紅瞳の秘預言 68 訣別

 基本の仕掛けは解除してあるから、パッセージリングに直で来てくれって。
 今後もずっとそうだって。

 『今回の世界』では、ローレライの助力によりセフィロト内の面倒な仕掛けを解除する手間は免れている。だがそれが、此度のように音機関の行動にまで及んでいるとはさすがのジェイドも思っていなかった。

 アクゼリュスの住民たちを失わなかった代わりに、彼が自ら停止したのでしょうか。

 一瞬だけそんな思いに駆られて、ジェイドは軽く頭を振った。預言とは異なる未来を目指すのに、身代わりが存在すること自体がおかしいのだ。それではただの、すり替えにしかならないのだから。

 身代わりは、私だけで十分です。

 そんなジェイドの表情をちらりと伺って、アニスは意図的に会話の内容を切り替えることにした。のんびりとしすぎた両親の元で育った彼女は、周囲の空気や顔色を読む術に長けている。今も、理由こそ分からないがジェイドが気落ちしていることには気づいたから。

「イオン様、あちこち行って疲れたんじゃ無いですか?」
「え? ええ、まあ、ちょっとは」

 不意に話を振られたイオンの方は、何度か目を瞬かせながら頷いた。機械人形のボディをぽんと軽く叩いて別れを告げ、一行は再び足を進める。

「でも楽しいですよ。こうやって、いろんな場所に行くことが出来るんですから」
「あ、それは俺もある。特にさあ、セフィロトの中なんてこんな機会でもなきゃ見ること無かったもんな」
「それはみんなそうさ。まさか、創世暦時代の音機関をこの目で見て触れるなんて思っても見なかったぜ」

 イオンの言葉に頷いて、ルークとガイが白い歯を見せながら笑い合う。特にガイなどは、この旅を始めてから様々な音機関に触れる機会が多々あったのだから楽しくて仕方が無いだろう。

「これほどの文明を持ちながら……彼らは、地核の振動を止めることも無く外殻大地を浮上させたんですね」
「……預言に詠まれていなかったから、か」

 ただ、イオンがぼそりと呟いた言葉にアッシュはふうと長く息をつき、真紅の髪を掻き上げる。苦々しげに吐き出された言葉に、全員が声も無く頷いた。

「だが、プラネットストームの停止もローレライの解放も預言には詠まれちゃいねえ。いちいち気になどしていられるか」


 ほんの少し遡った時間。メジオラ高原へ向かうアルビオールの中で、ルークがぽつりと漏らした。

「……ローレライさ、地核に2000年もいるんだよな」
「そうね」

 並んで座っていたティアが、不思議そうに首を傾げながらそれでも頷く。ほんの一瞬だけ彼女の顔を伺って朱赤の焔は、ぽつんぽつんと言葉を紡いだ。

「……ひとりぼっちで2000年って、寂しかっただろうなあ」
「……そう、ね」

 ティアには、ルークが何を思っているのかは分からなかった。けれど、少なくともこの少年が地核で言葉を交わした彼の意識集合体を気遣っているのだろうと言うことだけは把握する。
 と、ルークが顔を上げた。視線の先に捉えたのは、真紅の瞳を持つ軍人。

「なあジェイド、ローレライを地核から出したらどうなるのかな」
「そうですね……少なくとも、プラネットストームの維持は無理でしょうね。ですが、地核の振動は心配無くなります」

 『覚えて』いる結果を端的に答えとして紡ぐジェイド。その言葉を受け取り、自身の持つ知識を合わせてその理由を推測するのは金の髪を持つ青年の役目になりつつある。

「プラネットストームの存在が地核振動の原因だから、だな。けど、何でローレライが出て来たらプラネットストームの維持が無理になるんだ?」
「永劫回帰の地獄、と彼は言っていたのでしょう? 恐らく、現在プラネットストームが回流しているのはローレライの尽力によるものです。セフィロトを巡る音素の流れ自体は元から存在していたものだと思いますが、それを強化しプラネットストームとしてシステム化するには意識集合体の力が必要だった。恐らくユリアはそれを、ローレライに委ねたんです」

 ガイ相手であれば、少々難しい言葉を使っても彼は理解出来る。それが分かっているからジェイドは、ガイを相手に答えを提示した。ルークが分かるように言葉を噛み砕くのもまた、朱赤の焔を育て上げた養い親の得意とするところだ。

「記憶粒子とそこから生み出された第七音素は、ゲートから出て、ゲートに戻るって言う流れを延々と続けている。ユリアに頼まれて、ローレライは2000年の間それを繰り返して来たってことかい?」

 予想通り、ガイは分かりやすい説明を紡ぎ上げた。「はい」と頷いたジェイドの顔とガイを見比べて、アリエッタがぷうと頬を膨らませる。

「それで、星壊しちゃうかも知れないの? ローレライ、ずっと頑張ったのに」
「その辺が預言には詠まれていませんわね」
「だけど、僕たちが頑張れば星は壊れない。ローレライだって解放出来ます」

 ナタリアに頷きながら、イオンは膝の上で拳を握りしめた。ユリアも詠まなかった、自分の中にも無い『預言とは違う未来』を目指すために、少年は預言を振り払うための勇気を振り絞る。
 しばらくじっと考え込んでいたサフィールが、ぽんと手を打って顔を上げた。

「ああ、もうひとつ。レプリカの音素乖離確率が減少する可能性が大いにありますよ」
「本当か?」

 一番に反応を見せたのはレプリカの子どもたちでは無く、アッシュだった。にんまりとレンズの奥の眼を細め、サフィールは骨張った指をくるりと回してみせる。

「地表と彼との距離が離れますから、彼が第七音素を引き寄せる力が弱くなります。そもそも地核にローレライがいたから、星の引力やプラネットストームと彼自身の引き寄せる力が相乗効果をもたらしている可能性もありますし」
「あ、じゃあ俺とアッシュの大爆発も……」

 サフィールの説明の意味に気づいて、ルークがぱっと顔を明るくした。大爆発の発端はレプリカ側の音素乖離だから、その確率が下がれば大爆発が始まる確率も低くなると考えるのは当然と言って良いだろう。

「どうなんでしょうねえ? けど、対策はしておくに越したことないですよ。貴方、死にたくないでしょ?」
「そりゃもう」

 悪戯っ子のような表情をして自分の顔を覗き込んで来たサフィールに、朱赤の焔は何の迷いも無く頷いた。

 死ぬのは怖いし、ジェイドを巻き添えにするかも知れないなんて絶対に嫌だからな。

 けれど、その答えをルークが口にすることは無かった。


 セフィロトを出た所で、ガイとティアが同時に気配に気づいた。イオンを下げ、それぞれに武器を構える。その彼らの前に現れたのは、少数の部下を率いた『魔弾のリグレット』だった。

「……リグレット教官!?」
「ティア!? お前たち、来ていたのか」

 少女とその仲間の存在をここに来て初めて知ったらしいリグレットの反応に、ジェイドは眼を細めた。唇の端が上がり、僅かに笑みの表情を作る。

 アルビオールを見なかった……なるほど。

 恐らくはアリエッタの『友人』がリグレットの接近を知らせ、それに応じてノエルがアルビオールを緊急離陸させたのだろう。サフィールもいるとは言え、こちらは飛晃艇を守りながらの戦闘だから分が悪い……もしかしたらそれを分かっていて、サフィールが離陸を指示したのかも知れないが。


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