紅瞳の秘預言 69 憂慮

 メジオラ高原のセフィロトを離れたルークたち一行は、その晩はベルケンドに宿を取ることにした。これまでならばヴァンとその手勢が常駐していたために危険が伴っていたこの街だったが、地核振動停止作戦をきっかけに変化があったらしい。

「領主ファブレ公爵の命によりグランツ謡将に近い者は自主的に退去、もしくは追放致しました。ルーク様の身体検査データの捏造、及びアッシュ様誘拐の手引きと言った過去の罪状も鑑みまして、第一音機関研究所には監査が入ることになっております。い組にもこちらに戻り次第、事情聴取致します」

 面会したビリジアン知事からの報告をうけ、その手配の早さにジェイドはほっと胸を撫で下ろした。
 『前回』と異なりい組の技術者たちは生命を落とすことも無く、焔たちの父親は我が子たちを受け入れようと努力を始めている。それが、『悲劇』を知るジェイドには嬉しくてならない。

「父上、えらく手回し早いなあ」
「此度のシェリダン襲撃の首謀者がグランツ謡将であることを重く見たのでしょう。キムラスカ内でも特に、ファブレ家は謡将との繋がりが深かった訳です。その謡将が此度のような事件を引き起こしたのですから」

 目を丸くしたルークに、知事は溜息をつきながら説明する。眉をひそめたティアには気づかず、アッシュが露骨に不機嫌さを顔に表した。

「それもこれも皆、今の計画に繋げるためだった訳だよな。くそったれが」
「王族の一角でホドの仇でもあるファブレに取り入って、そこの息子が超振動使えるって分かったから手駒にしようとして、代わりにフォミクリーで作った子供を放り込んだ上に手懐けてたんだもんな」
「……神託の盾に入隊するところから計画の内なんでしたら、10年以上になりますよねえ。どんだけ前から計画練ってたんですか、全く」

 ガイが指を折り曲げつつヴァンの過去の所業をあげつらう。それを聞きながらサフィールは銀の髪をがりがり掻き回し、肩をすくめた。それからふとティアの存在に気づき、ちらりと視線を向ける。

「ティア、大丈夫ですの?」
「平気よ。いくら血の繋がった兄でも、良からぬことを企んでいるのだから止めなくちゃ」

 友人を気遣うようにその顔を覗き込んだナタリアに小さく頷いて、ティアは毅然と顔を上げた。だが、彼女が胸元で握りしめた拳が僅かに震えていることに、仲間たちは皆気づいている。
 自分を育て守ってくれたたった1人の兄と戦うことがどれだけ辛いのか、分からない皆では無い。それを伝えようとしてルークは、そっと彼女の肩を抱き寄せた。誰かが触れていてくれることで、自分はずいぶん気が楽になったから。

「ティアは、無理しなくて良いんだぞ」
「馬鹿ね。無理なんてして無いわ」

 互いに接近した状態で、ルークとティアは小声で言葉を交わす。そんな2人を見比べて、ナタリアはほっとしたように眼を細めた。
 インゴベルト王の娘で無いと知らされて気落ちした自分を、アッシュはずっと傍にいて支えてくれていた。ティアも友人として、言葉少なながらも気に掛けてくれていた。
 そのティアが、自身の兄を敵として戦わなければならないと言うこの状況に苦悩している。ナタリアは当然友人として彼女を助けて行くつもりだが、けれど。
 ナタリアを支えていてくれたのがアッシュであるように、ティアを支える役割を担っているのはルークなのだとこうやって見ているとよく分かる。

 ルーク。ずっとティアの傍にいてあげてくださいましね。

 アッシュにとって弟であれば自分にとっても弟のような存在になるであろうルークへと、ナタリアはそっと祈りを捧げた。
 一方、ビリジアン知事の報告はまだ続いている。彼の話を聞いているのはジェイドやサフィールと言った年長組や、イオンとその守り役たちだ。

「ダアトにも抗議を申し入れたのですが、大詠師モースはグランツ謡将が神託の盾を離脱して行ったことだと全く取り合わないようです」
「申し訳ありません。我がしもべの罪は私の罪です」

 知事のどこか非難がましい口調に、イオンは素直に頷いた。ヴァンを破門したのはイオン自身であるため、その責任をも痛感しているのだろう。

「イオン様は悪くないですよう。モース様が言うこと聞かなかったり主席総長が好き放題したりするのが悪いんですぅ」
「アニスの、言う通り。イオン様のご命令聞かない、モースやヴァン総長が悪い」

 守り役の少女たちはぷうと頬を膨らませ、イオンを擁護する。
 元々教団を維持するためのお飾りとして立てられた今のイオンを、モースやヴァンは最高指導者とは思っていない。モースは大人しく導師の椅子に座っていればそれで良いとしか考えていない節があるし、ヴァンにしてみればダアト式封咒を開ける鍵でしか無いだろう。だから彼らは、イオンをほぼ無視し独自の判断で動く。
 一方アニスやアリエッタ、そして仲間たちは今のイオンがレプリカであることは知っている。だがそれでも、彼女たちにとってイオンが敬愛すべき導師であると言う認識はそのままだ。彼がレプリカであるか否かに関係無く、その高潔な人格はローレライ教団を率いて行くに相応しいものだと皆は考えている。
 故に彼らはレプリカだからと言うだけで今のイオンを見下すモースの、そしてヴァンの態度は気に食わない。思想的に敵対している部分を除外したとしても、この認識の違いは恐らく永久に平行線を辿ったままだろう。
 そして、思想の違いは当のモースとヴァンの間にも存在する。

「おまけに主席総長ってば、元々大詠師の預言至上主義を利用してるところありましたからねぇ」

 サフィールが大袈裟に肩をすくめ、そこを指摘して見せた。ヴァンがモースの思想を利用し、その影でレプリカ計画を進めていることをその片棒を担いでいた彼は良く知っているから。
 苦笑を浮かべながらジェイドは、ちらりとサフィールの顔を覗き込むように視線を向けた。

「大詠師の方もそれは薄々感付いていたでしょうしね。グランツ謡将が教団から出て行ってくれて、せいせいしてるんじゃ無いですか?」
「でしょうねー。神託の盾も一緒にだいぶ出てっちゃったんで立て直しが大変そうですが。カンタビレは大詠師と仲悪いですし」

 ジェイドの普段とそんなに変わらない表情に安堵したのか、サフィールはジェイドの腕にしがみついて答える。
 現在神託の盾に残留している兵士の大半は、カンタビレ率いる第六師団に所属している。師団長である漆黒の詠師は部下の面倒見が良く、ジェイドのマルクト軍第三師団同様その結束力と師団長への忠誠心は高い。
 師団長でありながら神将の名を持たぬカンタビレとその配下は、元からモースとはそりが合わないために面倒な任務を多く押し付けられている。それを知っていたから、ジェイドへの助力を決めたサフィールは更に彼のための援軍としてカンタビレを選び、苦手な交渉にも臨んだのだ。
 結果として現在の神託の盾はそのほとんどがジェイドやルークたちの味方となった。そうで無い部隊もまだまだ多いが、それらはルグニカ平野の戦争に出てしまっており現在は魔界にある。障気の多い世界に置き去りにされていては、彼らも戦争や上層部の思想どころでは無いだろう。
 だが、それだけではアニスは不満だったらしい。頬を膨らませたまま、拳を握った両手をばたばたと上下に振りつつ文句を吐き出す。

「あたしとしてはぁ、正直モース様にも出てって欲しいんですけどー」
「モース、イオン様虐めるから嫌い」

 イオン至上主義であるアリエッタも、ぬいぐるみを抱きしめたままむすっとしていた。その桜色の髪をくしゃくしゃと掻き乱すように撫でてやりながら、サフィールは戯けた表情で彼女らに同意の言葉を紡ぐ。

「私もそう思うんですがねえ、もうちょっとポカをやって貰わないと難しいんじゃ無いですかね?」
「外部の立場からこんなことを言うのも何ですが、正直大詠師には何らかの問題の責任を取っていただいて、穏便に引退していただくのが一番かと……」

 周囲を伺いながら、ビリジアン知事までもがぼそぼそと同意した。自分が知事として赴任している街を、本来大して関係が無いはずの教団に我が物顔にされていたのだから、不満もそれなりに募っているのだろう。

「……まあ、これから変わって行くと良いわね」
「本当ですわね」

 ティアとナタリアはお互いに顔を見合わせて、同時にお手上げのポーズを取った。


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