紅瞳の秘預言 68 訣別
空中に浮かび上がる光で描かれた図に、超振動によって道が刻まれる。全てが終了したところでルークは掲げていた手を下ろし、ふうと息をついた。
「お疲れさまです、ルーク」
ずっと傍に寄り添っていたジェイドが微笑むと、ルークも満面に笑みを浮かべながら彼の顔を見上げる。ただ、その表情には疲れが色濃く浮き出ているのだが。
「はは。いつものことだけど、集中してっと疲れるよなあ」
「だからといって、気を抜かれても困りますからね」
「分かってる」
青い手で朱赤の頭を撫でられて眼を細めるルークに、彼らの作業の間ずっと控えていたアッシュが小さく溜息をつく。その表情はすっかり、弟を見守っている兄のものだ。
「きついなら替わると言っただろう」
「うん、ありがとうアッシュ」
ぱっと笑顔になるルークもまた、兄に懐く弟の表情を浮かべている。それから少し首を傾げて、碧の瞳に力強い光を湛えながら答えた。
「でもこれ、俺がやるって最初に言ったからさ。ちゃんと最後までやりたい」
「そうか。まあ、余り気を詰めるなよ」
ぽんと『弟』の肩に手を置いて、アッシュはちらりと背後に視線を投げた。それに気づいたルークが『兄』の視線を追うと、顔を青ざめさせたティアとナタリアが寄り添っている姿がある。
セフィロトを操作するごとに第七音譜術士たちが見る『夢』。そのことを、今になってルークはやっと思い出した。その時々で『夢』を見る人物が違っていた訳だが、そうするとつまり。
「今日は、あいつら?」
「らしい。後で話を聞くつもりだ」
「おっけ。あとイオンにも聞いてみっか」
アッシュと小声で会話を交わしてルークは、こくりと息を飲みながら小さく頷いた。くしゃりと朱赤の髪を撫でてくれたアッシュの手が無ければ、もしかしたらルークは泣いてしまっていたかも知れない。
ここはメジオラ高原のセフィロト最奥部、パッセージリングが安置されている部屋。シェリダンからアルビオールで渓谷をある程度まで遡り、そこからは徒歩でセフィロトに入った。
ジェイドの『記憶』ではその前にリグレットの襲撃があったはずだが、『今回』彼女とは顔を合わせていない。そのおかげで余計な体力を消耗することも無くこの部屋に辿り着き、そして無事セフィロトの操作を終えることが出来た。
タイミングがずれたのかも知れませんね。
サフィールとアリエッタを残して来ていて良かったんでしょうか。
ぼんやりと思考を巡らせながらジェイドは、ふとティアに視線を向けた。少し顔色が悪いのが気になり、声を掛ける。
「大丈夫ですか? ティア。フィルターを」
「あ、はい、大丈夫です。どうぞ」
かちりと音がして、フィルター発生装置はティアの細い手首から外れる。それを受け取り、ジェイドは計器をチェックして僅かに眉をしかめた。
「……ふむ」
「どうした? 旦那」
細い顎に手を当てて考え込むような表情になったジェイドの顔を、ガイが横から覗き込む。本来ならば口を挟んで来るはずのサフィールは今回、アリエッタと共にアルビオールの護衛に残っている。もっとも実際に飛晃艇を守るのはサフィール自身では無く、ノエルのサポートとしてちゃっかり乗り込んでいたタルロウだろうとルークたちは一様に考えているのだが。
「いえ……フィルターは正常に作動しているんですが、単位時間当たりの第七音素消費量がやけに増えてるんですよ」
小さな音機関をポケットにしまいながら、ジェイドはガイの疑問に答えた。障気がティアを蝕んでいる訳では無いことにほっとしたのか、端正な顔はほんの僅か綻んでいるようにも見える。
一方、ジェイドの答えからその意味を即座に引き出すことが出来たガイは顔をしかめた。眉間にしわを寄せ、腕を組んで考え込む表情になる。
「む……そりゃ拙いかもな」
「それって、どう言うことですの?」
珍しくアッシュの傍ではなくティアと並んでいるナタリアが、唇に指先を当てて首を傾げた。その疑問にはジェイドが、分かりやすいように言葉を選びながら答える。
「セフィロトツリーから噴き上げる第七音素に含まれる障気の割合が多くなっている、と言うことです」
ティアの身体に障気が残留しないよう、『戻って』来てからジェイドが開発した障気フィルター。装置から放出させた第七音素が障気を含んだ第七音素と結合し、共に昇華することでその役割を果たしている。
その第七音素の消費量が増えていると言うことはつまり、それらと結合した障気の量が増えていると言うことだ。各地のセフィロトでも、恐らく同様の現象が起きているだろうとジェイドは推測する。
しばらく考え込んでいたガイは、自身が推理した原因を口に出した。
「タルタロスで地核振動を相殺してるけど、振動そのものが止まってるって訳じゃ無いからな。振動自体は酷くなっていて、障気をどんどん吐き出しているのかも知れない」
「……そうなると、外殻降下を急がなければならないわね。プラネットストームを停止させて、これ以上障気が増えることを防がなくちゃ」
「みゅうう。障気が今よりいっぱい出て来たら、もっと皆さんしんどくなるですのー。大変ですのー」
深刻な表情で呟くティア。ミュウは筒状の耳をぶるりと振るい、小さな腕を広げてじたじたと足を踏み鳴らしている。空色の小さな身体を拾い上げて、イオンはその頭をゆっくり撫でてやった。
「ともかく、僕たちは出来ることをしなければなりません。ですが、急ぎましょう」
「だよねー。ローレライもタルタロスも頑張ってくれてるけど、あんまり無理させちゃうと壊れそうだもん」
アニスの子どもらしい、単純な結論に全員が頷いた。
自分たちに味方してくれている意識集合体と、そして今も地核の振動を相殺し続け世界を守ってくれている陸艦は、彼らにとって大切な仲間なのだ。
昇降機に足を踏み入れる。全員が揃ったのを確認し、ガイが操作すると古代の音機関は微かな音を立てて動き始めた。
「これで後は2個所か」
「ザレッホ火山とロニール雪山ですね。人数も多いですし、分かれて行ければ良かったんですけど」
ぽつりと呟いたアッシュの言葉を聞き止めて、イオンが少しだけ考える表情になる。
現在ジェイドと共に旅をしているのはルークとアッシュ、ティアとナタリア、ガイとサフィール、イオンとその守り役であるアニスとアリエッタ。アルビオールはギンジの1号機とノエルの2号機が双方健在だから、2チームに分かれて行動すること自体に問題は無いだろう。
ただ、別の所には問題が存在している。それを挙げたのは、アニスとティアだった。
「総長やリグレットにアルビオール取られたらやばいしぃ、この人数でよかったんじゃ無いですかぁ?」
「確かにそうね。兄さんたちも、アルビオールの機動力はもう知ってるだろうし」
額に手を当てて溜息をつくティアは、うんざりとした表情を浮かべていた。怨恨の発端が明らかになったとは言え、実兄が世界を滅ぼすために企んだ数々の陰謀を思い出すと軽く心因性の頭痛が起きてしまう。
「それに、2つのゲート以外にもうダアト式封咒が開いてるとこ無いんだろ? イオン連れてかなきゃなんねえんだから、二手に分かれてもあんまり意味無いよな」
こめかみを揉みほぐすティアを案じつつ、ルークががりがりと朱赤の髪を掻いた。
一行が別れて行動しない最大の理由は、実にそこにある。ヴァンにイオンを奪わせず、これ以上セフィロトに余計な問題を起こさせないためと……もしモースがイオンを手中にすれば、ユリアの預言を詠み直させる可能性が出て来るからだ。
ジェイドの『記憶』にある光景。力尽き、障気に侵されたティアを救い、ルークの腕の中から消え去ったイオン。
モースは変なところで頑固ですからね。
自分の欲しい預言が出てこなかったら、何度も詠み直しさせるかも知れませんよ。
導師にそんな苦行、させたくないでしょう?
あの光景をジェイドと、そして彼から知らされているサフィールには繰り返させる気は無い。故に必要以上にイオンの重要性を子どもたちに訴え、彼を守るよう言い含めた。結果、こうやって皆がひとまとまりのまま旅を続けている。
「セフィロトに関して詳しいのはカーティス大佐ですし、今回のように音機関の問題が起きる可能性もありますからガイかネイス博士、どちらかには来て戴かないと困りますのよね」
ナタリアが頬に手を当てながら、停止した昇降機から降りる。しばらく進んだところで、全員の視線が1個所に集中した。
そこには、動力を失った創世暦時代の音機関が鎮座していた。ジェイドだけが『覚えて』いる、『かつて戦った』相手……パッセージリングを修復するために2000年もの間動いていた、整備仕様の機械人形である。
「こいつには悪いことしたな。長いこと、セフィロトを診ていてくれたんだろ」
「でも、自ら動力を差し出してくれたんですのよ。感謝しなくてはいけませんわ」
労るように機体を撫でてやりながら呟いたガイの言葉に、ナタリアは首を振ってから祈るように目を閉じた。
『前回の世界』では、昇降機の動力を手に入れるために自分たちはこの機械人形を相手に戦闘を繰り広げた。だが『今回』、彼はしずしずとジェイドの前に進み出た。自ら動力を明け渡し、何かを語りかけるように僅かな点滅を残して動きを止めたのだ。
彼の意図を汲んだジェイドは動力の移植作業をガイに委ね、ただ機械人形の機体にそっと手を触れて「ありがとうございます」とだけ呟いた。言葉も無く知能や自我の存在も知れないけれど、それでも彼は自分たちの未来のために犠牲になってくれたから。
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