紅瞳の秘預言 67 壊心

 シェリダンの集会所では、キャシーとタマラが淹れたお茶をい組とめ組の男共が神妙な面持ちで飲んでいた。テーブルの上に置かれた茶菓子には、遠慮し合っているのか誰も手を伸ばそうとしない。

「……あんたらねえ。腹を据えて待ってるんじゃ無かったのかい?」
「わ、分かっとるわい!」

 タマラの呆れ声に答えたのはスピノザだけで、イエモンやアストン、ヘンケンは互いに顔を見合わせつつもずずと音を立てて茶を飲み干すだけ。ここにギンジがいれば少しは雰囲気も変わったのだろうが、彼は外殻降下以降の計画を記した書類をバチカルとグランコクマに届けるために空を飛び回っていた。鳩よりもアルビオールの方が速いため、互いに打ち合わせをしやすいのだと言う。無論即日出される意見ばかりでは無いが、その場合は先方持ちでギンジの宿泊と飛晃艇の整備も行っているようだ。

「全く、いざとなると男は肝が小さいんだからねえ」
「しょうがないさ。あの子たちが帰ってくるまで分からないんだから」

 キャシーがお代わりを注ぎ足してやりながら、小さく溜息をついた。タマラも苦笑を浮かべ、クッキーに手を伸ばす。ぽり、と一口かじった所でその視線が、入口の扉へと向けられた。

「ただいま戻りました!」
「ただいま!」

 開かれた扉からまず入ってきたのは、アルビオールの操縦士としてタルタロスに乗り組んでいたノエルだった。そのすぐ後からルーク、そして彼らに同行して陸艦に乗り込んだ全員がぞろぞろと顔を見せる。

「おお、ノエル!」
「皆もお帰り。その顔を見ると、上手く行ったんだね?」

 孫娘の顔を見たイエモンががばりと立ち上がる。タマラはにいと笑みを浮かべ、子どもたちの顔をくるりと見渡した。もっとも、彼女の言葉を聞いてふんと胸を張ったのはジェイドと並んで最後に入って来たサフィールなのだが。

「当然じゃ無いですか! この私がいるんですからね!」
「ディストの旦那、あんただけの力じゃ無いだろが」
「何ですか。良いじゃないですか少しくらい」

 とんとガイに肘をつつかれて頬を膨らませる様子は、ある意味子どもたちよりも子どもっぽいサフィール。キャシーはぷっと吹き出してから、タマラと共に彼らの分のお茶を用意するため席を外した。
 その背を見送ってから、アッシュがイエモンたちに向き直る。まず彼らがここに戻って来たのは、地核振動停止計画の結果を伝えるためなのだ。

「ともかく、タルタロスの地核投入は成功した。これで、外殻大地を降下させても液状化した泥の中に沈むことは無い」
「そりゃあ良かった良かった。まずは一安心じゃの」
「まだ先は長いが、ひとまず基盤は整った訳だしな」

 ほっとした表情で、技術者たちは顔を見合わせる。ほうと椅子に腰を下ろしかけて、スピノザが慌てて立ち上がった。

「いかんいかん。帰って来たばかりで疲れてるじゃろ、椅子じゃ椅子」
「あ、そりゃ済まんかった。ほれイオン様、こちらへどうぞ」
「お気遣い無く……済みません」

 指摘されてからわさわさと立ち上がった老人たちに椅子を真っ先に勧められ、イオンは恐縮しながら腰を下ろした。彼を挟んで並べられた椅子にはアニスとアリエッタが腰を下ろし、他の同行者たちもそれぞれ椅子に着席する。そこへ、作業用のワゴンに全員分の茶と追加の茶菓子を載せてタマラとキャシーが戻って来た。

「はい。まずはお茶飲んで一服しなさいな」
「ありがとう、タマラさん、キャシーさん。この一杯のお茶が何よりのご褒美だね」
「あらら、相変わらずあんたは上手いねえ」

 目の前に置かれたカップを受け取りながら礼を告げるガイの言葉に、キャシーは眼鏡の奥で目を細めた。「やれやれ」と肩をそびやかせてからタマラは、ふとクッキーを貪っているイエモンに視線を向けた。

「イエモン、あんたひとっ走り宿に行って部屋取って来ておくれ。この子たち、今日はここで休ませるべきだろ」
「ふむ、そうじゃの。分かった、行って来る」

 素直に頷いて、イエモンはすぐさま飛び出した。その背を見送り、ジェイドは「済みません」と頭を下げる。

「手配はこちらでやるつもりだったんですが」
「なーに、このくらいさせておくれ。世界を救うためのちょっとした手伝いよ」

 その手にクッキーの入った小鉢を手渡しながらタマラはぽんぽん、とジェイドの腕を軽く叩いた。親愛の情を示す行動を素直に受け入れながらジェイドは、言葉には出さずに良かった、と呟く。
 『前の世界』では既に失われた生命が、『この世界』では生き長らえていることに。
 ほんの僅か自身の内に籠もってしまったジェイドの意識は、だから子どもたちがちらちらと自分を伺っていることには気づかなかった。


 それは、地核を脱出するためにアルビオールへ乗り込もうとしていた時のことだった。
 操縦士であるノエルが真っ先に機体へと駆け寄り、その後を追って一行が駆け出そうとした瞬間。
 2人の焔を、頭の奥底から響くずきりとした頭痛が襲った。同時にバランスを崩し、頭を抱えながら甲板に膝を突く。

「あ、たっ!」
「くっ……久々か!」
「ルーク! アッシュ!」

 焔の子らよ、ユリアの血を引く者よ。

 例によって最後尾にいるジェイドが彼らの名を呼ぶ声に重なって、声ならぬ言葉が彼らの脳裏に響き渡った。それは焔たちだけで無くティアやナタリアと言った、第七音素の素養を持つ彼ら全ての元に届く。
 その中には、レプリカであるシンクも当然のように含まれていた。唐突に聞こえて来た知らない声に、慌てたように周囲を見渡す。ジェイドと握り合っているままの手に力が籠もったのは、無意識のうちに彼をどこかで頼っているからか。

「え? え、何これ?」
「ローレライですよ。前から時々、僕たちに話しかけてくれてるんです」

 目の前で、軽く自分のこめかみを揉みながらイオンがシンクに教える。その名を耳にしてシンクは、イオンよりも幾分鋭い目をぽかんと丸くした。

「は? ローレライ?」
「第七音譜術士には声が聞こえるようなんです……そうか、貴方にも聞こえるんですよね。条件は一緒なんですし」
「……あきれた。あんたら何を味方につけてんの」

 苦笑を浮かべたイオンに、シンクは肩をすくめて小さく溜息をつく。それから自分を見ているジェイドの視線に気づいて、くいと手を引いた。顔を綻ばせたジェイドにほっと胸を撫で下ろした所を見ると、自分は大丈夫だと伝えたかったのだろう。

「えー、またローレライ?」
「ここは地核だからな。あっちから連絡入れやすいんじゃ無いか?」

 その声を聞くことの出来ないアニスが顔をしかめ、ガイは短い金髪を指先でがりと掻く。アリエッタはイオンの顔を伺い、シンクと見比べつつその身を案じる言葉を口にした。

「イオン様、シンクも、大丈夫?」
「ええ、僕は大丈夫です。アッシュとルークが一番きついでしょうし」
「僕も、声が聞こえるだけだしね」

 にこっと微笑むイオンと、不機嫌そうに視線を逸らすシンク。その向こうではティアがルークに、ナタリアがアッシュにそれぞれ寄り添っている。

「ルーク、大丈夫?」
「いやマジきつい。勘弁しろよ、ったく」

 朱赤の髪の上からそっとこめかみを撫でるティアの手に、ルークは少しだけ顔を赤らめた。

「アッシュ……」
「俺は大丈夫だ、ナタリア」

 真紅の髪を掻きむしる手を押さえようと自らの手を重ねたナタリアに、アッシュは笑顔を作って見せた。
 そうして2人の焔は顔を上げ、少し高さは違うけれど良く似た声で問うた。

『それで、今度は何だ』

 望みがある。
 私を、ここから解放してくれ。
 この、永劫回帰の地獄から。

「……永劫回帰の地獄?」
「地獄、ですの?」

 アッシュが露骨に眉をひそめる。ナタリアが考え込むような顔になって、顎に手を当てた。真紅の焔の言葉がローレライのそれを復唱したものであることに気づき、アニスはジェイドの顔を見上げる。

「大佐ぁ、えいごーかいきって何ですか?」
「簡単に言えば、全く同じことを永遠に繰り返すと言う意味ですね」

 少女の疑問にジェイドは、空いている手の指を空中でくるくる回しながら答えてみせた。


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