紅瞳の秘預言 67 壊心

 『前回』ローレライはティアの身体を借りて言葉を伝えて来たためにジェイド自身も聞くことが出来たのだが、『今回』はそうでは無い。己が憑依することで彼女の身体が障気に汚染されることを嫌ったのだろうか、と頭の隅でジェイドは考える。
 ティアが体調を崩せば、ルークが心を痛めるから。
 そんなジェイドの心境を知ること無く、ガイはルークから伝えられたローレライの言葉を解釈しようと試みていた。もっとも、彼が『同じことを繰り返す』地獄、と言う表現を以て扱うものなど知れている。

「プラネットストームのことを言っているのかな?」
「記憶粒子がゲートから出てゲートに還る、その繰り返しのことじゃ無いかしら」
「……そっか。2000年、ここにいるんだよな」

 ガイの言葉からティアがその意味を汲み取り、そしてルークはローレライの境遇に思い至る。
 この極彩色の空間……彼が言うところの『地獄』で、ローレライは気の遠くなるような時間をたった1人で過ごしているのだと。

 『栄光を掴む者』の企みが私の力を吸い上げ、地核を揺らし、セフィロトを暴走させている。
 私が地核に存在する限り、その力によっていつか星は滅ぶ。

 再び、ローレライの言葉が子どもたちの上に降り注いだ。ティアが露骨に形のいい眉を歪め、アッシュはふんと鼻を鳴らす

「栄光を掴む者?」

 古代イスパニア語を知らないルークは、その言葉を聞いても不思議そうに首を傾げるだけ。「ちっ」と軽く舌を打ち、アッシュが端的にその答えを口にした。

「『栄光を掴む者』。古代イスパニア語じゃあ『ヴァンデスデルカ』っつーんだよ」
「ヴァンデスデルカ……って」

 その名をルークは、ジェイドの口から幾度か聞いたことがある。激しく揺れるアクゼリュスのセフィロトで、和平条約調印の場で。
 本来ならば、その意味を持つ子になって欲しいと親が願って付けたであろう名前。今、その名を持つ者で彼が知っているのは、1人しかいない。

「つまり……師匠?」
「そうだろうね」

 結論を呟いたルークに、シンクが頷く。第七音素意識集合体が敵意を持って名指した意味を、この少年は理解している。
 ヴァン・グランツは、『レプリカ計画』の最終段階としてレプリカの乖離を防ぐため、ローレライを消滅させようとしているのだ。恐らくローレライ自身は、何らかの形でそれを察知しているのだろう。

「僕もあまり詳しいことは知らないけどさ、ちょくちょくセフィロトには行ってたみたいだよ。そんときに何か細工でもしたんだろ」

 もっともシンクとて、ヴァンの動きを全て把握している訳では無い。あの男は最終的に誰も信用すること無く、己のみを頼りとして全ての計画を練り上げた。シンクがそれに協力していたのは、自身の存在意義を『全ての破滅を見届け、遂行せしめること』に見出したから。
 それも今は、すっかり薄れてしまっているけれど。

 我が鍵を、両極のゲートにて焔に託そう。
 星が元の姿に戻りし後、私は空へと上がりたい。

「『鍵』……」

 ローレライの声が紡いだその単語を受け取り、ルークが一瞬顔色を変える。慌てて顔を背け、ジェイドには気づかれないように己の表情を隠した。
 アッシュやティア、ナタリアはこくりと息を飲み、イオンは目を閉じてぐっと唇を噛みしめる。状況をあまり理解出来ていないシンクと、そして第七音素の素養を持たない者たちは訝しげに首を傾げた。

「どうしたんです?」
「あ、いえ。何でもありません」

 ティアが咄嗟にそうジェイドに答えたのは、彼の『最期』を口にしてしまうかも知れなかったから。
 ローレライの鍵。
 『夢』の世界でジェイドがアッシュから奪った剣。ジェイドはその剣を大切に抱え、どこかの塔に登り、ローレライと対面した後音素に帰した。

 始祖ユリアがローレライと契約を交わしたときに、その証として与えられた触媒とも言われているわね。
 ユリアはその力を使ってプラネットストームを発生させた後、地核に沈めたって伝えられているわ。

 『夢』の話をしたときにティアから聞かされた説明の言葉を、ルークは思い出す。
 プラネットストームを造り上げた触媒を使い、今度はプラネットストームを止めた上にローレライを音譜帯へと引き上げる。それをかの意識集合体は望んでいる。
 恐らくは『夢』の世界でも、自分たちはそれを成し遂げたのだろう。その後でルークは死し、ジェイドはそのルークを取り戻すために生命を投げ出した。

 冗談じゃねえや。俺は死なないし、ジェイドも死なせない。

「アブソーブゲートとラジエイトゲートに行けば、ローレライは俺たちに大事なもの渡してくれるって」

 ルークはそれだけを、ジェイドに伝えた。ユリアとローレライとの契約の証であれば、『大事なもの』には違い無いだろう。

「……分かりました。いずれは向かうことになりますから、その時に受け取りましょうね」

 ジェイドは、朱赤の焔が言った『大事なもの』が何であるかを既に知っている。だが、それを言葉に出すことは無い。『この世界』ではまだそれは顕現しておらず、ジェイド自身が見たことも無いそれを知っているはずは無いからだ。
 ほんの僅か躊躇ったような気配がして、ローレライは最後の声を降らせて来た。

 最後に……譜眼の主に伝えよ。
 そなたは、望まれて世界に在るのだと。

「……譜眼って」

 何度かローレライが使用した言い回し。その言葉が誰を指しているのか仲間たちは皆知っており、そしてシンクもすぐに気づいた。自分の手を握ってくれている紅瞳の軍人を、じっと見上げる。

「あんたか、死霊使い」
「はい?」

 普段彼が掛けている眼鏡の意味を、ずっと前にシンクは知っている。彼がその目に刻み込んだ譜陣の存在も、当然。だからシンクは、再確認することも無く意識集合体の言葉を再現して見せた。

「ローレライから、伝言。あんたは望まれて世界にいるんだってさ」
「……」

 青い指先が動いて、眼鏡の位置を直す。レンズの向こうに見える真紅の瞳は、緑の髪の少年が何を言っているのか分からないとでも言うかのように瞬いていた。

 言葉を、理解出来て無い?
 いや、違う。

「私が望まれている訳が無いでしょう? おかしなことを言いますね、シンク」
「文句はローレライに言いな。僕は奴の言葉をそのまま伝えただけだからね」

 彼の口調すらもその表情に似合ったもので、ついふて腐れた答えを返しつつ緑の髪の少年はかりと自分の髪を掻いた。導師イオンと同じ色だけれど少し長さの違う髪は、そんなに嫌いでも無い。

 言葉を拒否してしまってるんだ、こいつ。意識的にか、無意識のうちにかは分かんないけど。

 そう、自分の内で言語にしてしまってからシンクは、ぞっと背筋を震わせた。
 今、この男の心は一体、どうなっているのだろう?


「そう言えばシンク、これからどーすんの?」

 アニスの声で、シンクははっと意識を引き戻した。既に地核を抜け、ディバイディングラインを越え、外殻大地の上空へと舞い上がったアルビオールの機上に彼らの姿はある。飛晃艇のサポートはガイに任せ、それ以外の仲間たちは全員機体内の部屋に固まっていた。
 部屋の窓からちらりと見えた外に『友達』の姿を認め、アリエッタは上機嫌のようだ。そのまま両手で人形を抱え、彼女はシンクの顔を覗き込んで来る。

「シンク。アリエッタと一緒に行く?」
「えー?」

 間髪入れずに返された答えは一言。その中に否定の感情が籠もっているのはアリエッタにもすぐ理解出来たのか、桜色の髪の少女はしゅんとしょげてしまった。アリエッタの表情に気づき、シンクも数瞬の間を置いてぷいと視線を逸らす。彼女の気分を害したことを、それなりに悪いと思っているのだろうか。
 搭乗した後はさすがに手を離していたものの、常に少年の傍にいるジェイドはしばらく2人の顔を見比べていた。それから何かを思い出したように眼を細めて、シンクに視線を固定させる。

「同行するのに抵抗があるのでしたら、1つお願いを聞いてはいただけませんか?」
「何?」

 その場にいる全員の視線が、青の軍服を纏う軍人に集中する。その中でジェイドは穏やかに微笑んだまま、言葉を続けて口にした。

「実は、モースの所に貴方やイオン様のご兄弟がもう1人いるはずなんです」
「……マジ?」
「えっ?」


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