紅瞳の秘預言 70 火山

「モース、どうして不機嫌なの? イオン様が頑張ってるから?」
「和平条約が成立して、戦争を起こすことが難しくなっているからじゃ無いですか? モースにしてみれば戦争を起こすことがユリアの預言に適うことで、つまりは世界平和に繋がると考えているんでしょう」

 廊下を平然と進みながら、イオンはアリエッタの疑問に答える。そして、ふと自分の存在と言うものを見つめ直してみた。
 モースとヴァンの企みの元に作り出され、改革派の頭領となるように育てられたレプリカの自分。自我を持ち始めた頃イオンは、自分があくまで導師の身代わりでしかないのだと思っていた。自分を育てていた周囲の人間がそうとしか見ていないのだから、その認識は当然のことだった。
 けれどいつからか、イオンは自身の存在をそこまで悲観的に見ることをしなくなっていた。例えレプリカであっても、自分は2年前に死したオリジナルのイオンとは違う別の人間なのだ、と考えるようになっていた。
 同じレプリカでありながらオリジナルのアッシュとは違う人間だと自覚を持つようになったルークをずっと傍で見ているからだろうか。
 それとも、フォミクリー技術の生みの親であるジェイドが彼らにそう教えてくれているからだろうか。

 理由なんてきっと、どうでも良いんでしょう。
 僕は僕として育って、僕自身の考えを元に動いているんです。
 例えオリジナルの導師と同じ姿をしていても、同じような力を持っていても、僕は彼では無い。
 イオンと言う、同じ名前の別人なんです。

 それで良いんですよね? ルーク、ジェイド。

「さて、この部屋だと思うんだけど」

 不意に上がったガイの声に、イオンははっと意識を現実へと引き戻した。既に彼らは、隠し通路の入口が存在するであろう部屋へと足を踏み入れている。
 くるりと室内を見回した青年の視界を、桜色のふわりとした髪が占拠する。反射的に飛び退いたガイを尻目に小走りに壁へと駆け寄ったアリエッタは、1個所を指差してにこにこ笑った。間違い無く、『前の世界』でアニスがあからさまにわざと体当たりをしたその場所だ。

「ここ、ここ。隠し通路」

 アリエッタも、知ってる。アリエッタのイオン様が、教えてくれた。だから大丈夫。

 ジェイドがザレッホ火山への行き道を知っていると答えたとき、アリエッタは彼の耳元にだけそう囁いた。オリジナルのイオンと彼女が共有していた、大切な秘密だろうに。

「アリエッタ? あんた知ってたの?」
「うんっ。アリエッタのイオン様がね、2人だけの秘密だよって」

 呆気に取られているアニスに答え、楽しそうに眼を細めながらアリエッタは、「よいしょ」と壁の一部を手で押し込んだ。少し沈み込んだ壁を横へとスライドさせると、そこに通路が現れる。場所を知らなければ、この通路を探し出すことは困難だろう。

「うわ。ほんとに隠し通路だ。アリエッタすげえなあ」

 だからルークが上げた声は、素直な賞賛である。えへへと少しだけ頬を赤く染めて笑った少女は、ぬいぐるみを抱え直すと大きく頷いて見せた。

「でも、ずっと秘密にしてたらオールドラント、壊れちゃう。そしたらきっと、アリエッタのイオン様は悲しむから」
「そうか。僕自身が知らなくても、オリジナルは知っていておかしく無いですよね。アリエッタ、覚えていてくれてありがとうございます」

 感謝の言葉を述べながらアリエッタの後に続き、イオンが通路をくぐり抜ける。皆が勢揃いするまで、アリエッタはその場でちゃんと待っていてくれた。
 殺風景な隠し部屋の床の中央には、転送の譜陣がぼんやりと光を湛えている。それを目にしたナタリアが、感心したように両手の指を組んだ。

「この譜陣から、火口に繋がっているのですね」
「多分。ここから先は、アリエッタも行ったこと無い」

 金の髪を揺らす少女の疑問には、アリエッタも断定的な答えを返すことは出来なかった。それが出来るのは、『前回』この譜陣を使ったことのあるジェイドだけだろう。

「ユリアロードと原理は同じなのね。きっと創世暦時代のものなんだわ」

 ティアが感心したように呟く。もっとも『この世界』でユリアロードを利用したことがはっきりしているのは彼女だけだから、他の仲間たちにはその感覚は分からないだろう。イオンの部屋へ行くのに同様の転送譜陣を利用した『記憶』があるジェイドと、実際に使っているであろう導師とその守り役たち以外には。

「よし、じゃあ行こうか」

 モースの間諜と言うくびきからはとうの昔に解き放たれたアニスより先に、まずルークがその譜陣に足を踏み入れた。


 やがて一行は、パッセージリングに辿り着いた。『記憶』同様異常に高い気温の中を進んで来たことで、全員が普段よりも体力を消耗している。ダアト式封咒を解いた後、元々体力の低いイオンをダアトに戻すことも考えたが、本人が着いて行くと言って聞かなかったためガイが背負って進んだ。マグマの中に住んでいる火竜も姿を見せず、火精や譜業たちも彼らを妨害しなかったからこそ出来たことだろう。譜業はともかく火精たちの妨害が無かったことはジェイドにとっても意外だったが、タタル渓谷で力を貸してくれたユニセロス同様ローレライが取りなしてくれたのかも知れない。
 全員がパッセージリングの部屋に入った所で、ずっと最後尾を歩いていたジェイドの顔色が優れないことにサフィールが気づいた。『記憶』を得てからどんどん口数が少なくなっていたせいか、ジェイドが黙り込んでしまっていてもそれが当たり前だと皆が思い込んでいた。

「あれ? ジェイド、どうしました?」
「……ああ、いえ。大丈夫です」

 無理矢理笑って答えるジェイドだったが、火口の熱気で幾分赤く見えるはずの顔色はいつもより白く感じられる。子どもの頃から人前で自身の不調を見せることの無い幼馴染みだから、虚勢を張っているのだとサフィールにはすぐに分かった。

「大佐? 大丈夫ですか?」

 いつものように障気フィルターを貰いに来ていたティアも気づき、手を伸ばしてジェイドの額に触れる。手袋越しに触れた繊細な指は、僅かに白い肌をなぞってから離れた。

「熱は無いみたいですけれど……」
「え、ジェイドどうしたんだ?」
「みゅう。ジェイドさん、お疲れですの?」

 肩にミュウを乗せたままのルークがジェイドの顔を覗き込む。気がつくと、同行者たち全員がジェイドを取り囲むように集まっていた。彼から一番距離を取っているのはアッシュだが、眉間にしわを寄せた彼の表情は友人の体調を気遣うそれだ。

「昨日の今日だもんな。イオン様もそうだけど、旦那も無理してるんだろ」

 背中からイオンを降ろして休ませていたガイが、短い金髪を指先で掻きながら肩をすくめた。ルークのように直接様子を見に来たりはしない彼だが、それなりにジェイドのことを気遣っているようだ。
 サフィールはジェイドの頭にぽんと手を置くと、子どもに言い聞かせるような口調で言葉を紡いだ。

「ここの指示は私がやります。良い子ですから、貴方は導師と一緒に休んでいてください」
「済みません、サフィール。役立たずで」
「だから自分を卑下するのはやめてくださいってば。ジェイドはものすごく役に立ってるんですから、たまには休んで良いんですよ」

 泣きそうな瞳で微笑むジェイドの髪をくしゃくしゃといささか乱暴に撫でて、サフィールはティアとルークを促した。いつものようにティアがユリア式封咒を解き、ルークが超振動で道を刻み込む作業が始まる。それをジェイドは、初めて後方から眺めることとなった。

「大佐ぁ、座った方が良いんじゃないですかぁ?」
「いえ、大丈夫ですよ。余り長く休めるわけでもありませんから、立っていても十分です」

 自分は立ったままイオンの側にいるアニスに勧められて、ジェイドは小さく首を振った。

 それに、座って休んでいたりしたら何かあったとき、守れないじゃ無いですか。


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