紅瞳の秘預言 66 地核

「シンク!」

 全員が動きを止める中、引かれるようにジェイドだけが少年へと駆け寄る。そうしてゆっくりと、その小柄な身体を抱え込んだ。薄れかけたシンクの意識が戻るように、軽く頬を叩く。

「……え」
「大丈夫ですか?」

 薄れた意識を引き戻され、名を呼ばれて顔を上げたところで少年は、自分の顔から仮面が外れていることにやっと気づいた。慌てて隠そうと手を挙げて、目の前にいるこの人物は自身の正体を知っているのだと思い出す。
 だって、自分が火口に捨てられたことを彼は知っていたから。

「……死霊使い……」

 ジェイドを見上げるシンクの緑の髪が流れ、イオンと同じ造形の顔が露わになる。その姿にルークは、思わず息を飲んだ。

「シンク……お前……」
「やっぱり……貴方も僕と同じ、なんですね」

 2人の少女を従えジェイドへと歩み寄って来ていたイオンが、かすれた声で漏らす。その言葉の意味を、彼の同行者たちはすぐに理解した。

「アリエッタのイオン様の、レプリカ?」
「……まあね」

 同僚であった少女の問いかけに、言葉だけで答える。知っていたのかと責めるような視線を向けると、アリエッタは困ったように口を尖らせた。
 それでも、真実を今更隠蔽してやるつもりは無い。ここではっきり教えないと、きっと真実は永遠に封じられてしまうから。
 自分と一緒に捨てられた彼らの存在が、無かったことになってしまうから。

「そうだよ。こいつと一緒に作られて、モースやヴァンが満足するスペックに到達しなかった僕らはザレッホ火山の火口に捨てられたのさ。導師の身代わりになるには、高いダアト式譜術の素養が必要だったからね」
「そんな……」

 シンクが吐き捨てた言葉に、ティアが口元を押さえる。ナタリアは露骨に苦々しげな表情を浮かべ、形の良い唇を歪めた。

「グランツ謡将や大詠師が、裏でそのような愚かな行為を……教団どころか、人の風上にも置けませんわ!」
「……」

 アッシュは口を閉ざし、ただシンクを睨み付けている。自身は己を元としたレプリカを生み出され、置き換えられた存在であるから、どう反応を見せて良いのか分からないのだろう。
 けれどシンクは、そもそも置き換えた代替物ですら無い。本人の言葉を信じるならば彼は、単なる廃棄物のリサイクルでしか無いのだ。少なくともシンク自身はそう、信じている。

「レプリカルーク。僕はあんたと違って、何かの代わりにすらなれなかったんだよ」
「俺は代わりじゃ無い!」

 だから、シンクは『必要とされたレプリカ』の1人であるルークにそんな言葉を投げつけた。頭を振ってその言葉を否定した朱赤の焔を力無く睨み付け、シンクは言葉を続ける。

「それはあんたがそう思い込んでるだけだろ。少なくともヴァンはあんたを、アッシュの代わりにしたんだ」
「それだって、師匠がそう考えてるだけだ。ここにいるみんなも、父上や母上も、スピノザだって俺のことをアッシュの代わりだなんてもう思ってないし……そもそも俺自身が、自分は誰かの代わりじゃ無いんだって信じてる」

 それでもルークは、胸を張って答えた。
 タタル渓谷に飛ばされてからの長い旅路の中でルークは多くの人々に出会い、自分と言う存在を着実に構築して来た。己がアッシュのレプリカであると知ってからも仲間たちは、2人は別人なのだと何度も言い聞かせてくれた。
 それをルーク自身に、そして同行者たちに教えてくれたのは、今シンクを守るように抱きしめてくれている青い服の軍人。

「は、良いご身分だね。必要とされたレプリカはさ」

 一方シンクには、そんなことを教えてくれる存在はいなかった。『死霊使い』ジェイドに連れ出された導師イオンを追うようになってから、その『死霊使い』が彼に言葉を渡すまでは。

「放してよ、死霊使い。あんたの哀れみなんて要らない。僕はあんたが憎いんだって、そのくらい分かるだろ」

 端正な顔を睨み付け、シンクは必死に毒を吐く。彼を抱え込んでいる腕が離れてくれれば、少年は何の気負いも無しに自らを葬り去ることが出来たかも知れない。けれど、その青い腕の暖かさがシンクに、自害を躊躇わせていた。

「……確かにそうかも知れません。私は貴方を哀れんでいるのかも知れない。自分の感情を理解出来ていれば、分かったのかも知れませんが」

 真紅の瞳を揺らめかせながら、ジェイドはシンクに語りかけた。『記憶』の5年だけ実際よりも長い人生を生きていてなお、この男は己の感情をほとんど把握することが出来ないでいる。
 そうして彼は、泣きそうな笑みを浮かべて更なる言葉を紡いだ。

「貴方が私を憎むのなら、それでも構わない。シンク……私を憎むことを目的としてでも、生きようと考えてみませんか」
「はぁ?」

 突拍子も無い提案に、思わずシンクは目を見開いた。潤んでいるようにも見えるジェイドの紅の瞳を、真正面から見つめる。少なくとも、冗談を言っているようには思えない。

「ジェイド!」

 ぎょっとして顔色を変えたサフィールが叫んだが、その声をジェイドは無視した。銀髪の幼馴染みが自分を案じてくれていることは分かっているけれど、それでも自分にはこの子をこのような境遇から救えなかった責任があるから。

「人間は、誰かに必要とされて生きるだけじゃ無いんです。自分が自分を必要としているから生きるんです。それがどんな理由だったとしても、ね」

 ごめんなさい。

 幻の彼が呟いたあの言葉は、誰に向けられたものだったのだろう。
 死に行くレプリカへか、置いて来た仲間たちへか。
 己が構築した技術で世界に生み出された、全ての子どもたちへだろうか。

 一緒に来ませんか。

 あの言葉は、きっと本心からのものだった。
 そうで無ければ、死の危険を冒してまで口にはしなかっただろう。

 誰も、そんな風に言ってはくれなかった。
 戦闘で怪我をした時も、治療くらいは施してくれたけれどこんな風に抱きしめてはくれなかった。
 だって僕は、気まぐれに拾われた便利な道具だったから。

「………………死霊使い。あんた、ほんと馬鹿でしょ」

 受け入れる答えも、断る答えも口に出来ないままに少年は、一度青い胸に顔を押し当てた。涙でも流れていたりしたら、そんな顔をたった今まで戦っていた彼らには見せたくない。

「シンク?」
「……全くもう、呆れて言葉が出なかったよ」

 名を呼ばれ、がばりと挙げられた少年の顔は今までよりもずっと幼げな表情を浮かべていた。それから照れくさいのか、ついと視線を逸らしつつ軍服の裾を軽く引く。

「とりあえず、もう邪魔はしないから……しばらく、手、握ってて」
「……はい」

 少年の言葉に顔を綻ばせて、ジェイドはその髪を一度柔らかく撫でるとゆっくり立ち上がる。そして、シンクの要望通りに手を握った。まるで、父と子が共に歩くときそうするように。
 2人の様子をじっと見つめていたサフィールが、ここでほっと息をついてから口を開いた。

「ああ、良かった。さ、話もついたようですし急いで脱出しましょう。ノエル、荷重に問題はありませんよね?」
「いや、そこですんなり信じるのか?」
「少なくとも、ここからの脱出を邪魔する気は無さそうですわ。大丈夫ですわよ、アッシュ」

 思わず突っ込みを入れるアッシュだったが、やはりナタリアの言葉には逆らえないようだ。軽く頭を振り、この場は諦めることにした。

「……何かしたら許さねえからな」

 何、この少年がナタリアや仲間たちに危害を加えようとしたならば、今度こそ己の剣の錆にすれば良いことだ。そう思い直してアッシュは、愛する少女の隣にそっと寄り添った。
 一方、サフィールに問いを投げかけられた少女は満面の笑みを浮かべた。それは自信に満ちあふれた、プロフェッショナルの表情でもある。

「アルビオールの出力には十分に余裕があります。だから、シンクさんも一緒にちゃんと上に戻れます。任せてください」
「……そう」

 そう言い切って胸を張ったノエルにも、シンクが視線を合わせることは無い。ただ、手を握っているジェイドの力がほんの少しだけ強くなるのを感じて、何と無く自分もその手に力を込めた。

 僕はもしかして、世界にいても良いのかな。

 ふとシンクが顔を上げると、穏やかに笑っているジェイドと視線が合った。慌てて顔を背けると、握られた手をくいと軽く引かれる。その勢いに任せて少年は、軍人の腕にしがみついた。
 そうして、彼は心の中で問う。

 自分が自分を必要としているから生きるんです。

 ねえ、聞いても良いかな。
 あんたは自分を、必要としているの?


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