紅瞳の秘預言 69 憂慮

「……この話はここまでにしておこうか。要は俺とルークが死ななければ良いだけの話だ」

 暗く沈んだ室内の空気を感じたのか、アッシュがひとつ溜息をついた。
 そう、『夢』の世界が迎えた結末に至るためには、2人の焔が傷つき果てると言う発端が存在する。ならば、その発端さえ現実化することが無ければ、あの結末に辿り着くことは無いだろう。

「結局、そこに戻りますのね」

 最初に「ルークが死ななければ良い」と言う結論を口にしたことのあるナタリアが、ふっと顔を綻ばせた。イオンも年相応の無邪気な笑みを浮かべ、2人の焔たちを見比べる。

「大爆発か、音素乖離か。どちらにしろ、ジェイドやディストが手配してくれた響律符と薬で解決出来るはずです。だから、大丈夫ですよ」
「うん。ちゃんと響律符は肌身離さず着けてるし、薬だって忘れずに飲んでる」

 大きく頷いて胸元からルークが引っ張り出したのは、細いチェーンペンダント。そこには、サフィールから渡された響律符がぶら下がっていた。アッシュの胸にも、少し形状は異なるが同様のものが下がっている。
 2人の音素乖離、そして同調を防ぐために銀髪の学者が渡してくれた大切なお守り。手渡されたあの日から2人はずっと、それを身に着けている。自分たちの未来を掴むために、仲間と共に未来を歩むために。

「当たり前でしょう? 大佐やネイス博士の診察もちゃんと受けてる?」
「当然!」
「威張ることか。まあ、気をつけているなら良いがな」

 強い口調でにじり寄るティアに対し胸を張って答えるルーク。その朱赤の頭を軽く小突き、アッシュは穏やかな笑みを見せた。
 セフィロトで自分たち第七音譜術士が『夢』を見るのは、子どもたちにその未来を迎えて欲しくないローレライが警告として見せているのだと以前から彼らは考えていた。
 悲劇の未来を迎えないための前提条件がはっきりした今、やるべきことは分かっている。

「大爆発なんざ起きねえ。てめえはてめえ、俺は俺でこれからも生きて行くんだ」
「分かってる。アッシュもみんなも、死んだりしたらただで済むと思うなよ」

 真紅の髪を持つ『兄』と朱赤の髪を持つ『弟』は、その顔に良く似た、けれどどこか異なる笑みを浮かべた。兄は自信満々な笑み、弟は無邪気な笑み。2人が別人であることが、笑顔の質だけでもはっきりと分かる。

「まあ、ルークったら。当然のことじゃありませんの」
「そうよ。みんなで一緒に戦って、生き延びるの。当然じゃ無い」
「僕も、精一杯力になります。明るい未来に進むために」

 彼らを取り囲むように集まってナタリアが、ティアが、そしてイオンが笑って頷いた。未来の悲劇を『夢』として見る彼らの思いは、そこに集約されるのだから。

 そして、ジェイドも一緒にこの世界で生きて行く。
 ヴァン師匠、貴方にその邪魔はさせない。

 ルークは改めて、そう心に誓った。ほんの少し胸の中に浮かんだ不安を、無理矢理最奥部に押し込めて。


「メジオラ高原のセフィロトもやられたか」
「は。申し訳ありません」

 薄暗い室内で、金の髪を高い位置で結った女が頭を下げる。執務机の奥に腰を落ち着けているヴァンは、ふっと口元を緩めると組んでいる指を僅かに蠢かせた。

「気にするな、リグレット。奴らはただ、私の手の内で踊っているに過ぎん」
「はい、それは承知しておりますが……」

 自信ありげに笑みを浮かべているヴァンに対し、リグレットは顔を強張らせている。メジオラ高原でティアやガイに拒絶されたことが、まだ少し尾を引いているようだ。もっとも彼女自身は、彼らはホドの生き残りであろうと最早敵である、とケリをつけているつもりなのだが。
 副官の心情に気づかぬように、元神託の盾主席総長は小さく息をつき口を開いた。

「それで、シンクからの連絡は無いのだな?」
「皆目。恐らく、地核で果てたものと」

 リグレットが首を振ると、金の髪がふわりと揺れる。光源の少ない室内に、その色は僅かな光を反射して煌めいた。

「そうか。まあ、セフィロトに関してはどうとでもなる」

 感情の籠もらない言葉を紡ぎ、ヴァンはすっと立ち上がる。外していた剣を腰に帯び、指先で詠師服を軽く手直しした。その行動の意味に気づいたリグレットが、はっと目を見張る。

「閣下、どちらへ?」
「少し出かけて来る。フォミクリー装置の修復に必要な部品の目処が立ちそうなのでな」

 重厚な作りの執務机を回り込み、リグレットの前に歩み出たヴァン。敬愛する男の顔を見上げ、副官たる彼女は決意の表情を浮かべた。

「では、自分もお供いたします」
「……そうだな、着いて来るが良い。他の部下たちには、ロニール雪山に入るための準備を整えさせておけ」

 一瞬だけ思考を巡らせてヴァンは、リグレットの申し出を受け入れた。その後に出された指示は、本来ならばリグレット自身にも下されるはずだったもの。
 だが、敵対者たちが未だ操作を行っていないセフィロトは両極のゲートを除くと2つ存在する。その中でも立地条件から最後に回すであろうロニール雪山をヴァンが選んだ意味が、リグレットには分からない。

「は。……ロニール雪山ですか?」
「そうだ。我々が向かうのはダアトだからな」

 訝しげに首を傾げたリグレットに、ヴァンはにいと歯を剥き出して笑う。肉食獣の如きその笑みに、副官たる彼女は魅入られたように眼を細めた。


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