紅瞳の秘預言 67 壊心

 シンクも、そしてイオンも目を見張る。子どもたちもまた、ジェイドの意外な言葉に呆気に取られた。その中でサフィールだけは、にっとレンズの奥の目を光らせる。
 ジェイドが何故そんなことを知っているのか、子どもたちに知られるわけにはいかない。ならば自分が口を挟めば、彼らはこの幼馴染みが教えたのだと誤解するだろう。

「実はそうみたいなんですよねえ。誰ぞの企みとは全く関係無しに、頑張って生き延びた子がいるらしいんですよ」

 イオンやシンクと同時期に生み出された導師のレプリカ、フローリアン。ジェイドの『記憶』の中ではこの頃、まだ彼の存在は表沙汰になってはいなかった。だが、どうせ助け出すなら少しでも早い方が良い……そうサフィールは考えて、言葉を続ける。

「モースが保護して隠匿してるっぽいんですが、私が調べてもなかなか尻尾を出さなくて。でもまあ、ザレッホ火山から生還したんならダアトにいる可能性が高いです。外に出た記録は皆無ですし」
「僕たちの兄弟と言うことは、ある程度ダアト式譜術の適性はあるってことですね」
「僕でもちょっとはあるからね」

 イオンとシンクは顔を見合わせて頷き合う。その表情にアッシュとルークが重なって、ジェイドとサフィールは同時に眼を細めた。
 ほうら、きっとこの子たちだって、違う未来は紡げる。

「我々は、全てのセフィロトに赴きます。ですからザレッホ火山の関係で、ダアトにも行くでしょう。ですが……」
「俺たちはセフィロトの操作に専念したいから、例えダアトに行ってもそいつを捜してる時間が無い。だから、シンクに頼もうという訳か」

 ジェイドの言葉を引き取り、アッシュが続ける。ちらりとシンクに向けられた碧の瞳からかなり敵意が薄れていることに、シンクは気がついた。どちらかと言えば今は、いけ好かない知人に対する感情を浮かべていると言った方が近い。

「ま、そう言うことです。シンク、頼めます?」
「……モースの鼻を明かせるんなら、悪くは無いね」

 にんまりと満足げに笑うサフィールの言葉に、少年は頷いた。
 最終的にどの勢力に身を寄せるにしろ、それが大詠師派と言うことはあり得ない。大詠師モースは利用しやすい駒ではあっても、信頼に足る相手では無いのだ。
 それに比べればまだ、今この場にいる彼らの方が信じられるかも知れない。
 そう言った感情が自分の中に生まれていることに、シンクは薄々感付いている。その感情を彼は、今や否定する気も起きなかった。

「気が向いたら、グランコクマにでも連れてってやるよ。あそこなら教団の手は伸びにくいだろ」
「グランコクマなら、教会にあたしのパパとママがいるから。何とかなるはずだよ」
「何だ、オリバーとパメラそっちに行ってたの」

 アニスの言葉に、シンクはちらりとサフィールに目を向けた。ぺろりと薄い唇の間から覗いた舌先が、少年の確認に対する返答である。


 やがて夜は更ける。ベッドに身を横たえ、宿屋の窓から外を見つめながらイオンは、他の誰にも聞き取れないような微かな声で呟いた。

「ローレライ。始祖ユリア……私には、どうして良いか分かりません。ジェイドは、世界に望まれて生きているんでしょう?」

 上掛けごと自分の肩を抱え込み、身体を丸める。半ば枕に埋もれた少年の顔には、憂いの表情が浮かび上がっていた。

「だったらどうして彼は、あんなに寂しい顔をするんですか。シンクだって、彼のことを気にしているんです」

「導師、ちょっと」

 シェリダン郊外で別れることになった時、シンクはイオンを手招きした。2人の守り役は手で追い払っていたから、自分にしか聞かせたくないのだろうと判断してイオンは「はい」と素直に歩み寄る。
 そっと耳元に近づけられた『兄』の口から囁かれたのは、どこか意外な言葉だった。

「死霊使いから目を離すんじゃ無いよ。あいつ、何かおかしい」
「え?」

 思わず僅かに距離を取り、イオンはシンクの顔を見つめた。視線が絡み合ったのは一瞬だけで、すぐにシンクは目を逸らす。そのまま、彼はほんの少しだけ音量を上げて言葉を続けた。

「人には生きろって言う癖にさ、自分は生きる意思が薄いって言うか。変に意固地なのかどうかは分かんないけどさ、ローレライの伝言、どうも理解出来てないみたいだし」

 シンクの言葉に、イオンはようよう納得した。この素直で無い自分の兄弟が、ジェイドの手を取ってくれた理由を。
 ジェイドはきっと、ずっと以前からシンクを気に掛けていた。恐らく早い時期に、彼が自身と同じ導師イオンのレプリカであることを知っていたのだろう。
 そして、ルークや自分に投げかけてくれていた『自分は自分である』と言う言葉を、シンクにも投げかけていたのだろう。そうしてやっと、その思いは今日叶った。
 叶ったからこそ、シンクはジェイドのことを気にしてくれているのだ。自分やルークだって、そうなのだから。
 それなら、彼の思いを拒否する理由など存在しない。

「……分かりました。気をつけます」
「頼んだよ」

 頷いたイオンの肩にぽんと置かれたシンクの手は、案外優しい感触だった。その手が離れることを、少しだけイオンは惜しむ。

「じゃあね。せいぜい、ヴァンには気をつけて」

 アリエッタの『友』であるリボンを付けたグリフィンの背に乗り、シンクは空へと舞い上がった。軽く左右に振られた手に、ルークやアニスは同じ仕草で答える。それはごく当たり前の、友人同士が交わす一時的な別れの儀式だった。

「どうか……どうか、彼の心を救う手立てを教えてください。1人で背負っても、辛いだけなのだから」

 嗚咽を外に漏らさないために、イオンは枕に自分の顔を埋めた。カバーに湿り気が生じて、白い頬に張り付く。これが恐らく、イオンが初めて流した涙になるのだろう。


「ローレライは誤解しているようですが、私は望まれて世界にいるわけでは無いんです」

 不意にそんな言葉を耳にして、サフィールはぽかんと親友の顔を見つめた。他の子どもたちの睡眠を邪魔しないよう、別の小部屋でピオニー宛の手紙を書きながらジェイドは、サフィールに笑いかけて見せる。

「私がこの世界にいるのは、ルークを生き延びさせるためですよ。それが終われば、私は用済みなんです」

 幸せそうに微笑みながら、ジェイドは己を切り捨てる言葉を淡々と紡ぐ。自分の言葉に何の疑問も持たず、むしろそれが当然だと言わんばかりの口調にサフィールは、ごくりと息を飲んだ。

「だからサフィール。貴方も、早く私から離れてください。貴方は世界に望まれている。私なんていなくても、貴方は十分にやっていけるんですから」

 日焼けしていない白い頬に、ジェイドの青い手が当てられる。グローブの布越しですらその指は、低い体温をサフィールの肌に伝えた。その手を自身の細い指できゅっと握りしめてサフィールは、彼の名を呼ばわる。

「──ジェイド」
「何ですか? サフィール」

 にこにこと笑いながら答えるジェイド。昔の冷たい表情でも無く、ダアトにいた自身と反目し合っていた頃の軽蔑した表情でも無く、ただただ幸せそうな笑顔で彼は、幼馴染みを見つめている。

「私は、ジェイドに世界にいて欲しい。ルークだって、他のみんなだってそうです。だから、そんなこと言わないでください」
「シンクもですが、貴方もおかしなことを言いますね。でも、ありがとうございます」

 サフィールが思いの丈をぶつけた言葉に、だがジェイドは僅かに首を傾げながら答えた。
 その言葉は彼の素直な気持ちを表している。それくらい、付き合いの長いサフィールには良く分かる。
 分かるからこそ銀髪の彼は、くすんだ金髪の幼馴染みの思考が分からなくなった。思わず腕の中に、彼を抱きしめる。

「サフィール?」

 それでもジェイドが彼を呼ぶ声には、疑問の色だけが浮かんでいて。

 ジェイド・カーティスは心のどこかを壊してしまっているのだと、その時サフィール・ワイヨン・ネイスははっきりと認識した。


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