紅瞳の秘預言 68 訣別

 ともかく、アルビオールは無事だろう。そう判断してジェイドは、声を張り上げた。

「遅かったですね。ここのセフィロトは、既にこちらの手の内にありますよ」
「所詮は無駄なことだ。ティア、お前もいい加減にしなさい。ヴァン総長はお前の身体を案じておられる」

 ぎりと奥歯を噛みしめた後、リグレットは2つの銃口をジェイドとルークに向けた。彼女のティアを案じる言葉に、当の本人は一瞬きょとんと目を見開く。
 ややあって流れ出たティアの答えは、リグレットが待っていたそれとは微妙に方向性がずれているものだった。

「レプリカ情報を抜き取る前に死なれては困るからでしょう? それに、私の身体は何ともありません」
「馬鹿な。やせ我慢は見苦しいぞ」
「ティアは何も我慢して無いよ? 何言ってんのオバサン」

 既に巨大化させたトクナガの腕の中にイオンを抱え込んだアニスが、じっとりとした目でリグレットを睨み付け。彼女や同行者たちが持っている疑問の答えを、ジェイドは知っている。
 彼らは、ジェイド自身が開発した障気フィルターの存在を知らない。故に、恐らくその身に大量の障気を含んでしまっているだろうヴァンと同様に、ティアが身体を病んでいるのだと思い込んでいる。
 それでは『前の世界』と同じことだ。

「貴方が言いたいのは障気のことでしょう? ティアの身体には、障気など蓄積されていませんよ。見て分かりませんか?」
「な……」

 『死霊使い』のどこか馬鹿にしたような口調に、リグレットは憎悪を露わにして譜業銃を構え直す。2つの銃口が共にジェイドを狙うように腕を動かして、怒りの籠もった言葉を吐き捨てた。

「……そのようなことをしてまで、この世界に守る価値があるとでも思っているのか? お前たちは、ホド消滅の真実を知ったのだろう!」
「はい。預言に踊らされ、預言を私欲に利用する為政者たちの姿を私たちは見ました。兄が言っていた通りの姿を」

 ティアははっきりと頷く。実際に見たものを、聞いたことを、否定するつもりは無い。
 和平条約締結の場で明かされたホドの真実。
 ジェイドやサフィールの過去。
 インゴベルト王やファブレ公爵がこれまでに積み重ねてきた歴史。
 それらを、ジェイドや子どもたちは皆知っている。知ってなお、世界を救うための旅を続けていることが何故、リグレットには理解出来ないのだろうか。
 いや、理解するつもりは最初から無いのだろう。彼女にとってはヴァンの計画こそが世界を救う唯一の手段であり、絶対であるのだから。

「ならば、一緒に来なさい。お前とホドの生き残りは、総長も助けてくださる」
「助けるなんて言っても、最終的にはレプリカ情報を抜いて殺すんだろ?」

 その彼女から出された提案を、ガイは強い言葉で拒絶した。ぴくりと肩を震わせたリグレットに刀の先を向けて、金髪の青年は自分の答えをはっきりと叩き付ける。

「例えどうしようも無い世界だったとしても、俺は今のこの世界が好きなんだ。仲間にそっくりな誰かのいる、オールドラントにそっくりな星には行きたく無いね。……ああ、俺が行くんじゃ無くて俺にそっくりな誰か、か」

 露骨な拒絶、そして自分たちが目指す未来への罵倒とも取れる言葉。リグレットは、怒りに溢れていてもなお美しいその唇から、あくまでも怨嗟を紡ぎ出す。

「それでは世界は結局、ユリアの預言からは逃れられん!」
「そうでも無いよぉ? ユリアはルークのこと詠んで無かったもん」
「ルグニカの降下も詠んではいませんわ」

 アニスもナタリアも、リグレットが突きつける言葉に対して反論をぶつけた。アッシュは無造作に剣をぶら下げて、彼女を半ば鼻で笑いながら言葉を繋ぐ。

「それにローレライも、自分が持ってる未来の預言が完璧だなどと思ってはいない」
「グランツ謡将もそうですが、貴方も大概頑固ですね。未来は変えられるんです。ローレライもユリアも、それを望んでいる」

 『戻って』来てから何度も口にした言葉を、ジェイドは当たり前のようにリグレットにも渡す。だが、彼女はその言葉に手を差し出すことは無かった。彼女と彼とはもう、目指す未来が違いすぎるから。

「戯言を……!」

 ついにリグレットの指が、トリガーを引いた。ジェイドを狙った弾は、照準が甘かったのか長い髪を僅かに掠めて飛び去る。
 瞬間、レンズの奥で真紅の瞳が強い光を宿した。

 もう大丈夫。枷は、全て外れた。

「無数の流星よ、彼の地より来たれ」

 空に手を差し伸べ、言霊を紡ぐ。青かった空が暗くなったことに気づき皆が視線を上げたその時、ジェイドの凛とした声が響いた。

「メテオスォーム!」

 振り下ろされる青い手に導かれ、空の果てから無数の流星雨が降り注いだ。ジェイドが守るべき仲間たちを器用に避けながら、禁譜はリグレットとその配下たちを執拗に叩き付ける。
 ほんの十数秒降り注いだ流星たちは、ある一瞬を境にしてぴたりと止んだ。全身ずたぼろになりながらもどうにか持ちこたえたリグレットは、周囲に倒れ臥している配下たちの姿を見渡して愕然となる。

「馬鹿な! 貴様、封印術は……」
「おかげさまで、調子を取り戻すことが出来ましたよ。少し時間は掛かりましたがね」

 殺意を籠めた光を瞳に宿し、ジェイドは真っ直ぐリグレットを睨み付けた。彼女がルークとその仲間たちに対しあくまでも危害を加えるつもりであれば、己の持つ全力で排除しなければならない。
 ジェイドはルークに幸せに生きて貰うために、『戻って』来たのだから。

「くっ……」
「教官、もうやめてください。貴方たちが何と言おうと、私の意思が変わることはありません! 第七譜石の預言だって、覆して見せます!」

 半ば泣き声にも感じられるティアの悲鳴。だが教え子の叫びですら、彼女にはもう届かなかった。

「愚か者どもが……!」

 呪うように吐き捨てた後、リグレットは指笛を吹いた。アリエッタの『友人』では無いグリフィンが飛来し、彼女を爪の先で掬い上げる。どうにか生き延びた兵士たちもよろよろと起き上がり、這々の体で逃げ出した。

「お前たちも知るが良い! ユリアの預言が絶対であることをな!」

 叫びながら飛び去って行くリグレットの姿を、悔しそうに顔を歪めながらティアは見送った。自分の言葉を受け止めてもくれなかった教官の頑なさに、泣きたくて仕方が無い。

 それなら、仕方が無い。
 私は、貴方と戦います。
 私も、ルークたちのいるこの世界が好きだから。

 一度拳を握りしめてから、ティアは頭を振った。長い前髪を掻き上げて小さく頷いた彼女の表情には、決意がありありと浮かび上がっている。

 一方ジェイドは、ルークにじっと顔を覗き込まれていた。リグレットとの会話が少年に、青の軍人に長く掛けられていた枷が消えたことを教えたからだろう。

「ジェイド。封印術、解けてたんだ」
「ええ。本当は少し前に全解除出来ていたんですがね、体内の音素コントロールの感覚を取り戻すのにちょっと時間が掛かっちゃいまして。だから、内緒にしていたんです」

 ぺろりと薄く舌を見せて、ジェイドは笑って見せた。もっとも、彼の言葉には少しだけ嘘がある。
 音素コントロールの感覚など、全解除から程無く回復している。封印術の全解除を子どもたちに教えなかったのでは無く、伝える機会が無かっただけの話。
 子どもたちはこの短い間ですっかり戦力として定着し、ルークも殺した生命の重さに怯えながらも強い子に成長した。ジェイドが譜術を使う機会は自然と減少し、また強大な威力を発揮する上級譜術の出番は皆無と言って良いだろう。
 さらに、サフィールが意図的にジェイドを戦線から下げることが増えていた。自身戦闘に出ることが不得手であるサフィールは、同時にジェイドの腕を引っ張って後方に連れて行ってしまう。もっともこれはサフィールなりにジェイドの心を案じてのことなのだが、当人にそれを理解することは出来ていなかった。
 そう言った要因が重なったため、封印術解除を敵性勢力どころか味方にも伝える機会は今の今まで無かった。リグレットに知られた以上時を置かずにヴァンの知るところとはなるだろうが、その前に勝負を決めてしまおうとジェイドは考えている。
 それが無理でも、自身が盾としてルークを守りきれば良いことなのだが。

「それにしても、今の譜術は何だ? あまり聞いたことが無いんだが」
「少し前に覚えたんですけどね。ご覧の通り強すぎて、使う機会が無かったんです」

 訝しげに眉を歪めたアッシュの問いにしれっと答えて、ジェイドは自分の腕にしがみついてきたルークの頭を撫でてやる。少しだけ浮かび上がった疑問は、胸の中にしまい込んで。

 ついでに禁譜まで復元されたのは予想外でしたがね。
 『記憶』の中に含まれていたんでしょうか。

 子どもたちと笑い合うジェイドの横顔を見つめながら、イオンはほんの僅か目を伏せた。
 どこかその笑顔が、空っぽに思えたから。


PREV BACK NEXT