紅瞳の秘預言 66 地核

 5日間の航海を経て、タルタロスはかつてホドが存在した海域へと辿り着いていた。『前回』経験しなかったとは言えジェイドは海上での襲撃を危惧していたのだが、ヴァン側にそこまでの余裕が無かったのか航海自体は『前回』同様平穏なものだった。

「ま、さすがに船とか大量には持ち出せませんよ。陸軍としては大した規模ですけど、ハナから海上戦を想定に入れてませんもん、神託の盾」
「せいぜい警備艇と移動用の高速艇くらいしか配備されていませんしね。それでも、高速艇数隻が行方不明になっていると聞いていますし、警戒するに越したことは無いです」

 タルロウと共に艦の舵を担当しているサフィールが人差し指を立てて説明するのに、彼らの作業をじっと見物していたイオンが苦笑を浮かべながら言葉を繋ぐ。ガイが少し考えるような表情になり、索敵の手を止めて天井を仰いだ。

「向こうさんとしても両極のゲートは抑えたいだろうしな。両方とも島にあるんだから、船は必須だ」
「けれど、大規模なフォミクリーにプラネットストームは必要だから、最後の最後まで手出しはしない。抑えるだけに留めるわね、兄さんなら」
「その間に俺たちは他のセフィロトを回って、外殻大地降下の準備を済ませておく、と」

 周囲の警戒を担当しているティアが溜息混じりに呟き、そのサポートについているルークは小さく拳を握りしめる。座席で軽く肩を揺すりながらアッシュは、面白く無さそうに眉をしかめた。

「どちらかのゲートでヴァンが待っているだろうな。外殻降下は奴と決着を済ませてからになるだろう」
「それでも私たちは、進まなくてはならないのですわね」

 アッシュと共に艦の状況監視を行っているナタリアが、決意の表情をその顔に浮かべる。僅かに視線を動かしてティアの様子を伺ったのは、決着を付けなければならない相手が彼女の実兄であるからだろう。

「ジェイド様、到着したズラよ」

 くるり、と頭部だけを回転させてタルロウが呼びかけた。「はい」と頷いてジェイドは、窓から外を伺う。そうして、そこに映し出された異様な光景に眉をひそめた。
 海の真ん中に、ぽっかりと穴が開いていた。その周囲にはめくれ上がった海底が堤防のように海をせき止めており、僅かに空いた隙間からは海水が幾筋もの細い滝として流れ落ちている。
 外殻大地が魔界の遥か上空に存在していることを知らなければ、世界の果てがここに存在すると思ってしまっても仕方が無いだろう。幸いディバイディングラインの圧力が掛かっているせいか、穴から障気が溢れ出して来る様子は無いのだけれど。
 だが、『前回』の世界でジェイドがこのような光景を見たことは無い。故に言葉を失ってしまった彼の顔をちらりと伺って、サフィールはこきりと首を傾げた。

「……ここ、昔からこんなんでしたっけ?」
「最年長のてめえらが分からないのに、俺たちが知るか」

 ふんと鼻息荒くアッシュが吐き捨てる。ティアは少し考えてから、思い出したようにぽんと手を打った。

「私たちがタルタロスで外殻大地に戻って来たときに、打ち上げの勢いで海底部分が持ち上がったんじゃ無いかしら?」
「あー。一緒に第七譜石まで噴き上げる勢いだったもんなあ。可能性はあるか……お」

 ガイが当時の光景を思い出しながら肩をすくめる。そうして、気配を感じたのかくるりと扉の方に視線を巡らせた。

「お待たせ、です」
「たっだいまー」
「みゅう!」

 青年の視線が固定されるのとほぼ同時に扉が開き、アリエッタと肩にミュウを乗せたアニスが飛び込んで来た。すぐさま主であるルークの元へすっ飛んで行ったチーグルには目もくれず、2人の少女はいそいそとイオンの傍にやって来る。

「フレスとグリフに、お空の警戒頼んで来た」
「アルビオールが戻って来るまでは、この辺りで待っててくれてるって」
「ありがとうございます。アリエッタ、アニス」

 にこにこ笑いながら2人を出迎えた導師にぴしりと敬礼を見せ、それから彼女たちはイオンを挟むように席に着く。シートベルトの着用に手間取るアリエッタには、少しだけイオンが手を貸した。

「戻って来た時に迎撃されても何ですしねー。ヴァン総長、どこまで考えてるか分かりませんから警戒するに越したことは無いんですよ」

 サフィールがぺろりと舌を出す。窓を覗き込むようにしてちらりと空を伺うが、さすがに魔物の姿を見つけることは出来なかった。
 フレスベルグとグリフィンは、自分たちが長時間滞在出来るギリギリの高度にまで上昇し、この海域を上空から見張っているはずだ。魔物と会話の出来るアリエッタ、そしてミュウは彼らが飛び立つ直前までその指示と注意事項を伝え、そして見送ってから艦橋に入って来たのだ。
 これは全て、少しでも同行者たちに危険が迫る可能性を減らし幼馴染みが望む未来を引き寄せるためにサフィールが考案し、仲間たちに承諾を受けた計画である。ジェイド自身はそれには気づいていない。

「はい。では皆さん、既に予定時間を1時間オーバーしています、これ以上の遅れは許されません」
「了解!」

 ジェイドの凛とした声に、艦橋にいる全員が答えた。前もって指示されていた通り座席に深く腰を掛け、シートベルトをかっちりとはめる。それを確認してジェイドは、素早く指を走らせた。

「譜術障壁展開」
「アイアイサー、ズラ。出力全開、壁を越えたらすぐ下降開始ズラ。怖かったら目を瞑ってても良いズラよ〜」
「こんな機会二度と無いでしょうから、しっかり見ておくのも悪くは無いですよ。グラビティ発動、壁を越えます」

 タルロウが音機関を大まかに調整し、どうしても人工知能ではフォローしきれない微調整をサフィールが担当する。手元で光る画面を見つめながらジェイドは、緊張を緩めることが出来なかった。降下開始だけで無く、『前回』の記憶の存在故に。
 『前の世界』では、タルタロスが下降を始める寸前に侵入者を示す警報が鳴った。だが、『今回』はそれが無い。つまり、例えシンクが既に侵入していたとしても彼はまだ、何の動きも見せていないと言うことである。
 『前回』同様、アルビオールを外殻大地に返すための補助譜陣を消去するだけならまだ良い。譜陣は書き直せばそれで発動させることが出来る。だが、もし飛晃艇そのものを破壊されたならば、自分たちにはもう地核から脱出する手段は無い。

 さすがにローレライの力を借りるしか無い、でしょうかね。
 シンクがそんなことをしないのが一番なんですが。

 思考から切り離されたジェイドの手は、タルタロスの操作を完璧に行っている。『記憶』と『現実』の状況が僅かなりとも異なっている以上、自身が知る『未来の記憶』がここでは役に立たないのだと言うことを己に言い聞かせてジェイドは、意識を『現実』に引き戻した。ややあって陸艦が壁を越え、落下を開始する。
 同様の思考は、サフィールの脳内でも繰り広げられていた。ただ悲観的な思考に走るジェイドとは違い、サフィールはこの状況を楽観視していた。彼は六神将として、またフォミクリー技術者としてシンクが『生まれて』間も無い頃から見て来ており、故にかの少年がジェイドが考えているような方法でこちらの妨害をすることは無いだろうと考えていたのだ。

 あの子、どうせやるなら逆転可能なゲームとしてやりますからね。
 アルビオールを破壊することは無いでしょう。
 ま、変に面倒起こされるよりは正面から向かって来てくれた方が気が楽なんですけどねえ。

 誰にも気づかれぬように小さく溜息をつきながら、サフィールは操作盤に指を走らせる。譜業機関の出力を細かく調整し、そのまま魔界の海へとタルタロスを落着させた。同時にジェイドの手が動き、譜術障壁を艦の下部にのみ広げる形から艦全体を包み込む形へと変化させる。ヴァンによるプラネットストームの逆流を考えて、タルタロスの譜術障壁は『前回』よりも防御性の高い形状を構築できるようにサフィールとタルロウの手により改良されていた。
 巨大な泥水の柱を形成しながら着水したタルタロスは、速度を緩めないままにどんどん潜行して行く。譜術障壁により艦体に張り付くことのない泥の中を沈降して行くうちに、突然周囲ががらりと変化した。ジェイドだけは2度目になる、鮮やかに彩られた地核の光景がタルタロスを取り囲む。

「……うわあ……」
「みゅうう。きらきら綺麗ですのー」

 ルークと、その膝にちょこんと座っていたミュウが目を大きく見開いている。ジェイドを除く他の仲間たちも、初めて見るその光景に僅かの間意識を奪われていた。

「これが地核、ですのね」
「ローレライの奴、このどこかにいるんだな」

 ナタリアが呟いた言葉を受けて、アッシュが窓から外を伺う。さまざまな色が混じり合った光景はどこまでも続いていて、何か他の存在がいるようにはとても見えない。
 ルークもアッシュと同じように外を見つめていたが、やがて軽く目を閉じると祈るように呟いた。どこかにいる第七音素意識集合体に、その祈りが届くように。

「……いつも助けてくれてありがとう。もうちょっと、力貸してくれな」

 暫しの沈黙の後、譜業人形がくるくると頭部を回転させた。

「予定位置に到着ズラ。振動停止装置、譜術障壁発生装置はいずれも正常に作動しているズラ」
「はい、こちらでも確認しました」

 手元の画面に素早く視線を走らせて、サフィールも頷く。そして、シートベルトの留め具を手早く外すと立ち上がった。

「さあ、全員アルビオールへ。脱出しますよ」
「分かりました。ルーク、行きましょう」
「あ、お、おう」

 ティアに促され、ルークも立ち上がる。ちらりと窓の外に視線を投げた彼の口が、「ごめんな」と言葉を紡いだ。地核に取り残されるタルタロスになのか、それともローレライに向けた言葉だったのかは分からない。


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