紅瞳の秘預言 71 拉致

「ジェイドっ!」

 火口内にあるせいで他のセフィロトよりも少し気温の高い室内に、ルークの悲鳴が響いた。
 ヴァンはにいと唇の端を歪めて、意識を失ったジェイドの身体を抱き寄せた。ヴァンにぐったりともたれかかる形になったジェイドの顔は青ざめていて、汗がほんの僅か伝っている。苦痛を感じているのか、形の良い眉が歪んでいるのが一番遠くにいるルークからでも見て取れた。

「私の気配に気づかぬとは、六神将も落ちたものだな? ディスト、アッシュ」
「こそこそ気配を消してストーカーですか。神託の盾の元主席総長も大概良い趣味をしていらっしゃる」

 余裕の笑みを浮かべるヴァンに対し、サフィールは苦々しげに眉をひそめて吐き捨てる。握りしめた拳が小刻みに震えていることには、恐らく本人ですら気づいていないだろう。

「てめえ、そいつを放しやがれ」

 アッシュはガイと共に既に刃を抜き放ち、ヴァンに向けて構えている。敵意を剥き出しにした真紅の焔の視線を受けてすら、ヴァンは余裕を崩さずにいることが出来た。自らの腕の中で眠っているジェイドの存在が無くとも、その態度に変化は無いだろうが。

「師匠っ! ジェイドを放してください!」

 アッシュと同じく、だが鏡写しのように左右反転した構えを取ったルークが叫ぶ。アニスとアリエッタも自らの背後にイオンを庇いながら、怒りの眼差しでヴァンを睨み付けている。

「放さなければどうだと言うのだ? 出来損ないが」

 涼しい表情のままヴァンは、剣を抜くことも無く悠然と立っている。そうして自らを睨む2人の焔をふんと鼻で笑うと、ジェイドの身体を軽く揺すぶった。がくりと項垂れるジェイドの顔は、長い髪に隠されて見えなくなる。

「私と戦うか? ならば、これを盾に使うまで」
「なっ……兄さん!」
「グランツ謡将!? 貴方……恥を知りなさい!」
「ゲスが……」

 杖を構えたティアと、弓に矢を番え終わっていたナタリアが顔色を変える。彼女たちを背に回し、アッシュはぎりと奥歯を噛みしめた。
 利用出来るものは、例え一度捨てたものであっても利用しようとする。ヴァン・グランツがこう言う性格の男であることは、とうに分かっていたはずだ。崩落寸前のアクゼリュスで、無理矢理に超振動を発動させられたために意識を失ったルークをヴァンは、ジェイドの槍から己の身を守るための盾とした。今はその役割が、逆になっているだけのこと。
 あの時ヴァンはルークを片手にぶら下げていた状態だったため、ジェイドを囮にして動きの速いガイがルークの奪還に成功した。だが今回、ヴァンはジェイドを腕の中に抱え込んでしまっているためにその方法は難しい。

「手段など、既に選んでいる場合では無いのだよ。一刻も早く世界をレプリカに移し替えねば第七譜石の預言は遂行され、星は滅ぶ。オールドラントに未来は無い」

 それが分かっているからかヴァンは余裕のある態度を崩さないまま、朗々と言葉を紡ぐ。
 更に、ヴァンを守るようにリグレットが姿を現した。彼の前に進み出た彼女の両手に構えられた譜業銃は、イオンとガイに照準を合わせている。

「動くな。死霊使いがこちらの手の内にある今、どちらが有利かは言うまでも無いな」
「教官!」

 リグレットの冷酷な表情に、ティアが悲鳴じみた叫び声を上げる。教え子の引きつった顔を見てリグレットは、軽く首を振った。

「ティア。お前とは同じ道を歩めるものと思っていた。残念だな」
「……私も、残念です。兄と貴方だけは、そこまで冷酷非情な人だとは思えなかった、のにっ」

 両手で杖を握りしめ、いつでも太腿のナイフを引き抜けるように気を張りながらティアは吐き捨てた。自分の譜歌よりもナイフよりも、リグレットがトリガーを引く方がどう考えても早いことは分かっているけれど、それでも構えずにはいられない。
 もう、彼ら2人と同じ道を進むことが無いのだと理解出来てしまったから。
 2人の守り役に守られる形でヴァンとリグレットから距離を離していたイオンが、ゆっくりと2人を見据える。ガイに背負われてここまでやって来ていたため、体力はある程度回復していたようだ。

「ヴァン。ジェイドを連れて行って、貴方はどうするつもりなのですか?」
「この者で無くば成し得ぬ所業がある。故に、私が自ら迎えに来たまでのこと」

 あくまでも自信に満ちた笑みを崩さず、ヴァンは口の端を歪めつつ答える。くすんだ金髪を無造作に掴み、意識の無いジェイドの上半身をぐいと引き上げた。

「さらに、死霊使いにはホドを滅ぼした罪がある。害を受けたこの私が、彼に罰を下そう」
「ジェイドじゃ無いっ!」

 ヴァンの言葉を、即座にルークは否定した。無論、ホドに存在したジェイドを所長とする研究所がその破壊の根源であることはルークも知っている。ジェイドも自ら、所長である己の責任だと言い切った。
 けれど朱赤の焔は、そしてその仲間たちはジェイドに償うべき罪が存在するとはもう思っていない。家族を奪われたガイも、故郷を失ったアリエッタも、ジェイド・カーティスに全ての罪を押し付けるつもりは無いのだ。
 そんなことをしたところで何も戻って来ないばかりか、自分たちを導いてくれる優しい譜術士を壊してしまうかも知れないから。
 もうこれ以上、何かを無くしてしまうのはごめんだった。

「もし大佐だったとしても、総長が個人的に断罪する理由なんてあるわけ無いじゃん!」
「総長の馬鹿! ジェイド、虐めないで!」

 だからアニスも、そして人形を抱きしめながらアリエッタもヴァンの言葉を否定する。自らの理想に対し首を横に振られ、ヴァンは眉間にほんの少しだけしわを刻んだ。

「何故そのようなことを言う? アリエッタ、お前もこやつのために故郷を失ったのだぞ」
「だからって、ジェイドを虐めてもフェレス島は元には戻らないもん! レプリカで造っても、フェレス島じゃ無い別の島だもん!」

 オリジナルとレプリカは、同じ姿をしているけれど全く別の存在である。
 アリエッタのイオンと今のイオンやシンク、アッシュとルークはそれぞれがそれぞれに1人の人間として生きている。
 これまでの旅の中でそれを言葉によらず理解して来たアリエッタは、だからヴァンのレプリカ計画に対してはっきりとNOの返事を示した。

「旦那に罰を下せるほど、あんたはお偉いさんになったつもりか? あんたが今やろうとしていることは、その旦那の上を行く罪にしか思えないがね」

 そして、ヴァンと同じホドで生まれたガイもまた、ヴァンに対して首を横に振った。ガイ自身、幾度かジェイドを手に掛けようとした経験もある。だがそれで家族が戻って来る訳でも無く、罰としてジェイドを殺したところで自分が納得出来る結果を導き出すことも出来ないと気づいたから、ガイは復讐をやめた。

「だよねえ。それに、その場にほとんどいなかった大佐が悪いって言うんなら、無理矢理とは言え超振動でホドを壊した主席総長だって悪いんじゃん」

 金の髪を持つ彼の言葉に頷いて、アニスは背中のトクナガに手を掛けながら言葉を続けた。そんな彼らの言葉を聞きながらサフィールは、ふとジェイドに聞かされた『記憶』の思い出を取り出す。

 『記憶』の世界でジェイドは、ヴァンに誘導されるままアクゼリュスのパッセージリングを破壊して街を滅ぼしたルークを真っ先に見捨てた。そこに、例え己が望んでいなかったとは言えルークが加害者であったからと言う意識が存在しなかったわけでは無いだろう。そこに、多くの罪に背を向けた自分を重ねてしまったから。


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