紅瞳の秘預言 70 火山

 翌日ルークたちは、飛晃艇でパダミヤ大陸を訪れた。残る2つのセフィロトのうち、ザレッホ火山のパッセージリングを操作するためである。かなりの強行軍ではあったが、メジオラ高原でリグレットと鉢合わせしたことを考えるとそうのんびりしてはいられない。
 街から少し離れた平原でアルビオールを降りた一行は、しばらくしてダアトの全景を見渡すことの出来る丘に出た。長きに渡り人々の心の拠り所となっている一大宗教都市の全貌に、ルークは目を見張る。

「へー。これがダアトかあ」

 ユリアロードを使うことも無くイオンとナタリアのダアト幽閉も無かった『この世界』では、ルークがこの街を訪れるのは初めてのことになる。それに今更ながらに気がついて、ジェイドはレンズの奥の眼を細めた。

「そう言えば貴方は、ダアトは初めてでしたか」

 「うん」と大きく頷いてルークは、自分の肩に乗っているミュウと同じように目を丸くして光景に見入っている。筒状の耳がくるくる回って朱赤の髪を弄ぶけれど、今のルークにはあまり気にならないようだ。

「バチカルともグランコクマとも感じが違うなあ。何て言うか、歴史感じるってのかな?」
「みゅうう。ちょっぴり森に近い匂いがするですの」
「ルーク〜、ミュウも素直に言っていいよお。ぼろい建物多いって」

 言葉を選びながら感想を述べるルークと小さな身体一杯に息を吸い込むミュウを見上げながら、アニスは呆れ顔で肩をすくめた。ダアトの街並みはその中央にそそり立つ塔を初めとして全体的にくすんだ……と言うよりは古びた建物が大多数を占めており、それらを補修を繰り返して使用しているようだ。

「住民の大部分は敬虔なローレライ教団の信者ですからね。質素な生活を心がけている……と言えば聞こえは良いんですが、実のところ資金繰りに苦労してましてなかなか建て替えが進まないんです」

 正直に教団の実情を口にして、イオンが眉尻を下げる。そこへ、サフィールがかりかりと癖の無い髪を掻き乱しながら「他にも」と口を挟んで来た。

「さりげに軍事費が財政圧迫してるんですよね。と言いますか、音機関や船舶なんかの維持費が結構掛かるんですよ」
「一番でかいのは住民の食費と神託の盾の人件費だろうな。整備費用削っても、食費を削るのに限界はあるし」

 フォローするかのように言葉を繋げたガイに頷き、銀髪の学者はルークの顔を見直した。この少年には経済観念と言ったものはある意味一般人以下しか存在していないが、それでも食費の削減に限界があると言うことは何と無く理解出来たようで「なるほどなー」と頷く。腹が減っては戦は出来ないと言うことをこの少年は、旅の中で実感として持っているから。

「モースが資金融通してるって話、前にあったでしょ? 戦争が起きるって言う預言を遵守するために、軍備増強を図ってたんです。それに乗っかって、主席総長が自分の私兵を増やしてた訳ですけどね」
「それで、増やした兵士をごっそり持ってかれた訳だな」

 そうして更に説明を重ねたサフィールの語尾に、呆れ気味のアッシュの声が重なる。それに気づいて肩をすくめるサフィールの表情はどこか子どもっぽくて、ジェイドは苦笑を浮かべるしか無かった。
 残った神託の盾兵士のほとんどが大詠師派では無いカンタビレの配下であることは、こちらに有利に働くだろう。あくまでも預言に則り戦争を起こしたいモースに従う兵士はほとんどおらず、またカンタビレはイオンの意思を尊重するだろうから。
 不意に、朱赤の焔が声を上げた。

「なあイオン、あの高い塔何だ?」

 ダアト中心部にそびえ立つ塔を指差して、ルークがイオンを振り返る。緑の髪の少年はにっこり微笑んで、杖を両手で持ち直した。

「あれが教団本部ですよ。僕は普段、あそこで導師の任を務めています」
「なるほど。あそこがローレライ教団の中心地なんだ」

 目の上に手をかざし、興味津々の表情で塔を眺めていたルークは、ふと以前イオンが口にした言葉を思い出した。あれは確か、ジェイドが自分を庇って左肩を負傷したその晩だったか。

 だからアニスに頼んで、ジェイドの力を借りて、こっそりダアトを抜け出したんです。
 1人じゃ無理だったかも知れないけれど、僕には協力してくれる人がいたから。

「……あれ。もしかしてイオンとアニス、あのたっかい塔の上から脱出したのか?」

 さすがにルークも、ジェイドがローレライ教団の中心にまで侵入してイオンを連れ出したなどとは考えなかった。常識的に考えれば、和平の使者であるジェイドがそのような強硬手段に出るわけが無い。『死霊使い』ジェイドの本性を知る者であればともかく、現在のジェイドしか知らない子どもはそう思っている。

「はい。覚えていてくださったんですね、ルーク」
「げ。イオン様、ルークにあの話したんですかあ?」
「もう、だいぶ前になりますけどね」

 自分の話を覚えていた朱赤の焔に、イオンはふわりと笑みを浮かべる。一方アニスの方は、よもやこの2人の間でそんな会話が交わされていたなどとは思わなかったのか露骨に顔を歪めた。
 そして、その場にいなかったもう1人の守り役の少女はきょとんと目を丸くした。

「塔の上から? イオン様、大丈夫だったの?」
「モースに閉じ込められてたんです。それでも僕は、平和になって欲しかったから」
「そうだよ。すっごく頑張ったんだよ、イオン様」

 2人の当事者がにこにこ笑いながら答えたのに、アリエッタは口を尖らせた。どうやら、イオンに不利益を被らせた者の名としてモースが登場したことに対してだろう。それとも、導師の危機に己が傍にいなかったからか。
 子どもたちの会話が途切れたところで、ジェイドはぽんと両手を打ち合わせた。先ほどからティアや、いつものように寄り添っているアッシュとナタリアがさっさと動きたがっている様子が視界の端を占領しているから。

 はーい、と楽しそうに返された子どもたちの声が、真紅の焔に小さく溜息をつかせた。


 教団本部に入った一行は、イオンとアリエッタを先頭に隠し通路のある部屋へと進んで行く。途中トリトハイムとモースに出くわしたものの、双方共にこちらの妨害をする気は無いようだ。
 トリトハイムは、イオンの「もうしばらく留守にする」と言う宣言を不満ながらも受け入れた。外殻大地降下計画についてはイオンから彼にも伝えられており、当然導師が自らセフィロトに赴く理由があることも分かっている。しかし既に外殻の一部が降下し、民が混乱している現在、彼らを導くべきイオンがダアトを空けていることがトリトハイムには不満なのだろう。もっともそれはつまり、自身や大詠師モースにはその求心力が存在しないと言うことを自覚している、と言うことなのだけれど。
 一方モースは、ジェイドが『覚えて』いるままに不機嫌さを露わにしていた。だが、ヴァンの計画する世界の破滅の片棒を担がされていたことに憤慨しているのか、ルークたちがセフィロトへ向かうことに異論は無いようだった。
 この男は、第七譜石の最後の預言を未だ真のユリアの預言とは認めていないらしい。しかし、それはそれで構わないとジェイドは考えている。ユリア・ジュエが真に詠んだ預言だと認識出来てしまったとき、彼がどう言った行動に出るのかまでは『未来』を知るジェイドにも予想はつかないからだ。それなら、ことが落ち着くまでは今の思考のままでいてくれた方が良い。『前の世界』でのように暴走されるよりは、よほどましなのだ。

「パッセージリングへの入口は隠し通路になっている。せいぜい気張って探すことだ」

 むすっとした彼の口からこぼれた言葉も『前の世界』そのままで、ついジェイドは眼を細めて微笑んだ。隣でサフィールが呟いた問いが、溜息の音と共に耳に流れ込んで来る。

「『前回』も彼、ああでした?」
「ええ。大詠師としても、世界の破滅は避けたいでしょうし」
「そこまでは腐ってませんよねぇ。ま、大詠師ですし当然ですか」

 微かに頷いたジェイドの答えにサフィールは、ふむと眼鏡の位置を指先で直してから腕を組んだ。
 モースの預言至上主義が『そうすればオールドラントは未来永劫安泰である』と言う思想から来るものであることには、サフィールも気づいている。だから今回、モースがこちらを妨害してこないのは至極当然であろう。

 でも、いくらユリアが詠んだからと言って無理矢理戦争を起こす必要は無いんですよねえ。
 そんな原理主義が、主席総長をレプリカ計画に傾倒させた訳ですし。

 「預言も善し悪しですよねえ、ほんと」とぶつぶつ呟きながら最後尾を歩くサフィールをちらりと振り返った後、アリエッタは緑髪の少年に視線を引き戻した。今回も彼女の『友人』たちは、アルビオールとノエルを護衛するために街の外に残って貰っている。


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