紅瞳の秘預言 69 憂慮

 夕食を取った後、宿の一室に第七音譜術士の子どもたちが集まっていた。導師守り役の少女たちは湯浴み、『ケテルブルクの双璧』はいつものように別室を取っている。ガイは監査が入る前にと音機関研究所に出かけてしまったため、彼らに知られずに集まるのにはさほど問題無かった。
 室内をくるりと見回してからまず口を開いたのは、今回『夢』を見た1人であるティアだった。

「私が見たのは……時間的には、今からそんなに遠くない未来だと思うわ。多分ここ1年以内じゃないかしら」

 彼女が見たものは、天高く噴き上げる光の柱だったと言う。ガイやナタリア、アニスやジェイドと言った面々が彼女と同じように、その柱をじっと見上げていたらしい。確認出来た中で最年少であるアニスの容姿が現在とほとんど変化が無いために、ティアはその時期をごく近い未来だと推測したのだろう。タタル渓谷で皆が見た『夢』に登場したアニスは、現在よりも成長した姿だったから。

「多分あれは、解放されたローレライが音譜帯へと帰って行く姿だったんじゃないかしら。根拠は無いのだけれど、私はそう思う」

 『夢』の光景を思い出しながら、ティアはぽつぽつと言葉を紡ぐ。その速度が少しずつ落ちて来たことに気づいた一同の前で、少女は悲痛に顔を歪ませた。胸元で握りしめられた拳が、かたかたと震えている。

「でも、何だかすごく悲しかった。ルークを置いてきてしまった、って感情が胸の中にこう、ぐしゃぐしゃって溜まってた。今すぐにでも戻りたい、ルークの所に戻りたいって」
「俺を、置いて来た?」

 ルークがかすれた声で問う。こくりと頷いたティアをじっと見つめる少年は、ひくりと頬を引きつらせた。彼に寄り添うことが当たり前になっている少女は、その目を涙で潤ませていたから。
 そのティアの両肩を抱えるように手を伸ばして、ナタリアが言葉を引き取った。彼女もまた、今回『夢』を見ている。

「私が見た光景は、ティアよりももう少し前なのだと思いますわ。遺跡のような廃墟のような場所で、ルークと私どもがそれぞれに言葉を交わしていました」

 その視線はルークに固定され、口調は意図的に抑えられている。18年の間王女として育てられたことで、自身の感情を表に出すこと無く会話する術をある程度彼女は会得していた。しかし、今のナタリアには自身の感情を隠しきることは出来ないでいる。

「……私はルークに、生き延びてくださいと言ったんです。心の中では、無理かも知れないと思いながら」

 震える声が、必死に言葉を紡ぐ。2人の焔たちははっと目を見開き、暫しの間ナタリアをじっと見つめた。僅かな沈黙の後、ゆっくりと問いの言葉を投げかけたのは真紅の髪を持つ青年。

「ルークは、何と答えたんだ? ナタリア」
「──『生きたかったな』、と」
「……」

 答えを受けて、ルークはぎゅっと目を閉じる。
 その時の自分が、どんな思いでそんな言葉を口にしたのか。

 生きたかったな。

 それはつまり、自分が死ぬと分かっていたからこそ出た言葉。だからルークは、吐き出す息に紛れるように言葉を流し出した。

「……そっか。俺、死んじゃうんだよな。大爆発で」

 『この後』起きたはずの光景。その『夢』を見た仲間たちの言葉を、朱赤の焔は思い出す。
 今まで彼らが個々に見て来た『夢』は、時間軸を遡って来ていた。つまり、これまでに見られた『夢』はティアとナタリアの証言した『夢』の後に起きた出来事、と言うことになる。
 深夜のタタル渓谷で仲間たちの前に現れた赤毛の青年は、ルークと大爆発を起こして融合したアッシュだった。ナタリアの『夢』がその前のエピソードであるならば、その中に登場したルークは大爆発直前の状態だと言うことだ。

「……あれ?」

 そこまで考えて、ふとルークは目を見開いた。全員の視線が集中する中、少年は己の記憶を掘り起こしつつ浮かんで来た疑問を口にする。

「大爆発って、アッシュの方には音素乖離の症状が出るんだよな。でも、俺の方にそこまで酷い症状が出るなんてジェイドやディスト、言ったっけ?」

 一旦流れ込む道筋がつくと、オリジナルの構成音素はどんどんレプリカ側へと流れ込みます。
 その結果、オリジナル側には音素乖離の症状が起こります。

 一方レプリカ側ですが、こちらもせいぜい音素乖離の症状が出て来るくらいでしょうかね。

 ルークとアッシュの間に起きる大爆発について、サフィールが滔々と説明した言葉。それをルークは、不意に思い出したのだ。
 オリジナル、つまりアッシュ側に現れる症状は明白に音素乖離だとサフィールは指摘した。一方レプリカ、つまりルーク側に見られる症状は『せいぜい』音素乖離、である。恐らく、流入してきたオリジナルの音素を受け止める側であるレプリカには、その現象の特性上あまり自覚症状が見られないのだろう。見られるとしても、オリジナル側から音素を流れ込ませる発端となった音素乖離の症状程度では無いだろうか。

「……あ」

 そうすると、『夢』の中のルークが大爆発による自身の死を知っていたとは考えにくい。それに気づき、ティアが口元を押さえた。ナタリアとアッシュは青ざめた顔を見合わせる。
 その中で、森の色の髪を持つ少年は顔から感情を消し、口を開いた。

「多分、その答えは僕が知っています」
「イオン様?」
「イオンが?」

 子どもたちの視線が、導師に集中する。イオンはゆっくりと皆の顔を見渡して、重々しく頷いた。

「僕が見た『夢』は、血まみれのアッシュを抱きかかえたまま地核へと降りて行くルークの姿でした。僕……いえ、僕が入っていたローレライはその目の前にいて、ルークに話しかけたんです」

 世界は消えなかったのか。
 私の視た未来が僅かでも覆されるとは、驚嘆に値する。

 炎の形を取り、ローレライはルークの周囲を取り囲むように舞い踊る。第七音素が充満したその空間で、『夢』の中のルークは最期を迎えたのだとイオンは告げた。

「胸を張って、満足そうに目を閉じて、ルークの身体は光に解けて行きました。大爆発とは関係無く、ルークの身体に音素乖離の症状が起きていたんじゃ無いでしょうか?」

 光に解けて行く姿。
 時間軸で言えばこれらの『夢』の最後に当たる、ジェイドが消えて行く姿を思い出してアッシュが露骨に眉をひそめた。あれは、第七音素を受け入れたことによる音素乖離死だと言う結論が出ている。
 ルークはサフィールの譜業により生み出されたレプリカだから、第七音素を受け入れてもその身を滅ぼすことは無い。だが、それとは別に音素乖離の危険性は常に存在している。レプリカの肉体を構成する音素と元素の結合がオリジナルのそれよりも弱いことは、彼らを導く2人の天才が指摘しているのだ。

「……」

 大爆発では無く、音素乖離による最期。仲間たちとも別れ、赤い血に塗れたアッシュを抱いた自分は、どんな思いで死んで行ったのだろうかとルークは思考を巡らせる。さすがに死の直前の思考を探ることは、とても無理だったけれど。

「だがその後、俺はルークを食い潰して生き返った。大爆発自体は進行していたのだろうな」
「ルークが消えて、アッシュが再構成されて……それで、タタル渓谷に戻って来た」

 その後の出来事を、アッシュとティアが紡ぐ。俯いていたイオンは、きりと唇を噛みしめてから顔を上げた。

「ジェイドは、その現実に耐えられなかった。その廃墟で別れた理由は分かりませんが、彼は貴方たち2人が一緒に戻ってきてくれることを望んでいたんでしょうし」
「そうですわね。ルークに音素乖離の症状が出ていたのでしたら、きっとカーティス大佐は気がつかれていたはずです」
「それでも大佐のことだから、帰って来なさいって言ってくれたのね。そして、ずっとルークの帰りを待って」

 ナタリアが、そしてティアがそれぞれに考えついたことを口にする。ジェイドの最期から始まったこの『夢』を、現実にしないために。
 けれど、『夢』の中の世界ではそんな推測や情報共有を行うことは出来なかった。

「だが、戻ったのは俺1人だった」

 故に、アッシュが吐き出した言葉が『夢』の世界で起きた現実。
 大爆発は完遂され、アッシュはその中にルークの記憶だけを内包して世界に帰還した。
 ジェイドは推測していたとは言えその『現実』を見せつけられ、恐らくは心を壊してしまったのだろう。
 そうして彼は、ルークを救うために動いた。肉体に譜陣を刻み、『ローレライの鍵』をアッシュから奪い、第七音素意識集合体と相対し……音素乖離を起こして、消えた。


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