命令には素直に従うリグレット。そんな2人を見比べて、カンタビレはつまらなそうに剣を鞘に収めた。

「……ほんとにあんた、何でこんなことしてるんだかね」
「貴公には、預言に人生を翻弄された者の思いなど分からんだろう」
「ああ、分かんないね。何も出来なかったからって預言と世界を逆恨みするような輩の思考回路も、全く。だだっ子じゃあるまいし」

 ヴァンの言葉を、ばっさりと切り捨てる。このオールドラントに、預言によって人生を左右されたことがない者など存在しないのでは無いだろうか。だからと言って預言ごと世界を滅亡に導こうとするこの男の考えを、カンタビレは最初から理解するつもりは無い。
 預言が嫌いなら、それに従わなければ良いだけのことでは無いか。

「……撤収せよ」

 そんな彼女の心境を知ることも無く、リグレットはありったけの殺意を籠めた視線をカンタビレに叩きつける。何も言わずに身を翻したヴァンの後を追い、その副官と彼に従う兵士たちは波が引くようにシェリダンの港を離れて行った。
 彼らの姿が見えなくなったところでやっと、カンタビレは全身の緊張を解いた。さすがの彼女でも、気を張り詰めていなければヴァンの気迫に飲み込まれていただろう。

「あれは半端じゃ無いねえ……ほんとにもう、いい年こいて」

 だがそれでも、彼の思想に共鳴する気は全く無い。彼女から見ればヴァンの思想は単なる逆恨みであり、子どもがだだをこねているようにしか思えないのだから。

「まだ相手がそこそこ広範囲だから良いとして、もしあの相手が一個人とかだったら洒落になって無かったよね。きっと」

 しかし、その逆恨みに同調する者たちは多く存在し、故に彼らは力を持っている。この港もシェリダンの街も、導師イオンやインゴベルト王が兵を派遣していなければ今頃は彼らに蹂躙され、多くの死傷者を出していたに違いない。良かった、と胸をほっと撫で下ろしてからカンタビレは、部下たちを振り返ると大声を張り上げた。

「ほうら、後始末開始! 一般人や施設の被害状況もちゃんと確認するんだよ!」





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